サイドバックは何が、どこで変わったのか?ギャリー・ネヴィルが語る現代”サイドバック”論。(SKY)
フットボールにおける戦術進化の過程で、様々なポジションに新たな役割が与えられる事態が起こりました。その中でもフルバック(いわゆるサイドバック)の変容は目覚ましいものがあります。今回は、元マンチェスターユナイテッドの名サイドバックであるギャリー・ネヴィルがSKYの番組でサイドバックの進化・変化について語ったことをざっくり訳しました。元記事はこちら。
フルバック(以下サイドバック)として8回のプレミアリーグ優勝を誇るギャリー・ネヴィルが、サイドバックが味方に奉仕する存在からチームのキーマンへと変貌していった過程を語った。
サイドバックを務めることは20年前と比べて様々な理由により非常に難しいものになった。それは、そこからさらに20年前と比較しても同じことが言えるだろう。
困難さの一因にはルールの改正がある。2004年のアーセナルとの試合で私達がホセ・アントニオ・レジェスに行った対応を思い浮かべてほしい。我々は彼に対してとてもアグレッシブにぶつかることが出来たし、そうすることで彼を試合の流れから取り除くことが出来た。今そんなことをしたら私は退場させられていたかもしれない。現在のサイドバックが相手のウィングに対してこのようなプレイをしたら退場になってしまうよ。ただ、このルールの変更自体は正しいものだと思う。
[アーセナルのレジェスに激しいタックルを見舞うネヴィル。当時のプレミアリーグでは、相手のキーマンを厳しい対応で止めるサイドバックが少なくなかったという。]
第二に、ワイドでプレイする選手は最早ウィンガーとは言えないということだ。何人かウィングらしい選手は残っているが、サラー、マネ、スターリング、ベルナウド・シウバらを見てほしい。彼らはシーズンで15点~20点を決めている。彼らはゴールスコアラーであり、45分間で5回も6回も7回も8回も非常に捉えづらい走り込みをしてくるワイド・フォワードなのだ。
私が現役の頃はこういった(ポジションの)選手達は、私の外側(タッチライン側)にいたし、内側を走るような選手はほとんどいなかった。4-4-2システムの一員として足元にボールが来るのを待ち、それからペナルティボックスに向けてクロスを狙うばかりだった。
こういった傾向は私がマンチェスターユナイテッドでの現役生活を終える頃には少しずつ変わっていた。その頃から変化は大きくなり、言うなれば革新的な選手も次々と現れた。彼らは選手間に生じたスペースや(守備側の選手の)背後でプレイする。
しかし、私のキャリアのうち最初の10年間ほどは、とても優れたウィンガーで良いクロスを蹴るジェイソン・ウィルコックスやトレヴァー・シンクレアのような選手と相対するのが一般的だった。シンクレアは右利きの左ウィンガーという点で少し異色だが、彼らは対面するサイドバックよりも外側でプレイするのが普通だった。内側で何かするウィンガーなんて本当にほとんどいなかったんだ。
ハリー・キューウェルなんかも外側でプレイしてペナルティボックス目掛けてクロスを狙う選手だったね。私が対戦したウィンガーはこういうタイプの選手ばかりだった。
The modern full-back
≪現代的なサイドバックとは。≫
次にネヴィルは、どのようにフラットな4バックが姿を変えていったか、1990年代に受けたサイドバックとしての教育、ネヴィル自身が現在のサイドバックとしてプレイするのが難しいと感じる理由について語ってくれた。
もしも私が今現在の選手とサイドバックとして対戦したら、すごく難しい思いをするだろう。彼らのスピードは今や凄まじい。
我々は現代のサイドバックにはアタッカーとしての能力も求められると話すことがあるが、このことも守備に回った場合の負担が大きくなっている原因だろう。現代のサイドバックは、ボールもしっかり扱えなければならないし、1試合に12~13kmも走らなければならない。現代のサイドバックが要求されていることは、私が現役の頃より遥かに大きいんだ。
旧来のサイドバックとしての感覚のまま解説席に座り、「私が現役の頃はこれもやったし、あれも出来たね」なんて話すのは間違っているんだよ。ものすごくタフなポジションになってしまったんだからね。
現役時代にはブライアン・キッド(当時のユナイテッドのアシスタントコーチ)の声が鳴り響いていたものだ。「後ろからサポートするんだ!背後からサポートだ!」ってね。アウェイ戦ではずっと後ろの方でサポートばかりしていた。右後ろの方で召使いをしているみたいだったよ(笑)オーバーラップをするのはそれからさ。私のキャリアの最初の5年か6年はそんな感じだったね。
スティーブ・ブルースとデイヴィット・メイ(共に’90年代前半にユナイテッドでCBを務めていた)は、いつも私に近くでプレイさせようとしていたが、しばらくしてから素早く動けるヤープ・スタムとロニー・ヨンセンがCBを務めるようになったんだ。そのときかな、変化を感じたのは。ヨーロッパ流のディフェンダーは外側に引っ張り出されて守ることも苦にしないんだ。これによって私はもっと前でプレイできるようになった。ロベルト・カルロスとカフーもサイドバックに対する見方を大きく変えたと思う。
以下は、同記事内でネヴィルが、現在のリヴァプール、マンチェスターシティ、マンチェスターユナイテッドのサイドバックについて分析した内容である。
Klopp deserves credit
≪クロップへの称賛≫
リヴァプールは前線の選手が注目を集めているが、サイドバックのトレント・アレクサンダー・アーノルドとアンドリュー・ロバートソンがリーグで最も成長した選手である。アカデミー出身のアレクサンダー・アーノルドと£1000万で契約したロバートソンこそが、アンフィールドにクロップが持ち込んだ影響の典型だとネヴィルは解説する。
リヴァプールのサイドバックは、タッチライン沿いにプレイをしなければならない。なぜなら、フォワード陣が非常に内側に絞ってプレイするからだ。
ロバートソンは素晴らしいサイドバックになった。我々は過去に「ロバートソンの内側に走り込め。彼は前に出て行く分には良い動きをするが、守りはそうでもないぞ」と言ってきた。しかし、彼がリヴァプールで見せてきたプレイは、特に守備の面において私を驚かせた。
これまでも私達は、ユルゲン・クロップが持つ選手を育てる力について話題にしてきた。ロバートソンや他の選手、特にサディオ・マネ、モハメド・サラー、ロベルト・フィルミーノ、この3人と同様にロバートソンも別次元の存在になったが、これらの選手の成長を促してきたことはユルゲン・クロップの偉大な功績である。
Pep's demands incredible
≪ペップの尋常ならざる要求≫
マンチェスターシティのサイドバックは中盤の選手に並ぶレベルに見えるが、ネヴィル曰くセントラルディフェンダーの20ヤードも前でのプレイは、グアルディオラの最も特筆すべき特徴だという。
ペップ(・グアルディオラ)が率いるチームのサイドバックがセントラルミッドフィールドに参加するのを初めて見たのは、2014年のミュンヘン、マンチェスターユナイテッドとのチャンピオンズリーグの試合だったが、そのときは「彼らは何をやっているんだ?」って思ったよ。今までの人生でこんなことは見たことが無かったんだ。
グアルディオラはシティでも同じ方法を継続した。彼からサイドバックの選手達への要求は非常に高い。ペップのチームのサイドバックは、フェルナンジーニョと共に相手のカウンターアタックを防ぐ主要な存在であると共に、攻撃を継続できるようなポジションを維持しなくてはならない。そのために、彼らは常にパスを受けられる状態を保ちながら、相手の突破を防ぐ盾となる必要がある。
United's full-back issue
≪ユナイテッドが抱えるサイドバック問題≫
2013年にアレックス・ファーガソンがオールド・トラッフォードを去って以来、ユナイテッドは最適なサイドバックを見つけるのに苦労しているとネヴィルは指摘する。現在はアシュリー・ヤングとアントニオ・ヴァレンシアが務めているが、ユナイテッドは割安な投資でランクの下がる選手を獲得するよりも、No.1ターゲットに巨額の投資をすべきだとネヴィルは感じているようだ。
私がユナイテッドを去ったとき、ラファエル・ダ・シルバはマンチェスターユナイテッドにとってパーフェクトなサイドバックだと思っていた。彼は粘り強く、アグレッシブで、ボールも十分に扱えた。でも彼は、売られてしまった。
アシュリー・ヤングは、マンチェスターユナイテッドについて批判するときに槍玉に挙げられるような選手ではない。右のサイドバックだろうが左のサイドバックだろうが右のウィングバックだろうが左のウィングバックだろうが、求められたことにはしっかり応えてきた。でも、彼は右のバックスではないよ!アントニオ・ヴァレンシアも2シーズンほどよくやってきたが、彼はどちらかというと右のウィングだ。
どうしてユナイテッドが右のディフェンダーにここまでの問題を抱えているのかは分からない。£1500万で良いサイドバックは獲得できない時代なのに、ここ数年間でユナイテッドは5人のサイドバック獲得に£1億近くを投じてきた。
対するシティは、カイル・ウォーカーとダニーロとバンジャマン・メンディの獲得に巨額を投じてきた。ユナイテッドも最適なサイドバックを一人獲得するために£4000万か£5000万くらいかけるところから始めた方がいいのではないか。そして、その選手を7年ほど使い続けるんだ。その方が色んな選手を試すよりも最終的には良いと思う。
【シティとユナイテッドのサイドバック獲得に関する比較】
シティの場合
選手名 | 獲得した年 | 移籍金 |
---|---|---|
カイル・ウォーカー | 2017 | £5000万 |
バンジャマン・メンディ | 2017 | £4900万 |
ダニーロ | 2017 | £2700万 |
オレクサンドル・ジンチェンコ | 2016 | £180万 |
合計: | £1億2780万 |
ユナイテッドの場合
選手名 | 獲得した年 | 移籍金 |
---|---|---|
ディオゴ・ダロト | 2018 | £1900万 |
マッテオ・ダルミアン | 2015 | £1300万 |
ルーク・ショウ | 2014 | £3300万 |
マルコス・ロホ | 2014 | £1800万 |
デイリー・ブリント | 2014 | £1600万 |
合計: | £9900万 |
[シティもユナイテッドもサイドバックの補強に巨額の投資を行ってはいるのだが、選手一人あたりの獲得にかける金額という点では大きな差がある。もちろん、ここ2~3年ほどで移籍市場自体が大きく変化し、プレミアリーグのクラブが払う移籍金が一気に高騰したという背景もある。]
トーマス・グロンネマーク:リヴァプールが雇ったスローイン専門コーチの話
2018年の夏、ユルゲン・クロップ監督率いるリヴァプールはトーマス・グロンネマークというデンマーク人コーチと契約しました。彼は世界でも希少なスローイン専門のコーチです。今回はMediumというサイトのThe Final Whistleに掲載されていた彼についての記事を訳しました。元記事はこちら。
スローインはフットボールという競技において最も過小評価されている分野の一つである。ボールが外に出た際に行われるルーティーンに重要さは感じられない。しかし、こういった風潮は変わるかもしれない。多くのチームが注目すればするほど、スローインをより良く活用できるようになるだろう。
ユルゲン・クロップがリヴァプールを率いた最初の2年間、守備における苦悩はこのドイツ人が就任以来クラブに行った素晴らしい仕事ぶりに影を落とした。就任した半年後にチームをヨーロッパリーグ決勝へ導くとともに、しっかりとリーグ4位以内を確保した。このことはプレミアリーグの6位で苦しんでいたチームにとっては大きな改善の兆しだった。しかし、次なるステップも必要になっていた。
クロップがリヴァプールに根付かせた疲れ知らずのプレッシングと切れ味鋭いカウンターアタックを用いたスリリングなプレイスタイルでは、試合に勝つためには不十分ということも何度かあった。彼が就任してからしばらくの間、リヴァプールは楽に勝てたはずの試合を考え得る限りで最も破滅的な方法によって逃すことがあった。そのほとんどは愚かな守備のミスに由来するものだ。
昨シーズン(17/18シーズン)にクラブ史上最高金額でヴィルフィル・ファン・ダイクを獲得してから、リヴァプールの守備はリーグ最高の域まで進歩した。ミスしがちで頼りなかった最終ラインは強固でしっかりしたものに変わり、競った試合ではその違いを見せてきた。しかし、リヴァプールがスローインにどう対応しているか、攻守のセットアップにおいてどれほど重要視しているかは十分に注目されていない。
リヴァプールにとって自陣のペナルティボックスへのロングスローは対処しにくいものだったが、現在の彼らはこういった攻撃にも対応できるし、相手のスローインからチャンスを作ることはリヴァプールが用いる高速スタイルの重要なパートになりつつある。
レスター戦の前に行われた会見でクロップはスローイン専門のコーチと契約したことを説明した。彼の言葉には、スローインが持つ重要性とそれがどれほど過小評価されているかが詰まっていた。
クロップ「トーマスのことを聞いたとき、すぐに会ってみたくなりましたね。彼と対面したとき、絶対に彼を雇いたいと思いました。現在、彼はここ(リヴァプール)にいて、共に働いていますよ。彼がいない間は、彼が持つ情報を上手く活用しています。もちろんアカデミーでの指導にも用いていますよ。すごく良いものです。」
[ユルゲン・クロップ(左)と肩を組むトーマス・グロンネマーク。彼はロングスローの飛距離における世界記録も持っている。]
この分野における専門家は簡単に出会えるものではないが、リヴァプールのようなビッグクラブにそういった人がいるとなれば、クラブがスローインに注目する理由やそれに対する疑問が生じるだろう。
トーマス・グロンネマークは元フットボール選手で、デンマーク代表の陸上チームにも参加していたが、2004年にフットボールと陸上競技で培った経験を利用してスローインを発展させることを決断した。それ以来、トーマスはデンマークやドイツのクラブ、そして直近ではリヴァプールで仕事をしてきた。彼がリヴァプールに辿り着くまでは非常に長い道のりがあったが、彼は今まさに現代フットボールにおいてスローインがどれほど効果的かを証明している。
トーマスを採用したことを明かしたクロップの会見では、リヴァプールが英国で初めてスローイン専門コーチを雇ったチームだったこともあり、その目新しさが生み出す驚きについての質問がジャーナリストたちから上がった。
彼自身にとってもクロップ本人から連絡を受け、スローイン専門コーチとして働くことは大きなサプライズだったようだ。
トーマス「7月の始めにユルゲンから電話があって、そのときは留守電にメッセージを残してくれました。彼から電話がかかってくるなんて本当に驚きましたよ。メルウッド(リヴァプールの練習施設)に招待してくれて顔を合わせました。素晴らしいものでした。その日から私は、負傷しておらず休暇も取っていない選手へのスローイン指導を許可されました。まさにアドベンチャーですよ。リヴァプールで働けるのはファンタスティックな経験です。」
アンフィールド(リヴァプールの本拠地)に来て以来、ユルゲン・クロップは新たな命をクラブに注入してきた。その中には彼自身が才能を見込んだクオリティの高い選手の獲得も含まれるが、同じことは質の高いスタッフにも言える。例えば、欧州で最も評価の高いフィットネスコーチの1人であるアンドレアス・コーンマイヤーはクロップからの誘いを受けてバイエルン・ミュンヘンからリヴァプールへやって来た。
トーマスがリヴァプール行きを決断する上で、クロップが持つインパクトや影響力は無視できない。ユルゲン・クロップという男と共に働くことはフットボールの世界において多くの人間が望むものである。彼との経験についてトーマスはこう語る。
「ユルゲン・クロップと一緒に働くことは素晴らしいことです。彼はナイスガイですし、あった人すべてに対して親切に接します。そして、非常に優れた指導者でもありますから。彼は知識を吸収することが得意で、選手だけでなくスタッフからも何かを得ようとしています。だから、彼はこのチームを助けてくれるのは誰か、どんな人間ならスタッフ全体の助けになるかを見ています。それこそが私をデンマークから呼び寄せた理由だと思います。彼は既に良いシーズンを送れていたとしても、スローインという分野はまだ向上できると考えていたのです。ユルゲン・クロップという男はファンタスティックな人間で、彼と共に働くことは大きな喜びですよ。」
リヴァプールを率いているユルゲン・クロップについて確かなことは、彼が常に改善を模索してきたということだ。2年目のシーズン、リヴァプールは2015/2016シーズンの8位から4位に飛躍した。2017/2018シーズンは、リーグ戦では4位以上の地位を確立し、チャンピオンズリーグでは決勝まで辿り着いた。今季(2018/2019シーズン)の彼らはプレミアリーグのタイトルレースを牽引する存在になり、チャンピオンズリーグ優勝のチャンスもしっかり保持している。
こういった向上は、なにもリーグ順位や大会結果だけに留まらない。それは彼らのプレイスタイルにも反映されている。クロップ就任当初のリヴァプールは爆発的な攻撃の裏に脆い守備を抱えたチームだったが、今ではソリッドで統率の取れた組織的なシステムを用いて試合の主導権を握り続けるチームへと変貌した。クロップはチームが抱えていた大きな弱点を修復し、その中でスローインを改善可能な分野だと認定した。
トーマスはフルタイムでリヴァプールに勤めている訳ではないが、スローインの分析を行い、毎月の報告書を提出している。彼の主なタスクはフルバック(サイドバック)への指導になるが、アタッカーやミッドフィルダーの動きやポジション取りにまで及ぶこともある。
トーマス「技術的な部分や正確性などスローインに関する全ての分野において、フルバックを指導することがほとんどです。ただ、それだけでなく選手全体の動き方について指導することもあります。相手からのプレッシャーを受けながらスローインを行う際にどうやってスペースを作り出すか、などの戦術的な指導もします。だいたい月に1週間くらいリヴァプールで働いて、それ以外の週はデンマークから試合の分析をしてユルゲンや他のコーチに報告書を送っています。攻守を問わず全てのスローインを分析しています。1試合で行われるスローインはだいたい40~50回ほどになりますが、様々な状況があります。」
リヴァプールのフルバックたちはスローインにおいて目覚ましい成長を遂げている。相手チームがスローインを行う際には組織的なポジション取りから数多くのアドバンテージを得ており、決定機にもつなげている。攻撃におけるスローインは以前よりずっと危険なものになった。守備的な面でも、彼らがスローインから決定機を与えることはほとんど見なくなった。これも全てトーマスの指導による成果だ。
[トーマスのスローイン指導を受けているアンドリュー・ロバートソンは「スローインになるとみんなスイッチが入るんだ。どの選手も良いポジションを取れるようになったし、投げる技術も向上した。」と語る。(ESPNより)]
トーマスのスローイン哲学は主に三つのタイプで成り立っている。ロング、ファスト、クレバーだ。これらはそれぞれ異なる目的とルーティーンを有している。
トーマス「多くの人はスローインの指導と言えば、ロングスローの(ボールを遠くへ投げられるようにする)指導を思い浮かべるでしょうが、私はロング・スローイン、ファスト・スローイン、クレバー・スローインという3種類のスローインを指導しています。ロング・スローインは文字通り長い距離を投げられるようにする指導です。25~30ほどの技術的な側面について映像を使いながら指導を行います。というのも、フルバックの選手が長い距離を投げられるのはとても重要なのです。リヴァプールもそうですが、それほどロングスローを多用しないチームであっても、それでもジョー・ゴメスは世界トップクラスのロングスローを持っていますが、長い距離を投げられることはそれだけ広いエリアを活用できるということを意味するからです。」
[トーマスが世界トップクラスと絶賛するロングスローを持つジョー・ゴメス。2018年11月のイングランド対クロアチアの試合ではロングスローから貴重な同点ゴールをお膳立てした。]
トーマス「ファスト・スローインとは、素早くスローインを行うこと、あるいはカウンターアタックのようにスローインを行うことを指します。スローインにはオフサイドがありませんからね。クレバー・スローインとは、相手チームからのプレッシャーを受けている状態でもボールを保持し続けることを指します。相手チームからのプレッシャーに晒されたチームの50%以上はボールを失ってしまいます。ボールを保持し続けるのは重要ですよね。それができないと、相手にチャンスを与えることになってしまいますから。」
成長とは、クラブが支配力を求める過程の中で達成されるものだ。リヴァプールはより良いクラブになることを求める中でスローイン、そしてトーマス・グロンネマークという指導者に目を付けた。
大きな欠点を直し、さらに先へ進むための小さなステップを追い求めることは長期間に及ぶプロジェクトにおいてはよくあることだ。スローインをつぶさに観察しようと思わない人には、その進歩は気付きにくいだろう。しかし、過小評価されてきたプレイ、その重要な側面が、トップクラブが注目することで明るみに出てきたのだ。
ビチャイ・スリバッダナプラバ:レスターを世界地図に載せた男
2018年10月27日、レスターのオーナーであるビチャイ・スリバッダナプラバ氏所有のヘリコプターが墜落し、同氏を含む乗員5名が亡くなりました。タイで免税店を経営するビチャイ氏は2010年にレスター・シティを買収して以来、大量の資金をクラブに投入。プレミアリーグ昇格、奇跡的な残留、5000倍のオッズを覆してのプレミア優勝など数々の伝説的な成果を挙げてきました。今回は彼がどんな人なのかを語る記事がSkyスポーツに掲載されていましたので訳しました。元記事はこちら。
[レスターのホームであるキングパワースタジアムの外には献花台が設けられ、サポーター達が亡くなったオーナーに哀悼の意を表した。]
Skyスポーツニュース・ミッドランドでレスター・シティを15年以上に渡って取材してきたロブ・ドーセット記者は、このクラブがビチャイ・スリバッダナプラバの支援によってチャンピオンシップ(イングランド2部)からチャンピオンズリーグへと躍進するところを見てきた。
2010年にビチャイ・スリバッダナプラバがレスターの経営権を買収したとき、数少ないインタビュー取材の中でクラブを買い取った理由を問われた。
レスターのクラブカラーが、彼の経営するキングパワー・デューティーフリー(タイに本拠を置く免税店)のカンパニーカラーと同じだからだと彼は言った。しかし、タイの富豪と彼が行った投資の裏にはもっと大きなものがあったのだ。
ビチャイは静かで、控えめで、気前のいい男だった。彼はレスターというコミュニティとそこに集う人々を愛していた。サポーター達も当初は彼に疑いの目を向けていたが、ビチャイは自身の言葉を守り、遠く離れた地からクラブを経営する外国人オーナーとは違うところを見せた。
キングパワー・スタジアム(レスターのホームスタジアム)にも頻繁に足を運び、それが出来ないときでも息子のアイヤワットが観戦している。ビジネス的な関心が渦巻く世界にもかかわらず、彼らはまさしくフットボールクラブの中心にいたのだ。
[スタジアムで観戦するビチャイ・スリバッダナプラバ氏(写真右)と息子のアイヤワット氏(写真右)。]
ミラン・マンダリッチから当時チャンピオンシップにいたレスターを3900万ポンドで買い取った後、ビチャイはすぐにクラブが抱えていた1億300万ポンドの借金を肩代わりし、クラブの負債を無くした。
それ以来、大量の資金をクラブに投入し、選手層と共にインフラの改善も行った。現在も、1億ポンドをかけて新しい練習施設を建設する予定があり、自治体の許可を待っている状態だった。
彼はクラブのために投資をするだけでなく、サポーター達ともよく繋がっていた。アウェイゲームに向かうファンのために無料のバスを出し、自身の誕生日にはビールとケーキを振舞い、タオルマフラーも配布した。これらは大物選手を獲得することと比べたら些細なことかもしれないが、こういったことを通じてレスターファンの心を掴んでいったのだ。
[ビチャイ会長が自身の誕生日を祝して、観客に無料配布したカップケーキ。これの他にビールも振舞われた。]
フットボールの世界を飛び越え、ビチャイはコミュニティの持つ価値を認識していた。レスター・ロイヤル病院に対して2回に分けて100万ポンドの寄付を行ったことが知られているが、それもレスターの人々への慈善活動の一つに過ぎない。これらはフットボールとは直接関係のないことかもしれない。彼は純粋にコミュニティをより良く変えよう、その一部になろう、としたのだ。
ビチャイはクラブで働くスタッフとも近い存在だった。ベテラン選手とも強い結びつきを持ち、彼らのためになることを求め、意見も募ってきた。
2016年、誰もが不可能だと思ったプレミアリーグ優勝を成し遂げたとき、彼は気前よく選手達にスポーツカーと祝勝旅行を奢ってみせた。
選手全員を連れ出し、カジノから高級レストランまで全て奢ったのだから、もちろんクレイジーな夜になった。それでも彼にとっては高価すぎるものも、煩わしいことも無かった。
しかし、クラブを運営する上での大きな決断については、彼はしっかり引き受けた。難しい話から避けることも、日々クラブの内部で働いている人々に託すこともしなかった。
彼が下した決断の全てが、評判のいいものではなかったかもしれない。ナイジェル・ピアソン(2011年11月から2015年6月まで指揮。プレミアリーグへの昇格と、奇跡的な残留を成し遂げた。)、クラウディオ・ラニエリ(15/16シーズンから指揮。プレミアリーグ優勝へ導いた。)、クレイグ・シェイクスピア(16/17シーズン途中から指揮。チャンピオンズリーグ準々決勝へ進出させた。)を解任したことも好意的には見られていなかった。しかし、その度にビチャイはサポーター達に自分を信頼するよう求め、大部分において彼らもオーナーを信じていた。
フットボールファンというものはオーナーに常に賛同する存在ではないが、ビチャイは常にレスターのサポーター達を意識しており、彼らにとって最善を尽くしてきた。クラブとそのコミュニティ周辺における彼の存在によって、サポーター達は自信を持てたのではないだろうか。
[「彼はレスターの町を世界地図に載せた」(レスターサポータークラブ会長)と言われる程に愛されたビチャイ・スリバッダナプラバ氏。彼の功績、レスターへの思いはこれからも語り継がれていくことだろう。]
しかしながら、彼がこの町に残した最後のレガシーは、彼がもたらした史上最も有名なプレミアリーグ優勝になってしまった。レスターという町の伝説に彼の名前は刻まれ、彼と息子のアイヤワットがプレミアリーグ・トロフィーを掲げるイメージはいつまでも人々の記憶に残る。
レスターのファンはこれまでも彼の銅像を建てることを求めてきた。サポーター達がオーナーの銅像を求めるなんていつ以来だろう?こういった名誉は、通常は英雄的な選手に贈られるものだ。しかしながら、ビチャイは単なるフットボールクラブのオーナーを超えた存在である。そういった栄誉を受けるのに、これ以上に相応しい人はいないだろう。
アトレティコを支える鬼コーチ:オスカル・オルテガ(Tifo Football)
現在の欧州フットボールにおいて最もタフなチームの一つであるアトレティコ・マドリード。彼らを裏で支えているのがフィットネスコーチのオスカル・オルテガです。緻密な計算に基づく猛練習で選手を鍛え上げ、シメオネ監督の要求に応えられるだけの肉体を作り上げる仕事をしています。今回はTifo Footballに載っていた彼についての記事を訳しました。元記事はこちら。
スポーツ界における全ての成功の背後には、鞭を携えた厳しいトレーナーが存在しているものだ。アトレティコ・マドリードの場合はオスカル・オルテガがそれに当たる。‘El Profe’『プロフェッサー』として知られている彼は小柄な60歳のウルグアイ人で、ディエゴ・シメオネが監督になって以降のロス・ロヒブランコス(アトレティコの愛称。赤と白の意。)が成し遂げた全ての成功の主要因である。
[練習を指導するオルテガ(写真手前)とそれを見守るシメオネ監督(写真中央奥)]
映画『ロッキー』に登場するトレーナー、ミッキー・ゴールドミルの言葉を借りるなら、雷を吐き出すためには稲妻を喰らう必要がある。オルテガはこの言葉の信奉者だ。成分が正しく形にならない限り、成功は絶対に実現しないのだ。
アトレティコのフィットネスコーチとして、オルテガはシメオネが頭に描く猛進的なプレイを促進すること、過酷なシーズンを確実に走り切らせることへの責任を負っている。バルセロナやレアル・マドリードなどチャンピオンズリーグを戦う他の巨大クラブとアトレティコの経営的なリソースを比較した場合、アトレティコは1試合あたり数百メートル余分に走ることでその差を埋めなければならない。
これは2011年以来、変わらないことだ。その年の12月に監督に就任したシメオネは、オルテガを招聘した。このペアが初めて出会ったのは、オルテガがグレゴリオ・マンサーノ率いるアトレティコでフィットネスコーチを務めていたときだ。当時、シメオネは選手として所属していた。自身と同じ南米出身のコーチにいたく感銘を受けたシメオネは、2006年にラシンクラブで指導者として走り始めた際にオルテガをフィットネスコーチとして呼んだ。彼ら二人はそれ以来、アルゼンチン、イタリア、そしてスペインの首都へ職場を変えても常に一緒に働いてきた。奇しくも、シメオネの前にアトレティコの監督を務めていたのは前述のマンサーノだった。
オルテガのバックグラウンドは広い。世紀が変わる頃にセビージャにやってくる前はメキシコ、コロンビア、日本と非常に広範囲で仕事をしてきた。フットボールのバックグラウンドも備えているが、指導者として初期のキャリアにおいて彼が収入源としてきたのはラグビーである。ウルグアイの首都であるモンテビデオにあるブリティッシュ・カレッジで指導していたのだ。
フットボールの方に重きを置いていく中でも、オルテガはフットボール選手の調子や強度を保つ方法についての情報をラグビーに求め続けた。「ラグビーには(フットボールへ)転用可能なことがあります。例えば、どこへプレッシャーを掛けたら適切か、どのようにタックルすべきか、どのようにチームとして活動するか、などです。」これはオルテガがかつてエル・パイス紙のインタビューで語った言葉だ。
オルテガを現在のエリートフィットネスコーチにしたのはラグビーだけではない。彼は有用な情報を様々な職業、スポーツから収集している。最大酸素摂取量など彼が備えるインテリジェンスとリサーチ量は13/14シーズンにリーガを制したクラブにとって非常に重要なものだった。しかし、他のフィットネスコーチには真似のできない直感的なものもある。「説明できない非論理的なこともあります。たとえ千冊の本を読んでも分からないことです。」彼は自身のアプローチについて、かつてこう語っていた。
彼の指導方法をよく見ると、オーソドックスなものに紛れて、従来の型には無いものもいくつか存在している。最も素晴らしいことは彼が選手達から愛と尊敬を集めていることだ。それは『生き地獄』と形容されるほどの状況に選手達を放り込む張本人だったしても、である。
プレシーズンの間、アトレティコはマドリード郊外のセゴヴィアで過ごすのがお馴染みだ。そこで、このウルグアイ人コーチは選手達を1日14時間走らせる。走らせて、走らせて、走らせるのだ。休憩は合間で摂る食事の時間だけ。選手達はゴルフコースの中にある丘を昇り降りさせられる。消耗し切った選手達が吐くことでお馴染みの茂みもある。これら全ての練習は過酷な夏の太陽の下で行われ、オルテガはいかなるサボりも許さない。これまでにこんな経験をしたことが無い新加入選手はしばしばショックを受けるが、オルテガへのリスペクトが損なわれることは無い。彼のウィットと愛情に触れてしまうと、嫌悪するのは難しい。
[左からオルテガ、監督のシメオネ、そしてアシスタントコーチのヘルマン・ブルゴス。この3人が現在のアトレティコをベンチから牽引している。]
他の多くのフィットネスコーチと同じように、オルテガも自身が手本を示し、これらのランニングの大部分に参加する。60歳になった今でも彼は非常に元気で、毎朝ランニングに出かける。それはアトレティコが遠征したときも変わらず、ロンドンでもミラノでもモスクワでも彼は走っている。他のコーチ達と同じだけ長く働き、シメオネからは彼の右腕であるヘルマン・ブルゴスに次ぐ信頼を得ている。オルテガの持つ戦術的な指導は尊重されており、シメオネも次の対戦相手の傾向に合わせたフィットネストレーニングを行うことを許している。また、そのトレーニングも実際の試合に限りなく近づけたものだ。それぞれのメニューの合間はほとんど取らず、シャトルランがずっと続くような、実際のフットボールの試合における90分間のような練習を行う。
また、選手それぞれに応じた個別のプランもある。17/18シーズンの始め、夏の間ジムと練習場から離れていたディエゴ・コスタの調子を取り戻させる際に、オルテガは素晴らしい仕事をした。チェルシーからの移籍が叶い、マドリードへ到着したコスタは、プレイ可能になる2018年1月までにオルテガが自身を復調させてくれると分かっていた。「彼なら俺をシャープにしてくれる。」マドリードのバラハス空港でジャーナリストにコスタはこう答えた。「体重計に乗るのなんか怖くないさ。怖いのはオルテガの練習だけだよ!」とジョークも飛ばしていた。果たして、オルテガはコスタがもう一度プレイできる状態になるよう全力で取り組んだ。そして、ストライカーは復帰からの4試合で3得点を挙げてみせた。
[チェルシーからの移籍問題によって練習が出来ていなかったディエゴ・コスタ(写真左)を指導するオルテガ(中央)。]
交代策についても、オルテガの意見は尊重されている。なぜなら、彼は他の誰よりもどの選手が(お決まりの表現ではあるが)フレッシュレッグかを知っているからだ。「交代選手がチームを上向かせてくれたら、それは素晴らしいことです。しかし、投入された選手がチームのレベルを落とさなかった場合にも称賛します。」これはアトレティコというチームにおける後半の交代についてのオルテガの見解だ。彼は46分からサイドラインで選手達をストレッチさせ、誰が呼ばれてもいいように準備をさせる。その姿勢は試合前に行う激しいウォームアップと変わらない。これこそがアトレティコの選手達の怪我が少ない理由の一つだ。
オルテガによる最も重大な貢献は、スカッドの循環器系機能を保たせるところにある。セゴヴィアのゴルフコースで行われた走り込みがその助けになっているのだが、他の欧州のエリートクラブと同じくらいの試合を戦う中で調子を落とさないアトレティコの能力は他に類を見ない。選手達は毎朝体重を測らされるという事実(正しい数値でない場合、他の選手達に公表させられる)が、オルテガが日々どれほど注意深く仕事をしているかを表している。
オルテガこそが、13/14シーズン最終戦、バルセロナへの攻勢を維持し続け、栄冠を勝ち取れた理由である。彼こそが、15/16シーズンに年間57試合を戦い抜けた理由だ。彼こそが、17/18シーズンのヨーロッパリーグ準決勝、80分もの間を10人で戦いながらアーセナルに抵抗できた理由だ。彼こそがアトレティコ・マドリードに3つ目の肺をもたらした男なのだ。
名コメンテーター達が明かす、マイクロフォンの向こう側の世界(Goal)
テレビやPCなど画面を通してのスポーツ観戦を声でサポートしてくれる実況・コメンタリーについての記事がGoal英語版に上がっていました。ESPNやBBCなどの放送局で数々のビッグマッチに声を吹き込んできた何人かのアナウンサーの言葉を通じて「コメンテーターになるとは何なのか?」「本当に必要な声とはどんなものなのか?」を探ります。元記事はこちら。
[イングランドで最も有名なコメンテーターの1人であるマーティン・タイラー(画像左)。右は解説のギャリー・ネヴィル。]
偉大な試合の数々の詳細を描写してきた彼らの声は、この業界に存在するものの中で最も目立つものの一つと言える。しかし、コメンテーターになるとは一体どういうことなのだろうか?
フットボールの歴史に残る有名な瞬間を思い浮かべてほしい。選手の動き、ネットを揺らすボール、チームメイトやサポーター達が歓喜に沸く姿を脳内に映し出すだろう。一連のプレイを詩的に描写する音声と共に。
いくつかの象徴的なゴールはコメンタリーと本質的に結びついているものだ。例えば、2012年にマンチェスターシティの優勝を決定づけたゴール。(実況の)マーティン・タイラーは「アグエロオオオォォォォ」と絶叫した後にこう言った。「私は誓います。この先、こんなものは絶対に見られないでしょう。だからこそ、ご覧ください。味わってください。」
[11/12シーズンの最終節、93分20秒にアグエロのゴールが決まり、マンチェスター・シティが悲願のプレミア初優勝を成し遂げた。動画はマンチェスター・シティ公式があげているドキュメンタリー。実況を担当したタイラーもインタビューに応えており、あの名実況を聞くこともできる。]
コメンタリーは我々のフットボールの見方を形作る。優れたコメンテーターは何を言うべきか、いつ言うべきか、いつ黙してプレイそのものに語らせるべきかを理解している。
多くのフットボールファンには、それぞれにお気に入りのコメンテーターがいて、若いサポーター達は画面から聞こえてくる特徴的な声を見習いながら成長していく。
しかし、フットボールのコメンテーターになるにはどうすればいいのだろうか?Goalはこの業界で最も優れた何人かのコメンテーターに話を聞き、どんなことを内に秘めているのか、トップレベルのコメンテーターの人生とはどんなものなのかを探った。
フットボールの世界でコメンテーターになることは、将来の見通しの立たないものだ。ごく僅かな選ばれし者しか生涯にわたってフットボールの試合を語ることはできない。
著名な者の多くはその仕事を使命だと感じている。現在の自分がいる場所に辿り着くために人生を捧げ、競争相手から抜きん出るために膨大な時間のハードワークと訓練をし、多数の視聴者に声を聞かせるに至ったのだ。
コメンタリーの世界で仕事を得ることは難しい。機会を得るのは常に簡単ではなく、業界に飛び込むための鍵となり得るのは忍耐とコネクションだ。アメリカの視聴者にはチャンピオンズリーグの実況でお馴染みのデレク・レイは、BBCやESPN、BT Sportなどのチャンネルで働いてきた。今ではFIFA(ビデオゲーム)に収録されているコメンテーターの1人でもある彼は、生涯にわたってこの業界で働き続けてきたが、多くの時間を捧げて努力をした末に現在の地位がある。
「すごく小さい頃から願ってきたことですよ。」レイはGoalに語る。「テープを作り始めたのは7歳の頃です。アバディーン(スコットランド)に住んでいて、1974年のワールドカップについてのテープを作りました。この大会は私が心から夢中になった初めてのトーナメントでした。その時点で、私は自身が何になりたいのかを知っていたのでしょう。」
[デレク・レイ。欧州各国のリーグ戦、チャンピオンズリーグなどの大陸コンペティション、ワールドカップなど数多くの試合を実況してきた。サッカーゲームのFIFAシリーズにも実況として参加している。]
「でも、やりたいと願うことと実際にそれを行うことは別物です。11歳か12歳のとき、アバディーンにあるクラブのリザーブチームの試合によく行っていたのですが、そこで自分でテープを作ってましたね。周りの人は変な奴だと思ったんでしょう。『自分でテープを作るなんて変わったガキだな』って言ってましたよ。13歳になると、病院内のラジオに出向いて、患者向けの番組を制作していました。そのラジオでアバディーンの試合中継を流すときに実況の仕事を貰っていました。チームを毎週追いかけるコミュニティラジオもローカル放送局も無かったからです。結局、大学に行くまでやり続けました。」
「私は憧れのコメンテーターだったデヴィッド・フランシーに手紙を書いたこともあります。彼はスコットランドのフットボールの声とでも言うべき存在でした。私は彼のスコットランド特有の豊かな放送スタイルを崇拝していました。大学に通っていた19歳の頃に彼の元へ自分のテープを送ったら、アドバイスの返事が送られてくる代わりに私をBBCに紹介してくれたのです。プロデューサーから連絡を貰った私は、19歳にして声を放送に乗せるに至りました。私が2回目にコメンテーターとして担当した試合は、1986年にウェンブリーで行われたイングランド代表とスコットランド代表の試合でした。その日はデヴィッドが出演できなかったので私に出番が来ました。」
≪コメンテーターになるための大学の講座・コースは?≫
イギリス、アメリカ、そして世界中の多くの大学が、スポーツ・コメンタリーの世界でキャリアを築くことの助けになりそうなコースを用意している。
フットボール・コメンタリーの世界に通じるコースは一つだけではなく、多様な道が存在する。リーズ・トリニティ大学やサウサンプトン・ソレント大学、ロンドン芸術大学のような場所ではスポーツジャーナリズムの学位を得ることができる。そこではスキル、そしてスポーツメディアとの多種多様な接点を育てられる。
現在、多くのコメンテーターが通っているコースとしては放送・ジャーナリズム学がポピュラーだ。talkSport、BBC、RTEなどで豊富な実況経験を持つケヴィン・ハチャードは、現在イギリスにおけるブンデスリーガ放送の主要コメンテーターだが、この業界に入るためにイギリスの大学へ通っていた。
「ノッティンガム・トレント大学の放送・ジャーナリズムのコースに通っていました。」ハチャードはGoalに語る。「アダム・サマートン(BT Sport)、マーク・スコット(BBC)、フィル・ブラッカー(Sky Sports)など多くのコメンテーターが、こういったところから輩出されています。このコースを経た人の成功割合を見れば、有益な効果があると分かるでしょう。」
「私の経験から言えば、職業訓練的なコースは理論に重きを置いたコースよりも間違いなく優れています。放送・ジャーナリズムのコースも本当に良かったです。これこそが成功のために欠かせないものと言うわけではないですが、害になることは有り得ません。編集などの授業を通じてシャープで整った放送原稿を書けるようになり、ラジオやテレビのニュース編集室で求められていることを学びます。同じ夢を持った者に囲まれた環境ですから、成功するためにどれほど真剣にならなければいけないかも分かります。」
≪コメンテーターになるってどういうこと?≫
フットボール・コメンテーターとしての人生はとてもグラマラスなものになる可能性がある。チャンピオンズリーグからワールドカップ、大量得点の入るローカルなダービーマッチ、タイトルの懸かった試合を視聴者に届けることができるのだ。
前述のデレク・レイは、リヴァプールが見せたチャンピオンズリーグ史上に残る大勝利が最も思い出深いゲームとし、ヨーロッパのエリートクラブが競い合ってきた2000年代を振り返って語った。「チャンピオンズリーグはコメンテーターとして本当に多くのものを与えてくれました。世界中の人が楽しんでくれていることを望みます。2005年、イスタンブールでの決勝、リヴァプールは下馬評を覆してミランを倒しました。ESPNの中継でその場にいられたことは、とてもラッキーなことでしたね。試合後にプロデューサーにこう言ったのを覚えています。『こんな決勝はこの先もう経験できないだろうね』って。声を吹き込む仕事を続けて来た中で、コメンテーターとして、あれ以上に良い経験があるとは思いませんよ。」
[04/05シーズンのチャンピオンズリーグ決勝、前半のうちに3-0と大劣勢に立たされたリヴァプールだったが、54分のジェラードのゴールから立て続けに3得点を挙げる猛反撃。勢いそのままにPK戦も制しビッグイヤーを掲げた。]
しかしながら、彼はこの仕事を得ることが非常に挑戦的なことで、トップに居続けることが大変な困難を伴うという点も強調した。彼は(コメンテーターになるという)目標を達成するために必要なことが備わっていると自信を持つ若者へアドバイスを送るのが大好きだ。しかし、どんなに夢に忠実な者であっても、歌手がワールドツアーに回る前にそうしていたように、フルタイムで働きながら自らの声を育てることはとても大変だと確信している。
「第一に、この業界に入り込むこと自体が非常に難しいと認識することです。」レイは語る。「我慢もしなければなりませんし、成功できると期待を持つこともいけません。現実は厳しいのです。物凄い量の努力と時間を注ぎ込む必要があります。これはどれだけ強調したとしても足りないことですが、自身の声を鍛えることも不可欠です。この仕事は叫ぶだけじゃありません。歌手のようなものなのです。声のプロなのですから、自身の声は楽器にするように扱わなければなりません。」
「そして、それを心から愛し、コメンテーターという仕事はフットボールの外側に位置する仕事だと認識することです。フットボールへの愛は必要不可欠です。それは重要なことですが、放送という行為への愛も必要です。また、自らの技術を磨くためには膨大な時間をかけなければいけませんが、その中で目標とする水準に達するまでに多くの年月が必要なことにも気付くべきです。私が駆け出しの頃の作品を聞き返しますが、そんなに良いものじゃありません。最終的には自分自身が最も厳しい批判者になるのです。」
「もしかしたら、私の言ったことは業界を目指す人にとってはハッとさせられるような言葉かもしれません。ですが、これらの言葉はそれぞれバラバラに存在するわけではなく、全てが通じ合うものなのです。大変な量の時間をかけた努力も要りますし、その道のりには非常に多くの障害が出てくることでしょう。多くの人は画面の前に座って喋れてるんだから自分にだって(コメンテーターの仕事は)できるだろうと考えています。しかし、90分間ぶっ続けで、淀みなく喋れますか?難しい仕事ですし、ソーシャルメディア隆盛の時代ですから面の皮も今までよりも厚くなければいけません。しかし、それらをくぐり抜けて来られれば、素晴らしい仕事ですよ。」
≪コメンテーターはどうやって試合の準備をしている?≫
チームがそれぞれ異なった方法で試合の準備をし、監督達がそれぞれの方法で試合毎のアプローチをしていくように、同じ方法で準備を行うコメンテーターは存在しない。
コメンテーターは試合の日にひょっこり現れて、観たままを喋っている訳ではなく、試合前に上がってくる情報を注視し長期間のデータベースを作り、スプレッドシートやノートにチームごとに使えそうな情報を記録していくのだ。
「私は(週末に試合があるときは)月曜日から準備を始めますね」こう語るのは前述のケヴィン・ハチャードだ。「担当するチームの過去の試合を見ます。それと同時に目についた細かいニュースなんかも集め始めます。移籍についての監督・コーチのコメントから、もしかしたら笑っちゃうようなことまで、対象は様々です。私はスタッツや公式の文書には出てこないような面白いこと、おかしなことが好きですね。」
「情報や追いかけてきたストーリなどを記録したデータベースもあります。ある週ではその情報を使えなくても、時間が経って次にそのチームを担当したときには使えるかもしれませんから。木曜日になったら、ステッカーとスタッツを貼り合わせ始めます。両チーム全ての選手のステッカーを貼りますね。そして、自分にとって重要だと思う情報を4行ほど記します。選手の年齢については、全てのステッカー1枚1枚に選手の年齢を記入してる人がいるのは知ってますが、私はこの選手が26歳なのか27歳なのかなんてことは気にしません。19歳か35歳か、は重要ですが。」
「ある選手が特定のチームに対して優れた成績を残していたり、メインストーリーに絡むかもしれないチームに対して何か煽るようなことを言っていた選手がいたりしたら、ノートに記入します。もしくは、軽い情報、例えば新しいタトゥーを入れたとか、そういうものも入ってきます。私は全てのチームのステッカーセットを持っていますし、それぞれのチームの過去の記録、例えば守備の成績や最後に優勝したときのこと、対戦相手との戦績、最近の星取りなどのセットもあります。」
「各チームのスタッツと同じように、各チームのニュースラインもまとめます。監督・コーチが自分のチームについて語ったこと、相手チームについて語ったこと、選手が話した面白そうなことなどです。それらから最終的に作り出されるのは3から4枚のシートで、フォーメーションも見られるようメインのノートにステッカーを貼ります。」
「もし何か気になることを読んだりテレビで見たり、ツイッターで見かけたりしたら、携帯電話に記録して自分宛てに送信します。そして、自分のコンピューターにあるデータベースへコピーしています。」
「これが私の準備の仕方です。全てのコメンテーターは全く別の方法でやっています。私と全く同じ方法で行っているという人を見たことはありませんね。また、2人のコメンテーターがそれぞれ同じように準備しているというのも見たことがありません。」