With Their Boots.

ビチャイ・スリバッダナプラバ:レスターを世界地図に載せた男

2018年10月27日、レスターのオーナーであるビチャイ・スリバッダナプラバ氏所有のヘリコプターが墜落し、同氏を含む乗員5名が亡くなりました。タイで免税店を経営するビチャイ氏は2010年にレスター・シティを買収して以来、大量の資金をクラブに投入。プレミアリーグ昇格、奇跡的な残留、5000倍のオッズを覆してのプレミア優勝など数々の伝説的な成果を挙げてきました。今回は彼がどんな人なのかを語る記事がSkyスポーツに掲載されていましたので訳しました。元記事はこちら


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[レスターのホームであるキングパワースタジアムの外には献花台が設けられ、サポーター達が亡くなったオーナーに哀悼の意を表した。]

 

Skyスポーツニュース・ミッドランドでレスター・シティを15年以上に渡って取材してきたロブ・ドーセット記者は、このクラブがビチャイ・スリバッダナプラバの支援によってチャンピオンシップ(イングランド2部)からチャンピオンズリーグへと躍進するところを見てきた。

 

2010年にビチャイ・スリバッダナプラバがレスターの経営権を買収したとき、数少ないインタビュー取材の中でクラブを買い取った理由を問われた。

 

レスターのクラブカラーが、彼の経営するキングパワー・デューティーフリー(タイに本拠を置く免税店)のカンパニーカラーと同じだからだと彼は言った。しかし、タイの富豪と彼が行った投資の裏にはもっと大きなものがあったのだ。

 

ビチャイは静かで、控えめで、気前のいい男だった。彼はレスターというコミュニティとそこに集う人々を愛していた。サポーター達も当初は彼に疑いの目を向けていたが、ビチャイは自身の言葉を守り、遠く離れた地からクラブを経営する外国人オーナーとは違うところを見せた。

 

キングパワー・スタジアム(レスターのホームスタジアム)にも頻繁に足を運び、それが出来ないときでも息子のアイヤワットが観戦している。ビジネス的な関心が渦巻く世界にもかかわらず、彼らはまさしくフットボールクラブの中心にいたのだ。

 

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[スタジアムで観戦するビチャイ・スリバッダナプラバ氏(写真右)と息子のアイヤワット氏(写真右)。]

 

ミラン・マンダリッチから当時チャンピオンシップにいたレスターを3900万ポンドで買い取った後、ビチャイはすぐにクラブが抱えていた1億300万ポンドの借金を肩代わりし、クラブの負債を無くした。

 

それ以来、大量の資金をクラブに投入し、選手層と共にインフラの改善も行った。現在も、1億ポンドをかけて新しい練習施設を建設する予定があり、自治体の許可を待っている状態だった。

 

彼はクラブのために投資をするだけでなく、サポーター達ともよく繋がっていた。アウェイゲームに向かうファンのために無料のバスを出し、自身の誕生日にはビールとケーキを振舞い、タオルマフラーも配布した。これらは大物選手を獲得することと比べたら些細なことかもしれないが、こういったことを通じてレスターファンの心を掴んでいったのだ。

 

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[ビチャイ会長が自身の誕生日を祝して、観客に無料配布したカップケーキ。これの他にビールも振舞われた。]

 

フットボールの世界を飛び越え、ビチャイはコミュニティの持つ価値を認識していた。レスター・ロイヤル病院に対して2回に分けて100万ポンドの寄付を行ったことが知られているが、それもレスターの人々への慈善活動の一つに過ぎない。これらはフットボールとは直接関係のないことかもしれない。彼は純粋にコミュニティをより良く変えよう、その一部になろう、としたのだ。

 

ビチャイはクラブで働くスタッフとも近い存在だった。ベテラン選手とも強い結びつきを持ち、彼らのためになることを求め、意見も募ってきた。

 

2016年、誰もが不可能だと思ったプレミアリーグ優勝を成し遂げたとき、彼は気前よく選手達にスポーツカーと祝勝旅行を奢ってみせた。

 

選手全員を連れ出し、カジノから高級レストランまで全て奢ったのだから、もちろんクレイジーな夜になった。それでも彼にとっては高価すぎるものも、煩わしいことも無かった。

 

しかし、クラブを運営する上での大きな決断については、彼はしっかり引き受けた。難しい話から避けることも、日々クラブの内部で働いている人々に託すこともしなかった。

 

彼が下した決断の全てが、評判のいいものではなかったかもしれない。ナイジェル・ピアソン(2011年11月から2015年6月まで指揮。プレミアリーグへの昇格と、奇跡的な残留を成し遂げた。)、クラウディオ・ラニエリ(15/16シーズンから指揮。プレミアリーグ優勝へ導いた。)、クレイグ・シェイクスピア(16/17シーズン途中から指揮。チャンピオンズリーグ準々決勝へ進出させた。)を解任したことも好意的には見られていなかった。しかし、その度にビチャイはサポーター達に自分を信頼するよう求め、大部分において彼らもオーナーを信じていた。

 

フットボールファンというものはオーナーに常に賛同する存在ではないが、ビチャイは常にレスターのサポーター達を意識しており、彼らにとって最善を尽くしてきた。クラブとそのコミュニティ周辺における彼の存在によって、サポーター達は自信を持てたのではないだろうか。

 

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[「彼はレスターの町を世界地図に載せた」(レスターサポータークラブ会長)と言われる程に愛されたビチャイ・スリバッダナプラバ氏。彼の功績、レスターへの思いはこれからも語り継がれていくことだろう。]

 

しかしながら、彼がこの町に残した最後のレガシーは、彼がもたらした史上最も有名なプレミアリーグ優勝になってしまった。レスターという町の伝説に彼の名前は刻まれ、彼と息子のアイヤワットがプレミアリーグ・トロフィーを掲げるイメージはいつまでも人々の記憶に残る。

 

レスターのファンはこれまでも彼の銅像を建てることを求めてきた。サポーター達がオーナーの銅像を求めるなんていつ以来だろう?こういった名誉は、通常は英雄的な選手に贈られるものだ。しかしながら、ビチャイは単なるフットボールクラブのオーナーを超えた存在である。そういった栄誉を受けるのに、これ以上に相応しい人はいないだろう。

アトレティコを支える鬼コーチ:オスカル・オルテガ(Tifo Football)

現在の欧州フットボールにおいて最もタフなチームの一つであるアトレティコ・マドリード。彼らを裏で支えているのがフィットネスコーチのオスカル・オルテガです。緻密な計算に基づく猛練習で選手を鍛え上げ、シメオネ監督の要求に応えられるだけの肉体を作り上げる仕事をしています。今回はTifo Footballに載っていた彼についての記事を訳しました。元記事はこちら


スポーツ界における全ての成功の背後には、鞭を携えた厳しいトレーナーが存在しているものだ。アトレティコ・マドリードの場合はオスカル・オルテガがそれに当たる。‘El Profe’『プロフェッサー』として知られている彼は小柄な60歳のウルグアイ人で、ディエゴ・シメオネが監督になって以降のロス・ロヒブランコス(アトレティコの愛称。赤と白の意。)が成し遂げた全ての成功の主要因である。

 

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[練習を指導するオルテガ(写真手前)とそれを見守るシメオネ監督(写真中央奥)]

 

映画『ロッキー』に登場するトレーナー、ミッキー・ゴールドミルの言葉を借りるなら、雷を吐き出すためには稲妻を喰らう必要がある。オルテガはこの言葉の信奉者だ。成分が正しく形にならない限り、成功は絶対に実現しないのだ。

 

アトレティコのフィットネスコーチとして、オルテガシメオネが頭に描く猛進的なプレイを促進すること、過酷なシーズンを確実に走り切らせることへの責任を負っている。バルセロナレアル・マドリードなどチャンピオンズリーグを戦う他の巨大クラブとアトレティコの経営的なリソースを比較した場合、アトレティコは1試合あたり数百メートル余分に走ることでその差を埋めなければならない。

 

これは2011年以来、変わらないことだ。その年の12月に監督に就任したシメオネは、オルテガを招聘した。このペアが初めて出会ったのは、オルテガグレゴリオ・マンサーノ率いるアトレティコでフィットネスコーチを務めていたときだ。当時、シメオネは選手として所属していた。自身と同じ南米出身のコーチにいたく感銘を受けたシメオネは、2006年にラシンクラブで指導者として走り始めた際にオルテガをフィットネスコーチとして呼んだ。彼ら二人はそれ以来、アルゼンチン、イタリア、そしてスペインの首都へ職場を変えても常に一緒に働いてきた。奇しくも、シメオネの前にアトレティコの監督を務めていたのは前述のマンサーノだった。

 

オルテガのバックグラウンドは広い。世紀が変わる頃にセビージャにやってくる前はメキシコ、コロンビア、日本と非常に広範囲で仕事をしてきた。フットボールのバックグラウンドも備えているが、指導者として初期のキャリアにおいて彼が収入源としてきたのはラグビーである。ウルグアイの首都であるモンテビデオにあるブリティッシュ・カレッジで指導していたのだ。

 

フットボールの方に重きを置いていく中でも、オルテガフットボール選手の調子や強度を保つ方法についての情報をラグビーに求め続けた。「ラグビーには(フットボールへ)転用可能なことがあります。例えば、どこへプレッシャーを掛けたら適切か、どのようにタックルすべきか、どのようにチームとして活動するか、などです。」これはオルテガがかつてエル・パイス紙のインタビューで語った言葉だ。

 

オルテガを現在のエリートフィットネスコーチにしたのはラグビーだけではない。彼は有用な情報を様々な職業、スポーツから収集している。最大酸素摂取量など彼が備えるインテリジェンスとリサーチ量は13/14シーズンにリーガを制したクラブにとって非常に重要なものだった。しかし、他のフィットネスコーチには真似のできない直感的なものもある。「説明できない非論理的なこともあります。たとえ千冊の本を読んでも分からないことです。」彼は自身のアプローチについて、かつてこう語っていた。

 

彼の指導方法をよく見ると、オーソドックスなものに紛れて、従来の型には無いものもいくつか存在している。最も素晴らしいことは彼が選手達から愛と尊敬を集めていることだ。それは『生き地獄』と形容されるほどの状況に選手達を放り込む張本人だったしても、である。

 

プレシーズンの間、アトレティコマドリード郊外のセゴヴィアで過ごすのがお馴染みだ。そこで、このウルグアイ人コーチは選手達を1日14時間走らせる。走らせて、走らせて、走らせるのだ。休憩は合間で摂る食事の時間だけ。選手達はゴルフコースの中にある丘を昇り降りさせられる。消耗し切った選手達が吐くことでお馴染みの茂みもある。これら全ての練習は過酷な夏の太陽の下で行われ、オルテガはいかなるサボりも許さない。これまでにこんな経験をしたことが無い新加入選手はしばしばショックを受けるが、オルテガへのリスペクトが損なわれることは無い。彼のウィットと愛情に触れてしまうと、嫌悪するのは難しい。

 

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[左からオルテガ、監督のシメオネ、そしてアシスタントコーチのヘルマン・ブルゴス。この3人が現在のアトレティコをベンチから牽引している。]

 

他の多くのフィットネスコーチと同じように、オルテガも自身が手本を示し、これらのランニングの大部分に参加する。60歳になった今でも彼は非常に元気で、毎朝ランニングに出かける。それはアトレティコが遠征したときも変わらず、ロンドンでもミラノでもモスクワでも彼は走っている。他のコーチ達と同じだけ長く働き、シメオネからは彼の右腕であるヘルマン・ブルゴスに次ぐ信頼を得ている。オルテガの持つ戦術的な指導は尊重されており、シメオネも次の対戦相手の傾向に合わせたフィットネストレーニングを行うことを許している。また、そのトレーニングも実際の試合に限りなく近づけたものだ。それぞれのメニューの合間はほとんど取らず、シャトルランがずっと続くような、実際のフットボールの試合における90分間のような練習を行う。

 

また、選手それぞれに応じた個別のプランもある。17/18シーズンの始め、夏の間ジムと練習場から離れていたディエゴ・コスタの調子を取り戻させる際に、オルテガは素晴らしい仕事をした。チェルシーからの移籍が叶い、マドリードへ到着したコスタは、プレイ可能になる2018年1月までにオルテガが自身を復調させてくれると分かっていた。「彼なら俺をシャープにしてくれる。」マドリードのバラハス空港でジャーナリストにコスタはこう答えた。「体重計に乗るのなんか怖くないさ。怖いのはオルテガの練習だけだよ!」とジョークも飛ばしていた。果たして、オルテガはコスタがもう一度プレイできる状態になるよう全力で取り組んだ。そして、ストライカーは復帰からの4試合で3得点を挙げてみせた。

 

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[チェルシーからの移籍問題によって練習が出来ていなかったディエゴ・コスタ(写真左)を指導するオルテガ(中央)。]

 

交代策についても、オルテガの意見は尊重されている。なぜなら、彼は他の誰よりもどの選手が(お決まりの表現ではあるが)フレッシュレッグかを知っているからだ。「交代選手がチームを上向かせてくれたら、それは素晴らしいことです。しかし、投入された選手がチームのレベルを落とさなかった場合にも称賛します。」これはアトレティコというチームにおける後半の交代についてのオルテガの見解だ。彼は46分からサイドラインで選手達をストレッチさせ、誰が呼ばれてもいいように準備をさせる。その姿勢は試合前に行う激しいウォームアップと変わらない。これこそがアトレティコの選手達の怪我が少ない理由の一つだ。

 

オルテガによる最も重大な貢献は、スカッドの循環器系機能を保たせるところにある。セゴヴィアのゴルフコースで行われた走り込みがその助けになっているのだが、他の欧州のエリートクラブと同じくらいの試合を戦う中で調子を落とさないアトレティコの能力は他に類を見ない。選手達は毎朝体重を測らされるという事実(正しい数値でない場合、他の選手達に公表させられる)が、オルテガが日々どれほど注意深く仕事をしているかを表している。

 

オルテガこそが、13/14シーズン最終戦バルセロナへの攻勢を維持し続け、栄冠を勝ち取れた理由である。彼こそが、15/16シーズンに年間57試合を戦い抜けた理由だ。彼こそが、17/18シーズンのヨーロッパリーグ準決勝、80分もの間を10人で戦いながらアーセナルに抵抗できた理由だ。彼こそがアトレティコ・マドリードに3つ目の肺をもたらした男なのだ。

名コメンテーター達が明かす、マイクロフォンの向こう側の世界(Goal)

テレビやPCなど画面を通してのスポーツ観戦を声でサポートしてくれる実況・コメンタリーについての記事がGoal英語版に上がっていました。ESPNBBCなどの放送局で数々のビッグマッチに声を吹き込んできた何人かのアナウンサーの言葉を通じて「コメンテーターになるとは何なのか?」「本当に必要な声とはどんなものなのか?」を探ります。元記事はこちら


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[イングランドで最も有名なコメンテーターの1人であるマーティン・タイラー(画像左)。右は解説のギャリー・ネヴィル。]

 

偉大な試合の数々の詳細を描写してきた彼らの声は、この業界に存在するものの中で最も目立つものの一つと言える。しかし、コメンテーターになるとは一体どういうことなのだろうか?

 

フットボールの歴史に残る有名な瞬間を思い浮かべてほしい。選手の動き、ネットを揺らすボール、チームメイトやサポーター達が歓喜に沸く姿を脳内に映し出すだろう。一連のプレイを詩的に描写する音声と共に。

 

いくつかの象徴的なゴールはコメンタリーと本質的に結びついているものだ。例えば、2012年にマンチェスターシティの優勝を決定づけたゴール。(実況の)マーティン・タイラーはアグエロオオオォォォォ」と絶叫した後にこう言った。「私は誓います。この先、こんなものは絶対に見られないでしょう。だからこそ、ご覧ください。味わってください。」

 

[11/12シーズンの最終節、93分20秒にアグエロのゴールが決まり、マンチェスター・シティが悲願のプレミア初優勝を成し遂げた。動画はマンチェスター・シティ公式があげているドキュメンタリー。実況を担当したタイラーもインタビューに応えており、あの名実況を聞くこともできる。]

 

コメンタリーは我々のフットボールの見方を形作る。優れたコメンテーターは何を言うべきか、いつ言うべきか、いつ黙してプレイそのものに語らせるべきかを理解している。

 

多くのフットボールファンには、それぞれにお気に入りのコメンテーターがいて、若いサポーター達は画面から聞こえてくる特徴的な声を見習いながら成長していく。

 

しかし、フットボールのコメンテーターになるにはどうすればいいのだろうか?Goalはこの業界で最も優れた何人かのコメンテーターに話を聞き、どんなことを内に秘めているのか、トップレベルのコメンテーターの人生とはどんなものなのかを探った。

 

フットボールの世界でコメンテーターになることは、将来の見通しの立たないものだ。ごく僅かな選ばれし者しか生涯にわたってフットボールの試合を語ることはできない。

 

著名な者の多くはその仕事を使命だと感じている。現在の自分がいる場所に辿り着くために人生を捧げ、競争相手から抜きん出るために膨大な時間のハードワークと訓練をし、多数の視聴者に声を聞かせるに至ったのだ。

 

コメンタリーの世界で仕事を得ることは難しい。機会を得るのは常に簡単ではなく、業界に飛び込むための鍵となり得るのは忍耐とコネクションだ。アメリカの視聴者にはチャンピオンズリーグの実況でお馴染みのデレク・レイは、BBCESPN、BT Sportなどのチャンネルで働いてきた。今ではFIFAビデオゲーム)に収録されているコメンテーターの1人でもある彼は、生涯にわたってこの業界で働き続けてきたが、多くの時間を捧げて努力をした末に現在の地位がある。

 

「すごく小さい頃から願ってきたことですよ。」レイはGoalに語る。「テープを作り始めたのは7歳の頃です。アバディーンスコットランド)に住んでいて、1974年のワールドカップについてのテープを作りました。この大会は私が心から夢中になった初めてのトーナメントでした。その時点で、私は自身が何になりたいのかを知っていたのでしょう。」

 

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[デレク・レイ。欧州各国のリーグ戦、チャンピオンズリーグなどの大陸コンペティション、ワールドカップなど数多くの試合を実況してきた。サッカーゲームFIFAシリーズにも実況として参加している。]

 

「でも、やりたいと願うことと実際にそれを行うことは別物です。11歳か12歳のとき、アバディーンにあるクラブのリザーブチームの試合によく行っていたのですが、そこで自分でテープを作ってましたね。周りの人は変な奴だと思ったんでしょう。『自分でテープを作るなんて変わったガキだな』って言ってましたよ。13歳になると、病院内のラジオに出向いて、患者向けの番組を制作していました。そのラジオでアバディーンの試合中継を流すときに実況の仕事を貰っていました。チームを毎週追いかけるコミュニティラジオもローカル放送局も無かったからです。結局、大学に行くまでやり続けました。」

 

「私は憧れのコメンテーターだったデヴィッド・フランシーに手紙を書いたこともあります。彼はスコットランドフットボールの声とでも言うべき存在でした。私は彼のスコットランド特有の豊かな放送スタイルを崇拝していました。大学に通っていた19歳の頃に彼の元へ自分のテープを送ったら、アドバイスの返事が送られてくる代わりに私をBBCに紹介してくれたのです。プロデューサーから連絡を貰った私は、19歳にして声を放送に乗せるに至りました。私が2回目にコメンテーターとして担当した試合は、1986年にウェンブリーで行われたイングランド代表とスコットランド代表の試合でした。その日はデヴィッドが出演できなかったので私に出番が来ました。」

 

 

≪コメンテーターになるための大学の講座・コースは?≫

 

 

イギリス、アメリカ、そして世界中の多くの大学が、スポーツ・コメンタリーの世界でキャリアを築くことの助けになりそうなコースを用意している。

 

フットボール・コメンタリーの世界に通じるコースは一つだけではなく、多様な道が存在する。リーズ・トリニティ大学やサウサンプトン・ソレント大学、ロンドン芸術大学のような場所ではスポーツジャーナリズムの学位を得ることができる。そこではスキル、そしてスポーツメディアとの多種多様な接点を育てられる。

 

現在、多くのコメンテーターが通っているコースとしては放送・ジャーナリズム学がポピュラーだ。talkSport、BBC、RTEなどで豊富な実況経験を持つケヴィン・ハチャードは、現在イギリスにおけるブンデスリーガ放送の主要コメンテーターだが、この業界に入るためにイギリスの大学へ通っていた。

 

ノッティンガムトレント大学の放送・ジャーナリズムのコースに通っていました。」ハチャードはGoalに語る。「アダム・サマートン(BT Sport)、マーク・スコット(BBC)、フィル・ブラッカー(Sky Sports)など多くのコメンテーターが、こういったところから輩出されています。このコースを経た人の成功割合を見れば、有益な効果があると分かるでしょう。」

 

「私の経験から言えば、職業訓練的なコースは理論に重きを置いたコースよりも間違いなく優れています。放送・ジャーナリズムのコースも本当に良かったです。これこそが成功のために欠かせないものと言うわけではないですが、害になることは有り得ません。編集などの授業を通じてシャープで整った放送原稿を書けるようになり、ラジオやテレビのニュース編集室で求められていることを学びます。同じ夢を持った者に囲まれた環境ですから、成功するためにどれほど真剣にならなければいけないかも分かります。」

 

 

≪コメンテーターになるってどういうこと?≫

 

 

フットボール・コメンテーターとしての人生はとてもグラマラスなものになる可能性がある。チャンピオンズリーグからワールドカップ、大量得点の入るローカルなダービーマッチ、タイトルの懸かった試合を視聴者に届けることができるのだ。

 

前述のデレク・レイは、リヴァプールが見せたチャンピオンズリーグ史上に残る大勝利が最も思い出深いゲームとし、ヨーロッパのエリートクラブが競い合ってきた2000年代を振り返って語った。チャンピオンズリーグはコメンテーターとして本当に多くのものを与えてくれました。世界中の人が楽しんでくれていることを望みます。2005年、イスタンブールでの決勝、リヴァプールは下馬評を覆してミランを倒しました。ESPNの中継でその場にいられたことは、とてもラッキーなことでしたね。試合後にプロデューサーにこう言ったのを覚えています。『こんな決勝はこの先もう経験できないだろうね』って。声を吹き込む仕事を続けて来た中で、コメンテーターとして、あれ以上に良い経験があるとは思いませんよ。」

 

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[04/05シーズンのチャンピオンズリーグ決勝、前半のうちに3-0と大劣勢に立たされたリヴァプールだったが、54分のジェラードのゴールから立て続けに3得点を挙げる猛反撃。勢いそのままにPK戦も制しビッグイヤーを掲げた。]

 

しかしながら、彼はこの仕事を得ることが非常に挑戦的なことで、トップに居続けることが大変な困難を伴うという点も強調した。彼は(コメンテーターになるという)目標を達成するために必要なことが備わっていると自信を持つ若者へアドバイスを送るのが大好きだ。しかし、どんなに夢に忠実な者であっても、歌手がワールドツアーに回る前にそうしていたように、フルタイムで働きながら自らの声を育てることはとても大変だと確信している。

 

「第一に、この業界に入り込むこと自体が非常に難しいと認識することです。」レイは語る。「我慢もしなければなりませんし、成功できると期待を持つこともいけません。現実は厳しいのです。物凄い量の努力と時間を注ぎ込む必要があります。これはどれだけ強調したとしても足りないことですが、自身の声を鍛えることも不可欠です。この仕事は叫ぶだけじゃありません。歌手のようなものなのです。声のプロなのですから、自身の声は楽器にするように扱わなければなりません。」

 

「そして、それを心から愛し、コメンテーターという仕事はフットボールの外側に位置する仕事だと認識することです。フットボールへの愛は必要不可欠です。それは重要なことですが、放送という行為への愛も必要です。また、自らの技術を磨くためには膨大な時間をかけなければいけませんが、その中で目標とする水準に達するまでに多くの年月が必要なことにも気付くべきです。私が駆け出しの頃の作品を聞き返しますが、そんなに良いものじゃありません。最終的には自分自身が最も厳しい批判者になるのです。」

 

「もしかしたら、私の言ったことは業界を目指す人にとってはハッとさせられるような言葉かもしれません。ですが、これらの言葉はそれぞれバラバラに存在するわけではなく、全てが通じ合うものなのです。大変な量の時間をかけた努力も要りますし、その道のりには非常に多くの障害が出てくることでしょう。多くの人は画面の前に座って喋れてるんだから自分にだって(コメンテーターの仕事は)できるだろうと考えています。しかし、90分間ぶっ続けで、淀みなく喋れますか?難しい仕事ですし、ソーシャルメディア隆盛の時代ですから面の皮も今までよりも厚くなければいけません。しかし、それらをくぐり抜けて来られれば、素晴らしい仕事ですよ。」

 

 

≪コメンテーターはどうやって試合の準備をしている?≫

 

 

チームがそれぞれ異なった方法で試合の準備をし、監督達がそれぞれの方法で試合毎のアプローチをしていくように、同じ方法で準備を行うコメンテーターは存在しない。

 

コメンテーターは試合の日にひょっこり現れて、観たままを喋っている訳ではなく、試合前に上がってくる情報を注視し長期間のデータベースを作り、スプレッドシートやノートにチームごとに使えそうな情報を記録していくのだ。

 

「私は(週末に試合があるときは)月曜日から準備を始めますね」こう語るのは前述のケヴィン・ハチャードだ。「担当するチームの過去の試合を見ます。それと同時に目についた細かいニュースなんかも集め始めます。移籍についての監督・コーチのコメントから、もしかしたら笑っちゃうようなことまで、対象は様々です。私はスタッツや公式の文書には出てこないような面白いこと、おかしなことが好きですね。」

 

「情報や追いかけてきたストーリなどを記録したデータベースもあります。ある週ではその情報を使えなくても、時間が経って次にそのチームを担当したときには使えるかもしれませんから。木曜日になったら、ステッカーとスタッツを貼り合わせ始めます。両チーム全ての選手のステッカーを貼りますね。そして、自分にとって重要だと思う情報を4行ほど記します。選手の年齢については、全てのステッカー1枚1枚に選手の年齢を記入してる人がいるのは知ってますが、私はこの選手が26歳なのか27歳なのかなんてことは気にしません。19歳か35歳か、は重要ですが。」

 

「ある選手が特定のチームに対して優れた成績を残していたり、メインストーリーに絡むかもしれないチームに対して何か煽るようなことを言っていた選手がいたりしたら、ノートに記入します。もしくは、軽い情報、例えば新しいタトゥーを入れたとか、そういうものも入ってきます。私は全てのチームのステッカーセットを持っていますし、それぞれのチームの過去の記録、例えば守備の成績や最後に優勝したときのこと、対戦相手との戦績、最近の星取りなどのセットもあります。」

 

「各チームのスタッツと同じように、各チームのニュースラインもまとめます。監督・コーチが自分のチームについて語ったこと、相手チームについて語ったこと、選手が話した面白そうなことなどです。それらから最終的に作り出されるのは3から4枚のシートで、フォーメーションも見られるようメインのノートにステッカーを貼ります。」

 

「もし何か気になることを読んだりテレビで見たり、ツイッターで見かけたりしたら、携帯電話に記録して自分宛てに送信します。そして、自分のコンピューターにあるデータベースへコピーしています。」

 

「これが私の準備の仕方です。全てのコメンテーターは全く別の方法でやっています。私と全く同じ方法で行っているという人を見たことはありませんね。また、2人のコメンテーターがそれぞれ同じように準備しているというのも見たことがありません。」

ベルギー代表の3分の1を育て上げたアンデルレヒトのアカデミー取材記(The Guardian)

先のワールドカップで大躍進の3位となったベルギー代表。そのメンバーの実に3分の1以上は、R.S.Cアンデルレヒトというクラブの下部組織で育ちました。多くのタイトル獲得歴を持つベルギー屈指の名門クラブであり、選手育成の面でも非常に高い評価を受けています。今回は、これまで数々の欧州クラブのアカデミーを訪問したAlex Clapham記者による取材記事を訳しました。元記事はこちら


ペーデ公園にある湖の周りを走り終えて建物に戻ってきた若い選手達は、みな握手とチークキスをしてくれた。U-21の選手達は壁に掲げられたロメロ・ルカクの肖像を通りすぎ、ジムへと向かう。

 

「我々が学校との協力を始めたのは、ロメロ(・ルカクの父親のおかげです。」こう話すのはジーン・キンダーマンアンデルレヒトのアカデミーでダイレクターを務める人物だ。「15歳の頃にロメロは有名になり始めて、彼に興味を示すクラブもたくさん出てきました。私は彼の父に『リール、ランス、オセールサンテティエンヌが息子の獲得を検討している。これら全てのクラブは学校も寮もフットボールに関係する教育も提供してくれるそうだ。全てがあるんだ。』と言われました。それから数か月後、我々はパープル・タレント・プロジェクトを開始しました。10年以上経った今では、パープル・タレント・プログラムと呼ばれています。もはやプロジェクトの段階ではないからです。」

 

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[ベルギー代表不動のストライカーであるロメロ・ルカクアンデルレヒトのアカデミー出身。]

 

「ロメロは毎朝の食事に1時間ほどかける子でした。それから勉強をしに行っていましたね。私達は子供達に過剰な情報を与えることを好みません。短い時間でインテンシティ高く活動する方が、同じことをダラダラと長い時間やるよりも良いのです。他の人と社会的な触れ合いを持つこと、様々な趣味や興味を持つことも重要です。」

 

ブリュッセルの郊外、シャレーが建ち並ぶ絵に描いたような地方の公園と教育機関の中にアンデルレヒトのトレーニングセンターは佇んでいる。この場所からお馴染みの名前が何人も選手として産声を上げてきた。その中にはロシアW杯に出場したベルギー代表23人のうちの8人も含まれている。前述のルカクヴァンサン・コンパニレアンデル・デンドンケルユーリ・ティーレマンドリエス・メルテンスアドナン・ヤヌザイミシー・バチュアイマルアン・フェライニは全てここで成長したのだ。スカッド全体の3分の1を占め、今大会8得点を挙げている(ベルギー代表のチーム総得点は16点)。

 

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[ロシアW杯に参戦したベルギー代表23人のうち、実に8人がアンデルレヒトのアカデミー出身者だ。]

 

キンダーマンは、地元の才能を見つけ出し代表選手へと育て上げるコツを自然に誇る。「U-13の年代で11人制のフットボールに移行する前の段階では、ブリュッセルに住む最高の選手を集めようとしています。U-6からU-12の年代では、地元に住む選手にだけ注目しています。特徴、年齢、文化、親に応じて、もしも本当にスペシャルな選手であれば遠く離れた場所の選手も見に行くかもしれません。しかし、その年代の少年を家族から引き離して生活させるのは非常に難しいものです。」

 

U-17の選手達はコーチのヌールディン・ムクリムの下で腕を磨いている。小さなロンド(鳥かご)は大きなポゼッション練習へと発展していく。ムクリムは10分か15分ごとに説明するために選手の輪の中に入る。U-15チームの練習場では、フィニッシュの練習が行われており、ウィングの選手がカットインしてインスイングのクロスを送っている。その中の一人のフルバックの出来に頭を悩ませてそうなコーチもいる。批判を受けたにもかかわらず、その選手は何の言い訳もしなかった。

 

キンダーマンは言う。「私達は全ての選手にそれぞれの方法で接しなくてはいけません。ここには本当に多くの地域、文化、言語、ナショナリティが集まっています。それぞれの子供達は、みんな異なる反応を見せます。個々のバックグラウンドへの適応が大切なのです。」

 

アンデルレヒトはストリートなんです。社会を映す鏡です。ブリュッセルはロンドンやパリのような大都市で、(アンデルレヒトが備える)多文化性は我々にとってアドバンテージです。ヴァンサン・コンパニについて言えば、彼はベルギー人の母親とアフリカ出身の父親との間に生まれました。派手な車も持たない慎ましい家庭で育ち、ブリュッセルの中心地で教育を受けていました。彼はトラム(路面電車)に乗ってここへ来て、練習後はバスに乗って帰宅していました。彼はストリートに影響を受けた人間と言えるでしょう。」

 

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[アンデルレヒトでプレイしていた頃のコンパニ。17歳でトップチームデビューを果たして以降、ハンブルガーSVへ移籍するまでに103試合に出場した。]

 

「ヴァンサン(・コンパニ)はとても賢い男です。水晶玉は持っていませんが、将来的に彼がここに帰ってきて重要なパートを担ってくれると確信しています。彼は天性のリーダーです。そのことを知るのに心理学の学位は必要ありませんね。会話したりジョークを言い合っていたりするときでさえ、彼は違っていました。本能的に人をグループとしてまとめ上げ、行く先々で大きな影響を与えるタイプですね。ピッチ上よりもその周辺でより多くのクオリティを持っていました。」

 

キンダーマンはコンパニのような威厳ある個性を持った選手を求めている。「毎年のようにクラブを変えるコーチは好きじゃありません。安定性こそが鍵です。我々のコーチ陣は心理学者や教育学者から頻繁に指導を受けています。ここでは元選手のコーチと学者コーチが共存しています。人にはそれぞれの信念があるのは確かですが、一種類の考え方しか持っていないのでは不十分です。生涯にわたって学び続ける人、ピープル・マネージャー、そして心理学者になる必要があります。指導者になることの神髄は、あなたが持つ考えを選手に落とし込み、理論に投資してもらうことにあります。」

 

「子供は変わりましたし、フットボールも変化しました。私はコーチ達にチャンピオンズリーグの試合を見せ、それを分析させています。モダンなフットボールに囲まれて過ごすことは重要ですよ。かつて70%のボール保持率を目指した時代がありましたが、それで何もしないのならボールを保持し続けることの何が良いというのでしょう。現在の我々は、70%のプログレッシブ(ゴール方向へ進んでいくための)で効果的なボール保持に取り組んでいます。全ての練習にフィニッシュについてのメニューも盛り込んでいます。そうしないと、ボールを保持できていても全ての試合に1-0で敗れることになります。クラブで掲げているトレーニング・フィロソフィーは“ボールを勝ち取る。ボールをキープ。前進。創造。フィニッシュ。勝利。”です。これはこの施設にいる全ての人に説いていることです。」

 

「教育的な要素のみを求めたらウイニング・スピリットを失う可能性があります。しかし、勝利のための指導だけを行うのも良くありません。バランスが必要です。これが、偉大なフットボーラーを作り上げるだけでなく、完璧な選手を育てるサイクルを我々が作り上げようとしてきた所以です。(選手として)確立していく時点でこれら全てのことを上手くやれれば、フットボールという競技を制することになるでしょう。」

 

「このアカデミーでは3-4-3システムから始めて、U-15のレベルに向かって4-3-3へ発展させていきます。ただ、柔軟性を持つ必要もあります。自軍の長所、短所、相手の状態、シーズンのどの時点か、試合の重要性などに応じてやっていきます。16歳か17歳になったら、アンデルレヒト・ウェイ(アンデルレヒトの戦い方)で勝利することが期待されます。もっと若い年代の選手は、3-4-3の中で楽な状態でプレイさせますが、ポジションは定期的に変えていきます。私はゴッドファーザーなどではありませんが、多様性を持った選手を育てることは、知性を持った賢い人間を育てることにつながると信じています。もし彼らが(我々の指導に)従い、よく聞き、ハードワークしてくれたら、彼らがどんな高みへ行けるかは楽しみになりますね」

 

練習場の向こうに太陽が沈む。U-21の選手達は一日の練習を終えた。彼らがジムを出て行くとき、強度向上とコンディショニングを目的とするエクササイズを続けている年下の選手を励ますようなチャントを歌っていた。彼らの背後にある壁には、『ハードワークは才能に勝る』と書かれてあった。

ゴールキーパーは過小評価されている?(The Guardian)

2018年7月、リヴァプールがローマからアリソンというゴールキーパーを獲得しました。報道によると、彼の移籍金はボーナス等を全て含めれば7500万ユーロ(約98億円)。2001年、ユヴェントスジャンルイジ・ブッフォンパルマから引き抜いた際に支払った5200万ユーロを上回り、GKとしては過去最高の移籍金です。しかし、フィールドプレイヤーが1億ユーロを超える額で移籍することが珍しくなくなった現代では、いささか大人しい額に思えます。GKに対して付けられた値札は果たして正当なものなのか?不当であるならば、それを証明する方法はあるのか?これらを題材にした記事がThe Guardianに掲載されていましたので訳しました。元記事はこちら

(※記事中の数字や表現等は、基本的に記事が公開された2018年5月段階のものとなります。)


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まずはジャンルイジ・ブッフォンアリーヴェデルチ(イタリア語で「また逢う日まで」「さようなら」)と伝えよう。引退を遠ざけるハンドブレーキは無いだろうが、日曜のヴェローナ戦は彼にとっての最後の試合となるかもしれない。1995年にデビューした頃、まだ10代だったアクションヒーローはピンクとブラックに彩られたパルマのユニフォームを着て、ジョージ・ウェアロベルト・バッジョなどのミランのオールスターズに臆することなく立ち向かった。それから約900試合を経験した彼は、年に1個の割合でトロフィーを掴んできたプーマのワングリップを外した。(その後、パリ・サンジェルマンブッフォンの獲得を発表。彼の現役生活はこれからも続いていく。)

 

ワールドカップとUEFAカップをそれぞれ1回、コッパ・イタリアを5回、イタリア・スーパー・カップを6回、ヨーロッパU-21選手権を1回、スクデットを何度も……そしてブッフォンはもう一つ栄誉を持っている。Transfermarktの調査による移籍金ランキングのトップ50に唯一GKとして名を連ねているのだ。彼が€5200万でユヴェントスへ移籍したのは17年も前のことであるにもかかわらず、である。

 

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[2001年、当時23歳のブッフォンパルマからユヴェントスへ移籍。その際に発生した移籍金5200万ユーロは、2018年7月にアリソンが破るまで長らくGKの最高額だった。]

 

2001年当時、その金額はクレイジーなものに感じられたが、今考えれば世紀のバーゲンの一つに思えてくる。しかし、貴婦人(ユヴェントスの愛称)に思い切って続こうとするクラブはほとんど現れなかった。さらに、€1500万(£1320万)以上の移籍金が掛かったGKも11人しかいない。セオ・ウォルコットやギド・カリージョに£2000万の値が付いていた世界において、その事実は奇妙なことに思える。しかし、ニック・ハリスが運営するSporting IntelligenceというWebサイトによれば、これは広範囲に適用可能なトレンドを表しているのだという。彼の集計によると、ゴールキーパーディフェンダーミッドフィルダー、ストライカーのどれよりも安い給料で雇われており、フィールドプレーヤーと比較して評価額も低くなっている。

 

例えば、2005-06シーズンのプレミアリーグにおいて、キーパーは平均して£53万3000の給料を受け取っていたが、これは全選手の平均給与£67万6000の79%に満たない数字である。2016-17シーズンではキーパーの平均給与は£168万(約2億4000万円)だが、基本給のリーグ平均£240万(約3億5000万円)と比較して69%ほどの数字に過ぎない。

 

キーパー達への評価が極度に過小に行われていることは明らかである。そこで問題になるのは、その過小評価を証明できるのか?ということだ。

 

ブレントフォードイングランド)とFCミッティラン(デンマーク)で選手リクルートにも携わる傍ら、フットボールコンサルティングサイトStats Bombの運営もしているテッド・ナットソンは可能だと信じている。彼は先週、サウスバンク大学で行われた講演会で他のポジションの選手よりもキーパーを評価するのはハードであると語った。彼らは相手の攻撃を跳ね除け、味方に対して正確にボールを配り、攻撃の始点となり、クリーンシート(無失点)で終えなければならない。しかし、既存のデータはこれらの能力の強み・弱みを適正に評価するものではない。

 

例えば、セーブ率は全てのシュートがキーパーの喉元に飛んで来れば意味を失う。よりしっかりと失点数を予測する指標であるゴール期待値(xG*1と比較することでキーパーのパフォーマンスを測ることもあるが、(シュートした選手への)守備側のプレッシャーやシュートのパワーは考慮されていない。

 

ナットソンは、スウォンジーの元監督だったボブ・ブラッドリーにミッティランの監督職についてのインタビューを行ったときのことを振り返った。ブラッドリーはデータを活用することについては快諾しながらも、xGが持つ明確な穴を指摘した。「二人の守備者に張り付かれている状態の選手が、(ゴールから)6ヤードの距離からヘディングシュートを撃った場合、それをグッドチャンスとは言えないよね。事実として、得点することが難しいことを分かってる」と彼は言った。

 

ナットソンは彼が的を射ていると認めた。「しかし、私は世界中30ものリーグを見回して、まだ評価額が高くなっていない選手を探さなくてはいけません。2万人の選手を複数シーズンに渡って見渡すことは無理です。」ナットソンはそう返答した。

 

しかし、現在のナットソンは、チャンスとゴールキーパーを評価するのに、より信頼できる方法があると信じている。重要な突破口になったのは、プレミアリーグで撃たれた全てのシュートの速度が計測可能になったことだ。(驚くべきことではないが、長距離からのシュートではリヤド・マフレズとハリー・ケインが上位である。)そして、データによってシュートが撃たれた時点での選手の配置、ゴールキーパーが動いているのか、止まっているのか、グラウンドに倒れているのかも分かるようになった。

 

これにより、スカウトやアナリストはたくさんの情報を得られるようになった。キーパーのリアクションタイムを評価することもできるため、他のリーグでプレイするキーパーと比較してポジショニングがどれほど優れているのかが分かる。さらに、究極的にはセーブ自体がどれほど良いのかも分かるのだ。ナットソン曰く、このことはフットボールの世界を変えてしまう可能性があるという。

 

このデータを用いて、スタッツボムで彼と共に活動するデリック・ヤムは、2017-18シーズンのプレミアリーグのキーパーをランク付けした。予想通りだが、ダビド・デ・ヘアが首位になった。彼が今季喫した失点数は、平均的なキーパーが喫すると予想される期待値より8点も少なかった。アーセナルペトル・チェフが最下位で、彼は期待値より6点も多く失点した。(リヴァプールシモン・ミニョレも似たような数字だった。)

 

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[マンチェスター・ユナイテッドの正GKを務め、プレミアリーグ屈指の評価を受けるダビド・デ・ヘア。大きな身体と冷静な判断力、類まれな反応速度を武器に数多くのビッグセーブを繰り出してきた。]

 

デ・ヘアがチェフより優れていることは誰しもが理解している。ただ、このような数字を得ることによって、我々は各選手の価値をより良く測ることが出来る。ナットソンはこう語る。「平均的な失点期待値を8点下回るというのは凄いことです。毎シーズン平均して10点あげるストライカーは£2000万(約30億円)の価値があります。年齢やその他の要素によるところもありますが、そこからさらに8得点上積みできるなら、そのストライカーの価値は3倍になりますよ。

 

そして、もしデ・ヘアの並外れたパフォーマンスが複数シーズンに渡って繰り返されるものならば―数字はそれが可能だと示している―彼、あるいは他のトップレベルの若手キーパーは少なくとも£5000万(約73億円)や£6000万(約88億円)の値が付くべきだ。

 

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[現地7月19日にローマからリヴァプールへの移籍が発表されたアリソン。移籍金は満額7500万ユーロ(約98億円)とも報道されており、ブッフォンが長らく保持していたGKの移籍金記録を塗り替えた。]

 

選手寿命はもう一つの要素として有利に働く。30代に向かう中で、選手達のフィジカルが低下していくことは皆知っている。しかし、ゴールキーパーの力の衰えはゆっくりとしているし、リアクションが衰えたとしても試合を良く読むことによって補っている。

 

数年前のユヴェントスに、ブッフォンを獲得した後のことを見通せる人はいなかったはずだ。彼は日曜に、愛してやまないクルバ・スッド・シレアの前で自身7度目のスクデット獲得を誇る。

*1:主にシュートした地点、ラストパスの性質、体のどこでシュートしたかなどを参考に算出された数値。