With Their Boots.

リチャーリソンのインタビュー(SKY)

今季のプレミアリーグでセンセーショナルな活躍を見せているワトフォードのリチャーリソン選手のインタビュー記事をざっくり訳しました。昨夏にブラジルからやってきた1997年生まれのウィングは、加入当初こそ無名の存在でしたが今ではリーグを代表する若手選手になりました。元記事はこちら


 

6カ月前にこのブラジル人がイングランドにやってきたとき、彼は未知の存在に過ぎなかった。それが今ではアレクシス・サンチェスエデン・アザール、そして同郷のネイマールらと肩を並べてナイキの新製品発表イベントに出席している。このような煌びやかな面々に囲まれていても場違いに見えないところから、リチャーリソンが今季のプレミアリーグでどれほどのインパクトを残しているかが伺える。8月にフルミネンセから1300万ユーロで加入して以来、この20歳はワトフォードにとって希望の光となってきた。左サイドからいくつものゴールとアシストを決めて、リーグで最もエキサイティングな若手選手の一人という評判を作り上げている。

 

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リチャーリソンはほんの3年前にプロ選手になったばかりだが、急速に序列を上げ続けワトフォードのキープレイヤーになった。開幕節のリヴァプール戦で途中出場からチームを引き分けに導いて以来、彼は26試合連続でリーグ戦に先発出場し、そのうちフル出場できなかったのは6試合だけだ。(2018年2月20日時点)

 

 

「唯一大変なのは天気だね」リチャーリソンはSKYスポーツに笑いながら語ってくれた。「僕らブラジル人は暖かい日や晴れの日に慣れているから、氷点下の日は大変だ。でも、ほとんどのことは順調に進んでいるよ。寒さにも徐々に慣れてきた」

 

南米からヨーロッパへの移籍は若手選手にとって難しくなることもあるが、リチャーリソンの場合はこの上なくスムーズに順応できたという。「ここでの生活は最高。エージェントと友達二人と一緒に住んでもらっていて、それがナイスなんだ。チームメイトも練習場でサポートしてくれるし、ピッチ外でも彼らとは本当に良い関係を築けている。適応するのを助けてくれているよ」

 

 

エウレリオ・ゴメスはワトフォードでリチャーリソンの面倒を見てくれているし、チェルシーのダビ・ルイスとウィリアンとも仲良くなった。「一緒にディナーに行ったり、彼らの家に招待されたりした。家族とも仲良くさせてもらっているよ」

その中でも、彼がピッチ上で即座にインパクトを残せるようになったのは、途中解任されてしまったマルコ・シウバ監督のおかげだと言う。

 

 

リチャーリソンは語る。「彼(マルコ・シウバ)は最初からとてもよくしてくれた。ポルトガル人だったからコミュニケーションも取りやすかった。しっかりと説明してくれたから、僕は適応できたんだ。プレミアリーグで成功するためには、高いレベルのフィジカルと優れたポジション感覚が必要だといつも言っていた。だから、こういうところには毎日ハードに取り組んできたよ」

 

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ハードワークが報われたかどうかは、最近こそ鳴りを潜めているが、ゴールとアシストの合計値でリチャーリソンを上回る選手はワトフォードに存在しないというデータがよく表している。しかし、リチャーリソンはボールを持っていないときでも疲れ知らずだ。ボールを奪おうというタックルにも意欲的だし、スプリントランキングではいつも上位に入る。

 

 

彼が持つ勤勉さのレベルは典型的なブラジル人選手らしくないものだが、リチャーリソンはピッチ上では恐れ知らずのアグレッシブな選手だ。そして、感情を表すことに対しても恐れを持っていない。ホームのヴィカレイジ・ロードでチェルシーを4-1で下した試合の後半、彼は新監督のハビ・ガルシアによって交代させられたのだが、そのときにベンチで涙を流したのだ。

 

 

「僕はフットボールに人生を捧げてきた。いつだって90分間プレイしたい。それで悲しくなって、泣いてしまったんだ。ただ、僕がイエローカードを貰っていたから交代させたという監督の考えも理解しているよ。ただ、僕が試合に対してどれほどの思いを持っているのかが表れただけさ。僕はチームメイトを助けるためなら、出来ることであればどんなことでもやりたいんだ」

 

 

リチャーリソンはマルコ・シウバのおかげでイングランドに来ることができたと思っており、だからこそ彼が解任されたことを悲しく感じている。しかし、彼は現監督のガルシアからも似たような印象を受けているという。ワトフォードウェストハム相手に監督交代後初めての敗戦を喫したが、チェルシー戦での圧勝劇は3年前にプレミアリーグに昇格して以来最高のパフォーマンスと言ってよさそうだ。

 

 

リチャーリソンも「ここまでは凄くうまくいっている」と語る。「彼(ガルシア)はどういう風にプレイしてほしいのかを説明してくれる。僕らはそれをしっかり聞いている。チームのみんなが監督のことを気に入っているし、彼のためにプレイすることに熱くなれる。彼は既にチームを制御し切っているし、彼が選んだ選手は誰であっても勝利のために全力を尽くす意思を持てている」

 

 

現在のプレミアリーグのボトムハーフ(順位表の下半分)はタイトだ。9位から18位の間には8ポイントの差しかない。ワトフォードは11位に付けているが、リチャーリソンはさらに上を目指している。13位より上の順位で終えられれば、ワトフォードにとってプレミアリーグで最高の成績になることをリチャーリソンは分かっている。さらに、彼はトップ10に割って入るチャンスすらあり得ると思っている。

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[今季の大活躍を受けて、リチャーリソンには既にビッグクラブへの移籍報道も出始めている]

 

 

ワトフォードを出来るだけ高い順位まで持っていきたい。僕らはいくつか良くない試合もしてしまったけど、今は改善してきていると思う。ワトフォードにとって過去最高の順位を狙うような調子になったと言えるんじゃないかな。僕が求めているのは、まさしくそういうところだ」

 

 

全く未知の存在からプレミアリーグのスターへ。リチャーリソンの成長物語はまだ始まったばかりだ。

キケ・フローレスが語るメディア業と指導者業(The Guardian)

「良い指導者は良い/悪い解説者である」「優れた解説者は優れた指導者になる/ならない」こういった命題は様々な競技において肯定と否定を繰り返されてきました。こちらの記事は2016年にワトフォードFAカップ準決勝まで導いたキケ・サンチェス・フローレス監督が引退後のメディア生活をThe Guardianで振り返ったものですが、その論争に一つの材料を提示してくれそうです。彼は「ジャーナリストとしての経験があったから、より良い監督になれた」と語ります。元記事はこちら。※元記事が公開されたのは2016年の4月になります。


8歳の頃、キケ・サンチェス・フローレスは枕の下にラジオを忍ばせて眠っていた。「スポーツ番組とコメンタリーを聞いていました。スポーツに関してはクレイジーなほどに熱中していて、それはフットボールだけに限りませんでしたよ。ハンドボールもバスケットボールもテニスもホッケーもラグビーも、私はあらゆるスポーツを愛していました。」

 

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[ワトフォードを率いていた頃のキケ・フローレス。2017/2018シーズンはエスパニョールを指揮している。ダンディ。]

 

15歳になる頃にはスポーツジャーナリストになりたいという思いに気付いていたが、幸運にもフローレスはプロのフットボーラーになれるだけの才能を持っていた。バレンシアで10シーズン、レアルマドリードで2シーズン、レアルサラゴサで1シーズンを過ごし、スペイン代表でも15のキャップを積み重ねた。

 

フローレスは簡単に挫けるような人間ではなかったが、1997年に現役を引退。その後、1990年のワールドカップにも出場した右サイドバックは、ついに夢の世界に飛び込むことになった。そこからの4年間をかけて彼はマルカ、エル・ムンド、ディアリオ・デ・バレンシアなどの新聞にたくさんの記事を寄稿。さらにTVとラジオの解説者としても働いた。

 

もしも物事が違う方へ進んでいたら、ワトフォードクリスタルパレスが激突するFAカップ準決勝ではウェンブリーの記者席に座って分析記事を書いていたかもしれなかった、とフローレスは笑った(※このシーズン、彼が率いるワトフォードFAカップ準決勝に進出していた)。実際にはメディアの世界での暮らしは一時的なものに終わったが、当時を振り返る彼の言葉は彼自身のパーソナリティを浮かび上がらせる。また、自身も認めている様にメディアで経験したことは彼がチームを率いる上でとても有意だった。

 

「メディアで過ごす時間を監督になるための準備期間として使おうとしていました。心のうちははっきりしていました。指導者としての自分を認識していましたから、ここで働く期間が長くないことも分かっていました。私はその時間を上手に使いたかった。今、観戦している試合に対して完璧に集中し、それについて説明したり書いたりすることから多くのことを学びました」

 

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[09/10シーズンはアトレティコ・マドリーを率いてUEFAヨーロッパリーグの初代優勝監督に。]

 

「この経験のおかげでより良い監督になれました。分析しているときは異なる視点を持たねばならないからです。TVとラジオそれぞれで番組を持っていたときは、試合の録画を持ち帰っては3~4時間かけて分析をしていたものです。ノートに書き込んだら、それらを削ったり編集したりしてね。そういう経験をしてきました。面白かったですよ。でも、一番好きだったのは記事を書くことでした。大好きでしたね」

 

フローレスとは、何かをするときはしっかりこなす男だ。「自分が今何をしていようとも、常にきちんとやる必要があります。」と本人も語る。文筆業に従事していたときも、彼は彼自身の手で記事を書いていた。元選手にしては珍しい行為である。デイリー・テレグラフに寄稿するアラン・スミスなどの例外を除き、イングランドの新聞において執筆者欄に元選手の名前が載る記事の多くはゴーストライターによるものだ。

 

さらにフローレスは、締め切りの猶予がほとんど無いナイトゲームのときも記事を書いていた。今のように各スタジアムにしっかりとした無線環境が無い時代に、である。

 

「ラジオ中継に出演している間に試合の分析をし、それが終わったらマルカなどの新聞に記事を書いて送らなければいけませんでした。物凄く手早くやらなければいけません。だいたい45分か1時間しかかけられません。Eメールで送らないといけなかったんですが、送信失敗になったことは何度もありました。先方には『OK、心配するな。もう一度送ってくれ』ってよく言われました。とにかく慌ただしくて忙しかった。当時のことはよく覚えていますよ」

 

フローレスは戦術分析の記事を書いていて、その数はゆうに1000を超えるという。「家族はその記事を切って、まとめていましたね。叔母さんは私が書いた記事を全て保管してくれています」

 

記事は良い出来でしたか?副編集長のテーブルで手直しが必要でしたか?という疑問がわいてきた。「いや、全くそんな必要はありませんでしたよ」と答えてくれたのはマルカのフットボール部門チーフであるフアン・カストロだ。「キケ(・フローレス)の書いた記事にはそれほど編集や手直しは必要ありませんでした。彼は適切な文法で執筆し、誤字などもありませんでした。素晴らしかったですよ。彼は元選手の書き手としては最高の水準で、過去15年ほどのスペインのTV界を見渡してもベストのコメンテーターと言っていいでしょうね」

 

「そうは言っても時々は文法的なところや語彙の部分で手直しされることはありましたよ。でも、記事の魂の部分が直されることは一切ありませんでした。そういった行為は嫌ですね。文章を二つほど書き換えられただけで、その記事の本筋は変わってしまうものです」とフローレスは付け加えた。

 

フローレスは魂やフィーリングについての話を多くしてくれた。彼は、自身が率いるワトフォードが逆境においてもボールを持ち、必ずしも攻撃で怖さを出さなくとも良いフィーリングを得るためにパスをいくつか繋ぐ姿勢が好きだと語る。彼曰く、彼のライティングスタイルはフットボールとフィーリングを融合させたものだという。戦術的評価のみを取り上げたものではないのだ。

 

「ガブリエル・ガルシア・マルケスパウロ・コエーリョ、マリオ・ベネデッティなんかを多く読んでいました」とフローレスは語り、南米の偉大な文筆家の名前を挙げた。「元選手ということで言えば、ホルヘ・ヴァルダーノ(元アルゼンチン代表選手)が素晴らしいものを書いていました。アンヘル・カッパもそうですね。私がレアルマドリードでプレイしていたときにはアシスタントコーチをやっていました」

 

「このスタイルを愛していて、発展もさせてきました。フィーリングの差異を掘り下げるのが好きなんです。自分の書いた記事には本当にセンシティブでしたし、それは独特なものでもありました。何かを書く時はすぐにやる。だからPCの画面が空になることなんてまずありません。いつも何かアイデアを持っています。毎日、記事を書いていると、それはもうほとんどトレーニングみたいなもので、言葉が降りてくるようになります。でも、15日くらい書くのをやめると、『ワオ、またやり直しだ』って思いますね」

 

フローレスはプレミアリーグに戻ってきた今季のワトフォードに素敵な筋書きを立ててきた。リヴァプールとのホーム戦に3-0で勝利したときは7位に付けていた。素晴らしいスタートを切り、降格圏に沈んだことはこれまで一度も無い。さらにFAカップでの快進撃もあり、昨夏に16人もの選手をクラブが獲得したことを考えても、フローレスがやってきた働きの大きさは計り知れない。

 

ワトフォードにおいて、監督というのはよく入れ替わるもので、このチームは前回の昇格したシーズンには4回も監督を替えてきた。しかし、リヴァプールに勝って以降、フローレスが率いるチームが3勝4分け10敗という結果に終わっていることは経営者グループには気付かれていないようだ。クリスタルパレスとの準決勝はフローレスにとって初めてのウェンブリーとなる。彼のキャリアにおいても決定的な瞬間だと感じられるだろう。

現代のディフェンダーは悪化しているのか?進化しているのか?(ESPN)

「最近のディフェンダーは上手いだけで安心感が無い」などの苦言が元選手から為されることは、洋の東西を問わず見られる現象ですが、イングランド史上屈指のCBだったリオ・ファーディナントも同様の指摘をよく行います。今回はマイケル・コックス氏がファーディナンドの発言を端緒に、彼の現役時代と現在とでディフェンダー職に起きた変化についての寄稿した記事をざっくり訳しました。元記事はこちら


 

自分達が現役の頃よりもレベルが下がっていると語る元選手を発見しても、何ら驚くことではない。しかし、センターバックはもはや守備的にソリッドではないというリオ・ファーディナントによる示唆には多分に真実味が詰まっている。元ディフェンダーが(現代の選手達が持つ)スキルは大したことないと語る一方で、元フォワードは相手の酷い守備によって決まったゴールがたくさんあると語る。こういったことは、元ディフェンダー・元アタッカーにありがちな回顧だ。

 

しかしながら、守備の酷さを指摘する主張は、1試合あたりのゴール数が(元選手達が現役だった頃と比べて)それほど変化していないという事実を無視している。つまり、守備自体はそれほど悪化していないのである。ただ、変化はあった。最終ラインの4人で守る形から組織として守る形への変化である。

 

「現代のディフェンダーは攻撃の起点にならなければいけない。それこそが(コーチから)求められていることだ。デイリー・ブリントを見てくれ。ユナイテッドは彼をセンターバックとして起用している。これが全てを物語っているだろう。彼が最終ラインの中央でプレイしている理由は攻撃をそこから始めるためだ。彼はもともとセンターバックではなくフルバックとして契約されたが、彼は攻撃の起点を担い、それこそが現代のフットボールが持つ哲学なのさ」とファーディナンドは語った。

 

しかし、若かりし頃のファーディナンドがまさしくそういったタイプの選手だったということは覚えておく価値がある。彼はマラドーナに憧れて育ち、ウェストハムのユースにいた頃は中盤でフランク・ランパードと共にプレイしていた。ファーディナンドはボールを持ったときに複雑で大胆なプレイをする選手として有名で、センターバックとして大成する過程でクオリティを獲得した。未来的で、ボール扱いの上手いセンターバックだと広く認識されていた彼は、ちょっとした集中力の欠如から守備でしくじる傾向もあった。だから、彼はフラットなバック4よりも、3人で形成する最終ラインにおいてスイーパーとしてボールを持ち上がる方が適していると思われていた。

 

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[ウェストハム時代のリオ・ファーディナンド。その後はリーズ、マンチェスターユナイテッドへ移籍(共に当時の移籍金最高額を更新)し、世界を代表するセンターバックとなる。]

 

ファーディナンドは自身のポジション変遷について語るとき、守備をするときのフラストレーションをいつも正直に認めている。

 

「守備というのは自分にしっくりくるものだったが、楽しくなかったのは確かだ。試合に勝った後も不思議なことに満たされない気持ちを感じていた。相手のセンターフォワードと競り合って、スピードで打ち負かすのが楽しかったことは認めるが、守備の仕事は自分を冷めさせていた」と自伝の中に記している。これは現代のセンターバックについても言えることだ。彼らは渋々ディフェンダーに転向させられたボール扱いの上手い選手であり、守備よりもパスにこそ情熱を見出している。

 

ファーディナンドがこういったことを現代フットボールの(悪い意味での)本質かのように語ることは妙な話でもある。「現代のディフェンダーにとって速さは非常に重要なものになっている。ウェストハムでキャリアをスタートさせた頃、同じチームにアルヴァン・マルティンという素晴らしいディフェンダーがいたが、彼は素早い選手ではなかった。アラン・ハンセン(’70年代後半から’80年代のリヴァプール黄金期を支えたCB)やトニー・アダムズ(’80年代~’90年代のアーセナルで500試合以上に出場したCB)にも言えることだ。今はどうだ、(ディフェンダーにとって)速さこそが命だ。」

 

ファーディナンドの言っていることは全く正しい。しかし、ディフェンダーとして駆け出しの頃のファーディナンド自身はスピードに頼り切った選手だったことも覚えておいてほしい。実際、彼はプレミアリーグ時代において革命的なセンターバックだった。素早くて、技術を持つ、ディフェンダーにコンバートされた選手である。ジョン・ストーンズのような選手にとってはお手本だったことは疑いようがなく、現在のファーディナンドが好んでいない現代的なセンターバック像の行方に決定的な影響を与えた選手であった。

 

現代において、ディフェンダー達は彼らの前方にいる味方から多大な保護を受けている。ファーディナンドがキャリアをスタートさせた’90年代半ばのプレミアリーグを見てほしい。どのチームも開かれた試合をしていることに気付くだろう。ワイドのミッドフィルダーは熱心に帰陣することはなく、ボールを持っていないときのストライカーはほとんど何もしない。セントラルミッドフィルダーのうちの一人は前方に突っ込み、相方を置き去りにすることも見過ごされていた。

 

数少ない例外はジョージ・グラハムが率いたアーセナルで、彼らはボールの背後に多くの選手を配置して守備を行っていた。退屈さやイマジネーションの欠如を指摘されることもあったが、グラハム方式は最近のプレミアリーグで広く見られるものになった。新監督が来て最初に取り掛かるところは組織力の向上で、それは多くの場合、中盤やアタッカーに働きかけることを意味する。ファーディナンドにとって最初のクラブであるウェストハムの守備はデヴィッド・モイーズの下で進歩していないが、それは守備自体に何か大きな変化が起きたからではなく、その前に問題があるからだ。例えばマルコ・アルナウトヴィッチのようなアタッカーのワークレイトを増やすことが、彼らが浮上する上で大きな要素になっている。

 

ディフェンダーはもはやディフェンダーではないというファーディナンドの指摘は、逆も真なりとも言える。ストライカーは、もはやストライカーではないのだ。冷静なフィニッシャーであるダニエル・スタリッジではなく、攻撃的なミッドフィルダーと言ってもいいようなロベルト・フィルミーノの方を、守備での貢献を重視して重用するユルゲン・クロップは、数年前なら狂気の沙汰と思われていただろう。しかし、今ではこのことに対して不満を述べるメディアやリヴァプールサポーターはほとんどいない。

 

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[リヴァプールを指揮するクロップ監督は、純然たるストライカータイプなスタリッジ(画像左)ではなく献身性と判断力に優れたフィルミーノ(画像右)の方を重用してきた。]

 

(中盤の選手だった)ジョン・ストーンズが守備のやり方を学んだように、フィルミーノもゴールの決め方を学んだのだ。ちゃっかりとタップインゴールを決める姿からは、ますます正当なストライカーらしさを感じさせられる。しかし、彼のワークレイトはリヴァプールの守備を進歩させ、後方の選手達が危険に晒される回数も抑えられている。それによって、クロップはより創造性に富んだボール扱いの上手いディフェンダーを起用でき、彼らに前掛かりのプレイをさせ、スピードを誇示させることで背後のスペースをもカバーさせてしまう。

 

ファーディナンドの指摘は決して間違っている訳でも、適切な訳でもない。引退したプロ選手達が、今のストライカーはいまひとつだと言ったり、ウィングはクロスが下手になったと言ったり、ディフェンダーはマークが甘くなったと言ったりするのは分からないでもない。しかし、こういったことは競技全体の抜本的な改善によって相殺されてきたものである。ファーディナンドマンチェスターユナイテッドでカルロス・テヴェスやウェイン・ルーニーと共にプレイしていたときに分かっていたはずだ。彼らがファーストラインの守備にエネルギーを割いてくれたおかげで、ファーディナンド自身が相手の攻撃に晒されることが減ったということを。

 

スペシャリストが持つ特別なスキルの多くは、より多くの経験を伴うものだ。ボール扱いが上手く、守備が嫌いだったファーディナンドがこの国において最も優れたディフェンダーになったことが、最大の例えである。

「成功したいからアカデミー廃止するわ」~西ロンドンの中小クラブの試み~(football.london)

ブレントフォードFCというチームをご存知でしょうか?設立は1889年と古いものの、戦っているのはイングランド2部チャンピオンシップ。1部リーグへの参戦経験すら希少な西ロンドンの中小クラブですが、非常に興味深い試みを行っているとfootball.londonが報じていましたのでざっくり訳しました。元記事はこちら


 

「もしもあなたがサービス業に携わる人を雇いたくなったら、どこで見つけますか?多くの人は最高級ホテルに行くでしょうか。しかし我々にはそれが出来ません。私達はガソリンスタンドに行くしかないのです。そして、あそこでも素晴らしいサービスを受けられるなら、ここでも良いんじゃないかって思うでしょう。私達は困難な状況においても私達が必要とするスキルを探し求めているのです」

 

ダイレクターのラスムス・アンカーセンは、ブレントフォードがチャンピオンシップに属するチームにおいて、ここ最近で最も印象的な選手発掘を行えている理由の一つを説明してくれた。

 

「私達は選手の伸びしろを見ます。潜在能力ですね。この選手は成長できるだろうか?パフォーマンスによって市場価値は上げられるだろうか、といったところです。スコット・ホーガン(2017年1月にアストンヴィラへ移籍)、アンドレ・グレイ(2015年8月にバーンリーへ移籍)、オリー・ワトキンス(2017年7月に加入。今季ここまで7ゴール)のように、プロクラブとしての環境が整っていないところから獲得した選手たちを見れば、我々はまあまあ上手くやっているのではないでしょうか。もし彼らがプロではなかった時代にここまでのレベルになっていなかったのならば、このクラブに来てから短期間のうちに大きく成長したということです」

 

ブレントフォードはこんな風にならざるを得ないクラブだ。エリートクラブではない彼らは、少なくともお金の面では不公平なこの世界で生き抜いていかねばならないのだ。チャンピオンシップにおいてすら、パラシュート・ペイメントによって降格クラブがかつて被っていたような経済的な不利を免れ、ウォルヴズのようにジョルジュ・メンデスの顧客の中から好きな選手を引っ張ってくるために数百万単位を費やしているチームがあるのだ。

 

痩せ型の体型にブロンドヘアーを束ねたアンカーセンは、まるでスカンジナビア出身のグラフィックデザイナーとして人々が思い描きそうな見た目をしている。作家業だけでなく、企業や彼が手掛ける数々のビジネスイベントでの発表者として活動していた時期もある。

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[ラスムス・アンカーセンは1983年生まれのデンマーク人。独特な選手査定方法で話題を呼んだFCミッティランの会長も務めている。]

 

しかし現在は、オーナーのマテュー・ベンハム、共同スポーティング・ダイレクターのフィル・ジャイルズなどと共に、フットボールリーグにおいて最も異端な経営アプローチを採っている。

 

「選手と契約するのは監督でもなければオーナーでもありません。クラブのみんなが行います。私は選手に対して、クラブが君を獲得したのであって特定の誰かではないんだと常に言っています。バーミンガムを見てください。たくさんの選手を獲得したのに、監督はたった4試合で解任。選手はこう思うでしょうね。『俺を獲ってくれたのは、あの監督だ。次の監督は俺を気に入ってくれるかな?』って。ブレントフォードでは誰か一人のスターが引っ張っていくことはありません。プロジェクトこそがスターなのです」

 

プロジェクトという言葉はフットボール界の人々の口からよく聞かれる言葉だが、その言葉が真に意味するところははっきりとしないことも多い。ブレントフォードにおいては、そのような印象は抱かないだろう。チャンピオンシップに属する小クラブの一つとして、彼らが行った挑戦は、最大限の利益を得るために、他の誰もがやってこなかったことを本質から考えることだった。

 

この理念に基づき、18カ月前(2016年5月)、彼らはアカデミーの廃止という非常にラディカルな方針を採った。費用は過剰なのにファーストチームに選手を送り出せていなかったことを考えれば理解できない話ではない。

 

ブレントフォードが活動する地区(ロンドン西部)には魅力的なクラブがたくさん存在するため、必要な素質を持った若い選手を引っ張ってくるのは難しい。そして、将来有望な若い才能を確保できたとしても、より大きな財布を持つ者によって引き抜かれてしまう。

 

そして、アカデミーを廃止する代わりに注目したのが、いわゆるBチームだ。リーグ戦では出場機会を得られないが、入念にアレンジされたフレンドリーマッチ(練習試合)に出場する。ブレントフォードは大きなクラブからリリースされた選手を探す。そういったビッグクラブは過ちを犯していると思いながら。

 

「私達はイングランドで最高の17歳や18歳を獲得することは出来ません」アンカーセンは言う。「でも、ビッグクラブで上手くやれなかった選手を獲得します。もしかしたら彼らは遅咲きなのかもしれないし、そういった選手を我々は育て上げているのです。この方針転換はブレントフォードの直近5年間で最大の成功だと思っています。全年齢対象のアカデミーを運営していた頃は莫大な費用が掛かっていましたが、ファーストチームに選手は送り出せず、利益も生まれませんでした。方針転換から最初の12カ月で7人の選手が(Bチームから)ファーストチームに上がってデビューしましたが、こっちの方が安上がりだし遥かに効率的です」

 

ブレントフォードが行っているものの中で他所のクラブと異なるオペレーションとしては、他にデータ分析の用い方が挙げられる。この業界においてよく言われることだが、最大の困難は分析に基づいたアプローチと伝統的な方法論を組み合わせることである。イングランドフットボール界において、客観と主観は水と油なのだ。

 

ブレントフォードのアプローチはその水と油を分けたままにするというものだった。

 

「こういったものは分けたままにすることが大事だと思います」とアンカーセンは語る。「試合をしっかり見るデータマンはいらないし、データをちゃんと見るスカウトもいりません。こういうことをごっちゃに扱うと、衝突が起こる可能性があります。ただ、中立の立場からそれらを調整する人は必要です」

 

その調整する人こそアンカーセンであり、(共同SDの)ジャイルズである。「私にとっては、それは主観と客観それぞれの情報のどこが鍵となるのか、双方の限界は何なのかを理解することです。出来る限り優れた絵を描くためにもこの情報をしっかりまとめ上げたいのです。フットボール人こそが選手を探し出し、かぎ分けられるという考えも明らかに存在します。非常に優れたスカウトには彼ら独自の伝手があって、私達はそれらを用いて仕事をします。一方で、客観的な方法も非常に大切です。それらを適切に使う心得があれば、の話ですが」

 

分析といった分野で一歩先んじるのは難しい。

 

「最近はxG(ゴール期待値)がBBCで使われる時代です」とアンカーセンは言った。「そういったものは5年前までアンダーグラウンドなものでした。昔よりもデータの扱いに関して賢くなったと思います。昔のように一方的な見方もしなくなりました」

 

客観的なデータを採用したとしても、新戦力の獲得においては経営的なリスクも生じる。そして、それらを最小化するために、ブレントフォードは比較的古風な方法論にも頼っている。獲得を検討している選手についての評判を探すのだ。

 

「私達は選手獲得に際して、多くの調査を行います」アンカーセンは説明する。「選手とサインする前に話すのはもちろんのこと、周囲の人間からの評価も得ようとします。なぜなら、こういった情報は非常に効果的ですし、より多くのことを我々に語ってくれるからです。もし、これから獲得しようとしている選手と話すか、彼とドレッシングルームを共にした3人の選手と話すかと問われたら、私は3人の選手と話しますよ。当人が面接をされていると気付かないような面接というのはとても効果的なもので、本当に聞きたいことを喋ってくれる可能性が高いのです。1年前に調査をした、ある選手がいました。私達は彼を気に入って、会いに行きましたが、そこでの評判はあまり良くなかった。練習に酔っ払った状態で来ることがあると言われたのです。ビルの中にテロリストは入れられません。ブレントフォードとは団結力を持ち、エゴの無い集団です。そういったものを穢すような存在は必要ありません」

 

選手がブレントフォードのドアを通ると、そこから本当の仕事が始まる。

 

アンカーセンにとっては「選手を見つけることは、ストーリーの半分に過ぎない」のだ。「私達は多くの時間とリソースを選手育成にも投じています。入団してから移籍するまでの各選手の伸びを測る方式が出来たら、私達はその指標で国内最高を目指したい。選手にはここにいないときの過ごし方、例えば睡眠とかそういったものについても教育します。財産を獲得したら、それを大事にして、出来るだけ早く大きくしたいじゃないですか。私達が掲げるビジネスモデルは、安く買って、育てて、高く売ることです。選手獲得だけでは道半ばに過ぎません」

 

ブレントフォードにとって、この業界で先行するための試みとは、ピッチ上での成功だけでなく、経営部門を幸せにし続けることでもある。彼らは毎シーズン、選手の移籍を通じて利益を挙げねばならず、これについては非常に良い仕事をやってきた。昨夏には、ハーリー・ディーン、ホタ、マキシム・コリンをバーミンガムに売り、1月にはホーガンがアストンヴィラへ移籍、昨年にはグレイとジェームズ・タルコフスキがバーンリーへ移った。

 

次なる動きは、コーチの開発だ。1月から動き出し、クラブのポテンシャルを最大限に活かすべく取り組んでいる。それに伴って起こることについてアンカーセンははっきりと言及しなかったが、それでも彼を責めることは出来ない。このアンフェアな業界で前へ進むのは、それだけハードなことなのだ。

【後編】スウェーデン4部から7年でヨーロッパリーグへ~変人集団エステシュンズの軌跡~

2010年に4部へ降格したところからヨーロッパリーグ挑戦まで辿り着いたエステシュンズFKというクラブの軌跡を振り返る記事の後編になります。後編では、彼らが採用する世界的にも非常にユニークな強化活動を中心に紹介します。前編はこちら


 

 

エステシュンズの取り組みには他の誰にも真似できないような特徴的なものがある。カインドバーグがクラブに復帰したとき、彼はクラブ創立メンバーで現在もゼネラルマネージャーを務めるラッセ・ランディンの娘であるカリン・ウォーレンに会った。ウォーレンは、フットボール選手は文化的な活動を通してこそ豊かさを得られ、ピッチ上で起こる様々な状況に対処する能力は選手としての活動から離れたところでこそ強化されると信じていた。カインドバーグはそのアイデアに乗り、自分なりに戦略を練った。

 

「私はそのすぐ後にスウェーデンで非常に有名な作家と会いました。そこで彼女は私に向かって『ダニエル(・カインドバーグ)、スウェーデン人がこの世で何よりも恐れていることを知ってる?それは、他の人が見つめる舞台に上がることよ』と言いました。この言葉が頭に残っていたので、カルチャーアカデミーの設立を思い付きました。そこは毎年、一つのテーマを選び、ワークショップで発展させ、秋に発表する場所です」

 

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[舞台上でパフォーマンスを行うエステシュンズの選手達。]

 

ウォーレンは現在、エステシュンズの“カルチャーコーチ”を務めている。選手だろうがコーチだろうがフロントで働くスタッフだろうが役員会のメンバーだろうが、例外は存在しない。みんなが共に本を書いたり、展示会をプロデュースしたり、解説用の図表を作成したり、コンサートを開いたりするのだ。中でも最も有名なのは、地元の劇場で白鳥の湖を上演したことだ。それとはまた別に、エステシュンズは地元の難民センターやチャリティー事業とも積極的に連携している。今回の取材を行った二日前には、Maxida Marakというヒップホップ歌手とのワークショップがあったという。ここでは誰一人としてコンフォートゾーン(ぬるま湯)に居続けることが許されないのだ。では、舞台に上がることは本当にアリ・サミ・イェン・スタジアム(ガラタサイのスタジアム)でのブーイングや指笛に対抗するための助けになるのだろうか?

 

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[たとえ監督であっても舞台上でしっかりしたパフォーマンスを見せなければならない。]

 

 

「我々はフットボールの試合で勝利するためにやっているのです。そういったことに直結しています」とカインドバーグは答えてくれた。「『もしそうなら、全てのクラブもやったらいい』と人は言いますが、やってみたら分かると思いますね。この取り組みは我々を取り巻く環境においては十分に機能したということしか分かっていませんから。楽しむためにやっている訳でもありません。500人の前で白鳥の湖を踊ることがどれだけのことか分かりますか?とんでもないことですよ。選手達はみんな恐れていました。死ぬことすら何とも思いませんよ!でも、こういうパフォーマンスの後の感情は、何物にも変えがたいものがあります。我々はこれまでフットボールチームとして多くの成功を手にしてきましたが、ショーに関することで悪戦苦闘した後では、そういった実感がより一層深まります。毎年、そういった勝利を重ねることで、我々のアイデンティティは確立されていくのです」

 

ヌーリ曰く、舞台上での苦闘を経ると「何でも出来そうな気にさせられる」のだという。そして、選手として重要な局面にもダイレクトに利益があるという。「ピッチ上で前よりも勇気を持てるようになりました。結果が付いて来ているときは、反対のしようもありません」とヌーリは語る。

 

過去7年間におけるエステシュンズの歩みにおいて、支障のようなものはほとんど存在しなかった。しかしカインドバーグは全てに満足している訳ではない。クラブにとって初めての1部リーグシーズンで、上質な攻撃的フットボールを展開しながらの8位フィニッシュ。カップ戦も優勝した。十分な成果と思えるが、カインドバーグはリーグ優勝を目指しており、EL参戦をクラブの歴史における最高の瞬間にはしたくないという気持ちも隠さない。

 

「我々が用いるメソッドは全ての試合で勝利するためのものです。そういうことが続けば、順位表の一番上にいられるでしょう。優勝を勝ち取るまで満足することはありません。それ以前の結果は全てゴミです。中位を狙うつもりということは、敗戦を受け入れるということも意味します。それじゃダメなんです」

 

カインドバーグはポッターが成し遂げた功績に不満を持っている訳ではないと笑うが、どのようにエステシュンズが欧州最高のチームになるのかについて真剣に話し始めた。

 

「現在のクラブ売上高は年間550万ユーロです。これが650万ユーロになったとき、我々はスウェーデン王者になっているだろうと言ってきました。また、売上高が5000万ユーロに到達できれば、チャンピオンズリーグ(以下CL)をも勝ち取れると言ってきました。このことに関しては全く疑っていません。今までにこんなことをやった者はいませんが、我々なら出来ると確信しています。この売上高を3年間維持できれば、実現できるでしょう。100%出来ます。」

※2017年の年間“収益”トップはマンチェスターユナイテッドの6億7630万ユーロ。

 

「多大な成功、リーグ優勝すること、CLのグループステージを1回か2回突破すること、そして新たな試みへの投資が組み合わさることで実現できます。我々にはモデルがあり、考える力と理解力もあります。小さきものがどうすれば大きなものを倒せるか。他者とは全く違う方向を取り、奇妙な存在“Eljest”になるのです」

 

カインドバーグの言うことはまるでおとぎ話のように聞こえるが、自分の心に聞いてみてほしい。変わったことをやっていると主張するクラブを訪れる経験はそれほど珍しいことではないが、そういった物事が言葉通り実行されているところを見られるのは普通なことではないのだ。しかし、チェアマンになった後にエステシュンズを欧州の舞台へ連れて行くと誓ったカインドバーグは、彼が予測した通りに物事を進めてきた。今回も実現してしまうかもしれない。

 

カインドバーグとポッターの下でエステシュンズが歩んできたステップは、これ以上は無いものにも感じられる。だが、4部から這い上がってきた彼らにとって、EL挑戦を終着点にする理由なんてあるだろうか?

 

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9月28日、拡張途中だったスタンドには座席が配置され、ヘルタがエステシュンズの人工芝のピッチに攻め入ってくる。スタジアムはキャパシティいっぱいの9000人で埋まるだろう。ポッターが来た頃、800人に満たない観客動員数が普通だった日々とは全く違う。サポーターグループであるファルカーナは、クラブの長年のファンであるアンドレス・リンフェルターがデザインしたコレオを掲げる計画について明らかにした。リンフェルターはスウェーデン国内において、ウィットに富みながらも敬意に溢れるスローガンを考案することでも有名だ。スキーなどのウィンタースポーツでよく知られている世界では見たことがないような雰囲気になるだろう。

 

ポッターとアシスタントコーチのビリー・リード(ハミルトンの元監督)はダグアウトから選手を鼓舞し、カインドバーグはそれをメインスタンドの最上段で座りながら見ることになるだろう。彼はこれまでイングランドの有力なクラブから、ポッター監督に対しての問い合わせをいくつも受けてきた。しかし、そのどれも彼をエステシュンズから出て行かせることは無かった。ひとまず、今のところはだが。両者のつながりは非常に深く、驚異的な物語が立ち止まる気配は全く見られない。

 

「私達はEL優勝出来ますよ。絶対に。出来ます。参戦する以上は競わないと意味がありません。望むのではなく、信じるのです。この二つは違うものですから」とカインドバーグは言う。

 

これ以上の質問は必要なかった。カインドバーグ、ポッター、そしてエステシュンズが歩んできた道のりがどれほどのものだったかは置いておいて、古臭い"Eljest”というコンセプトは突然、現代的なものに感じられてきた。

 

 

【訳者追記】

アスレティック・ビルバオ、ゾリャ、ヘルタ・ベルリンという伝統も欧州での経験値も十分に備える3チームと同居したグループステージで、エステシュンズは快進撃を演じた。

 

初戦でゾリャを破り記念すべきEL初勝利を挙げると、第2節では勢いそのままにヘルタを撃破。改築されてキャパシティが増えたホームスタジアムは歓喜に沸いた。大本命ビルバオとの連戦は1分1敗に終わったが、続く5節ゾリャ戦に勝利し早々と決勝トーナメント進出を決めた。

 

そして2017年12月、決勝トーナメントの組み合わせ抽選会が行われた。そこで選ばれたエステシュンズの次なる相手は、今季のELに参戦するクラブの中で最も巨大な戦力を持つクラブと言って差し支えないだろう。2018年2月、彼らが相対するのはプレミアリーグアーセナル

 

エステシュンズにとっては未知の存在と言っていい相手だが、ポッター監督はクラブ公式サイトに「ファンタスティックな抽選だ。プレミアリーグの中でも屈指のクラブと対戦するために、母国イングランドに凱旋するのも最高にクールだね」と語った。

 

おそらく会長のカインドバーグも同じ気持ちだろう。エステシュンズの選手達はポッター監督が授けた策と自身の力量、そしてカルチャーアカデミーで培った勝負度胸を携えロンドンに乗り込む。