With Their Boots.

戦術ブロガーからELベスト4の頭脳になった男:レネ・マリッチとは何者か。(ESPN)

皆さんはレネ・マリッチという男を知っていますか?数年前からspielverlagerungなどで骨太な分析記事を書いているオーストリア出身のいわゆる“戦術ブロガー”なのですが、今季は南野拓実も所属するオーストリアFCレッドブル・ザルツブルクのアシスタントコーチを務め、ヨーロッパリーグのベスト4進出に貢献しています。フットボリスタの記事などでもちょろっと名前が出るようになった(この記事とかこの記事とか)25歳の新世代コーチについての記事が、ESPNに公開されていましたので訳しました。元記事はこちら


オーストリアメディアでは「フットボールのおとぎ話」と評されているが、レネ・マリッチがニッチな戦術ブロガーからヨーロッパリーグのセミファイナリストであるFCザルツブルクのアシスタントコーチになるまでの出世街道はそういったものとは全く別物である。

 

現在25歳の彼が成功できたのは、フレンドリーな魔法使いとお付き合いしていたからでも、神聖な獣の金貨を持っていたからでもない。長年にわたる献身、探究、知的好奇心、そしてインターネットによってもたらされたネットワークとその可能性によるものだ。マリッチのオーソドックスとは言えない立身出世は、指導者業界の変容をも強調する。彼は、経験とステータスに基づく従来の価値観ではなく、もっとオープンでアイデアと実行力を評価する動きを牽引する存在だ。

 

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[レネ・マリッチFCレッドブル・ザルツブルクのアシスタントコーチを務めている25歳だ。]

 

他の多くの若手指導者と同じように、マリッチも怪我によって現役生活に終止符が打たれたときにフットボールについて深く考えるようになった。彼はドイツとの国境近く、上オーストリア州の小さな町にあるTSUハンデンベルクという7部リーグのチームでプレイしていた。心理学も学んでいた彼はU-17チームでボランティアとして働きながら、選手や戦術について長く、かなり突っ込んだ内容の難解な論文をabseits.atやSpielverlagerungといったネットメディアに公開した。Spielverlagerungに公開された専門用語が満載な記事や矢印などが用いられた図説などを、シンプルなことをわざと難しく表現してると貶すジャーナリストもいる一方で、マリッチらは(フットボールという競技に対する)本当の洞察を提示してくれると考える読者もいた。

 

その一人がトーマス・トゥヘルだ。当時マインツを率いていた彼は、マリッチにコンタクトを取った。マインツペップ・グアルディオラ率いるバイエルンと戦うときに見せるプレイ・パターンを詳らかに解説した記事をマリッチが書いた後のことだった。「その記事に気付いた彼は、メールを寄越してきて、ミーティングに招いてくれました。」とマリッチESPNに語った。マリッチと彼と同業のブロガーにいたく感銘を受けたトゥヘルは、彼らに対戦相手のスカウティングレポートを任せるほどだった。

 

一日のうち14時間をフットボールの勉強やコーチングに充てるほどのフットボール狂であるマリッチは、その後すぐにフリーのコンサルタントとしての仕事が舞い込むようになった。プレミアリーグのいくつかのクラブからは、グアルディオラとクロップが行うプレス戦術の解説を求められた。テッド・ナットソンのStatsBombチームと共に、ブレントフォードやFCミッティランが獲得に興味を持っている選手のスカウティングを行ったこともある。

 

コンサルタントとして働きながら、マリッチはTSUハンデンベルクでの監督業も続けていた。さらには指導技術についての本も上梓した。さらに大きな舞台で、彼のアイデアをピッチ上に持ち込む機会を得ることになる2016年の夏より前の話である。マリッチの戦術ブログを読んで興味を持った指導者はもう一人いる。マルコ・ローゼだ。FCザルツブルクU-18のコーチをしていた彼は、マリッチの分析にいたく感銘を受け、友情を結び、数時間以上もぶっ続けで戦術について議論をした。16/17シーズンの始め、ローゼ(現役時代はマインツでクロップと共にプレイしていた)は、マリッチをアシスタントコーチとして雇い入れた。

 

共に働く最初のシーズン、彼らが率いるザルツブルクU-18はバルセロナマンチェスターシティ、パリサンジェルマンなどの強豪を打ち破り、U-19チャンピオンズリーグを制した。いかなる年代の大会であろうと、これまでオーストリアのクラブはUEFAのトロフィーを掲げたことが無かった中での快挙である。

 

この歴史的な偉業を受けて、ローゼとマリッチザルツブルクのファーストチームに昇格する。国内リーグではまずまずのスタートを切った後、彼らは勢いに乗ってボルシア・ドルトムントラツィオといったチームを大方の予想を裏切って打ち破っていった。ヨーロッパリーグ準決勝で当たるマルセイユも下馬評では有利と見られているが、ザルツブルクが見せるフレキシブルなシステム、ボール保持時の素早いコンビネーション攻撃、プレッシングがうまく機能すれば個人能力での不足を十分に乗り越えられる。(※2ndレグの延長戦まで持ち込む粘りを見せたが、最後は誤審によるコーナーキックから失点し惜しくも決勝進出はならなかった)

 

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[レネ・マリッチ(左)とマルコ・ローゼ(右)]

 

マリッチの一日はタックスハム・トレーニンググラウンド(ザルツブルクの練習場)に早く来ることに始まり、練習メニューを考え、ローゼの隣で練習を指揮し、要点をまとめる。それから前の試合を分析するか、次なる対戦相手の分析映像などに取り掛かる。そして、コーチングスタッフとのミーティングや選手達との相談を行う。

 

では、弱冠25歳で経験豊かなプロ達を指導することは難しくないのだろうか?マリッチに言わせれば、全くそんなことはないのだそうだ。

 

「チームのおかげで、すごく働きやすいですよ。他のコーチから多大なサポートを受けていますし、寛大で従順な選手達ばかりです。」洞察的なプレイングパターンと実際のピッチ上で戦術を用いることには明らかな差異があるものの、マリッチが掲げる目標は理論と現実のギャップを出来るだけ小さくすることである。彼の書く10000語を超えるブログには複雑な文章が詰まっているが、それらは練習場で用いられる言語や単語などとは無関係である。マリッチが言うには、そういった記事は「観察したことを反映させたもの」として書かれているのだと言う。しかし、ザルツブルクスカッドへの働きかけは最適化された形で表されており、効果的にコミュニケーションを行っている。

 

「(戦術的な)インプットは全て、選手達が容易く理解できるような形で行われなければいけません。生きた言葉で、確信を持って行われる必要があるのです。こういった面で、マルコ・ローゼは最高の先生ですね。」マリッチは語る。

 

マリッチと話していると、彼や彼の同類たちを“戦術オタク”と見なすのは明らかに的外れだということが分かる。科学的なアプローチと高度なマン・マネージメントを融合させることによって成功しているブンデスリーガの若手指導者と同じように、マリッチもドレッシングルームのモチベーションを刺激するのに長けている。彼の場合は、ピッチ上でのパフォーマンス向上を助けてくれるというシンプルな気付きを得た選手達が、マリッチの指導についていく意思を持てていることに由来する。

 

これからの数日間でザルツブルクはガラスの天井に直面するかもしれない。しかし、2011年に南米の無名チームのパスマップを作るところから始まった男には、将来もっと大きな何かが起こるかもしれない。マルコ・ローゼはドルトムントのベンチに座るピーター・シュテーガーの現実的な後継者と見られている。もちろん、彼が「アイデアマン」と呼んで信頼するマリッチと共に、である。

ヨシュア・キミッヒのインタビュー(The Guardian)

23歳の若さでバイエルン・ミュンヘンとドイツ代表に欠かせない戦力となったヨシュア・キミッヒが、自身のキャリアで感じた苦しみやペップ・グアルディオラとの出会いについて語った記事を訳しました。16/17シーズンの終盤、ドルトムント戦終了直後にペップから受けた“公開説教”の真相についても語ってくれています。元記事はこちら


まったりとした日曜の朝8時前。場所はミュンヘンヨシュア・キミッヒは驚くほどに早く姿を見せた。インタビュー取材をするにあたって、欧州で最も優れた若手フットボーラーの一人が朝食を摂るより早い時間を指定してきたのは予想外だった。バイエルン・ミュンヘンとドイツ代表に所属するこのディフェンダーが流ちょうな英語を操ることにはほとんどショックを受けなかったのだが。弱冠23歳のキミッヒは、自身の輝かしい出世街道を精査することに対して驚くほど意欲的であった。

 

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ドイツ代表を率いるヨアキム・レーヴ監督は、キミッヒを「過去10年間のうちに出会った才能の中で最高の一人」と評した。バイエルンブンデスリーガ優勝5回、1974年のW杯優勝メンバーでもあるポール・ブライトナーは先週、キミッヒとフィリップ・ラームを比較するお決まりの話をした。「彼(キミッヒ)は戦術、試合状況を理解し、リズムを変えるべきときを知っている。第二のラームになるために必要なものは全て備えている」とブライトナーは語った。

 

戦術面でもピッチを離れた状態においてもキミッヒの成熟っぷりは、将来のバイエルンとドイツ代表のキャプテンになるだろうという確かな予感を抱かせる。キミッヒは今度のW杯や火曜日に控えたセヴィージャとのチャンピオンズリーグ準々決勝ではなく、昨シーズン、カルロ・アンチェロッティ監督のもとでキャリアが停滞してしまったときにどう感じていたかを説明してくれた。

 

ペップ・グアルディオラバイエルンを率いていたときにはセントラル・ディフェンダーを、大会ベストイレブンに輝くことになるEURO2016ではライト・バックをやることによって、キミッヒは類まれな多才さを見せつけた。アンチェロッティ政権下でも順調なスタートを切った彼は、守備的MFのポジションで起用されながらシーズン最初の14試合で7ゴールを挙げた。しかし、グアルディオラよりも保守的なアンチェロッティは、キミッヒを数か月に渡ってベンチに控えさせた。

 

「若手選手にとって、優れた指導者と出会うのと同じくらい大切なことは、たくさんプレイすることです。そうやって成長していくんですから。(試合に出られない期間は)自分にとってとてもハードでした。みんなが話しかけてくれたし、助けてくれましたが、自分一人で対処しなくてはいけません。家族とガールフレンドの存在は大きかったですね。こういう人達、特に彼女とフットボールとは関係ないことについて話すことが重要でした。でも、心の中には常にフットボールがありました。」

 

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[カルロ・アンチェロッティとキミッヒ]

 

「『自分に何が出来るのか?』『成長するにはどうすればいいのか?』と考えながら、練習時間を伸ばし、ハードに取り組んできました。そして家に帰ると『クソっ、何か変えなきゃ』って思ってしまうんです。こういう状態が3カ月以上続いて本当にキツかった。今は別の考え方をするようになりました。パワーが不足してるときは、それを受け入れるべきなんです。若いうちにこういう気付きを得られたのは良かったと思いますが、あんな苦しみはもう要りませんね。」

 

その後、アンチェロッティは選手からの信頼を失い、2017年の10月からはユップ・ハインケスバイエルンの監督となった。ハインケスが選手達と個別のミーティングを行った際に、キミッヒは最初の方に呼び出された選手のうちの一人だった。彼はバイエルンにとってキミッヒがどれほど重要かを強調した。この信頼感が2023年までの新契約にサインすることになる選手にとっては、とても大切なことだった。

 

キミッヒは当時を振り返って「ユップは僕が成長するために必要なことについて、いくつか話してくれました。成長させてあげたいという思いと信頼感を持っているコーチに師事することは、若手選手にとって本当に重要です。」と語った。

 

キミッヒはもっと昔に経験した難しい時期も振り返ってくれた。「14歳のときにシュツットガルトのアカデミーに入りました。大きな夢が叶った瞬間でしたが、孤独を感じていて、それはどんどん強くなってきました。18歳の僕はクラブのセカンドチームに上がりたかったのですが、クラブからは十分な強さが身についていないと言われてしまいました。」

 

キミッヒの決意は2013年にRBライプツィヒへのローン移籍志願によって露わになる。しかし、ライプツィヒでも最初のうちは苦労をしたという。ラルフ・ラングニックが監督をしていました。パーフェクトな移籍でしたね。でも、怪我をしてしまって…。ホテルに独りぼっちで周りに知っている人もいない状態でしたから本当に厳しかったです。でも大志を抱いてプレイするならタフにならなければいけません。僕は成長しました。これを乗り越えたことで前よりも強い人間になりました。」

 

キミッヒがライプツィヒで輝き始めると、グアルディオラはすぐに彼のポテンシャルに気付いた。2015年1月のことをキミッヒはこう振り返る。「契約しているエージェントが、僕を獲得したいクラブがあるって言ってきたんです。『どこ?』と尋ねたらFCバイエルン・ミュンヘンだと言うんです。僕は『冗談はよしてくれ』と言いました。だって、自分は2部リーグでプレイしていて、普通に考えてバイエルンはそういう選手を獲りませんから。信じられませんでしたね。バイエルンは世界中ほとんど全ての選手を獲得できますし、グアルディオラが自分を獲りたがっているなんて話を信じるのは難しいですよ。」

 

人の姿もまばらなカフェでキミッヒは笑みを浮かべながら初めてグアルディオラと会ったときのことを語った。「鼓動はとても速くて、特別な瞬間でした。僕は彼に『どうして自分なんですか?』と尋ねました。ペップは僕のプレイをどのように見ているか、どういう点を気に入っているかを話してくれました。彼は僕が技術的に成長していく過程を見てくれていました。そして、守備的MF以外にもプレイできるポジションがあると言われました。ペップは僕が19歳以下の欧州選手権に出ていたときにプレイを見ていたようで、僕の特長を把握したそうです。僕は思いました。『ワオ、この人は僕のこと、僕のプレイを完璧に分かってくれている』と。ペップは、僕にチャンスを与えたいとも言ってくれました。世界最高の選手達と競い合うことになる若手選手にとっては最高の言葉でした。」

 

では、グアルディオラはどのような方法でキミッヒの成長を助けたのだろうか。「色々なことがありました。ペップは僕に全く新しいスペースを見せてくれたんです。本当に大きく成長しました。彼が気にしているのは、ファーストタッチ、そしてボールを受ける前に何をすべきか分かっているか、です。選手達は味方がどこにいるかを分かっていなきゃいけません。だから、ペップは選手達にフィールド全体を把握してもらいたいんです。彼は何か気付いたときには、すぐに声を掛けます。素晴らしいフットボール観も備えていました。どんな相手に対してもマスタープランを持っていたんです。」

 

ペップと過ごした期間の終盤、2016年5月に行われたドルトムントとの試合(結果は0-0)でキミッヒは試合終了間際にセントラル・ディフェンスから中盤へポジションを変更させられた。終了を告げるホイッスルが鳴るや否や、グアルディオラはキミッヒに駆け寄っていった。会場では81000人、テレビ越しには何百万人が見ている前でグアルディオラは当時21歳の若者に激しい言葉を浴びせた。キミッヒを叱りつけているようにも見えたが、試合後にグアルディオラは「私は『君は世界最高のセンターバックのうちのひとりだ。全てを兼ね備えている』と言ったのです」と語った。

 

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[キミッヒに熱く語り掛けるグアルディオラ]

 

キミッヒがもっと良くなるよう熱心な指導をしていたことは明らかだ。では、あの苛烈な瞬間、彼が実際に話していたことは何だったのだろうか。「僕はセンターバックとしてプレイしていて、試合終了5分前にシャビ・アロンソとの交代でメディ・ベナティアが入ってきました。ベナティアは最終ラインに入り、僕はシャビがやっていた中盤のポジションに行くことになりました。でも、そのときの僕はセンターバックでプレイしてるときと同じ考え方を続けてしまったんです。すごく深い位置を取っていましたから、メディと僕が同じポジションを担当しているみたいで。ペップは試合中から僕にポジションを上げるように叫んでいたんですが、僕は何故そんなことを言われているのか分かってませんでした。だから、彼は僕がフィールドを引き上げる前に、しっかりと考えを話してくれたんです。最初はびっくりしましたよ。でも、ペップのことを知っている人なら慣れっこです。ペップという人はすぐに話をしてくれます。成長させるためです。彼はその場で伝えたい人間なんです。おかしな光景にも見えたかもしれないけど、僕にとっては素晴らしいことでした。ペップが僕のことをどれだけ見ているか、どれだけ気にかけているかを示してくれたのですから。」

 

グアルディオラマンチェスターシティにもたらした影響はさらに凄いものだ。「ペップがいかにスペシャルかを表していますよ。プレミアリーグには日常的にタイトルを目指すクラブがたくさんあります。しかし、彼はチームを大きく成長させ、他のライバル達とは別次元の存在にしてしまいました。チャンピオンズリーグでだって、アウェイのバーゼル戦を4-0でものにしています。信じられませんよ。」とキミッヒは言った。

 

グアルディオラとキミッヒが再会するチャンスはチャンピオンズリーグの準決勝か決勝に残されている。(後日、マンチェスターシティは準々決勝でリヴァプールに敗れてしまった。)しかし、現時点ではキミッヒは自身を成長させることに集中している。現在の彼はバイエルンでもドイツ代表でもライト・バックとしての地位を確立している。

 

「お気に入りのポジションは守備的MFですが、どちらのチームでも同じポジションを任せられる機会を得ることができました。ドイツ代表では先のEUROから右のディフェンダーを担当していますが、3バックを採用するときはセンターバックをやることもあります。こういう状況で、クラブに戻ってミッドフィルダーをやるのは簡単なことではありません。リズムが掴めないときには自信も失いがちですしね。でも、どんなポジションをやるにせよ、自分のスタイルをしっかり出そうとはします。守るだけじゃなく、チャンスも作りたいし得点も決めたいんです。適切なバランスを見出さないといけません。そして、若い選手にとっては誰かをコピーするようなことはせず、自分自身であり続けることが大切です。」

 

少なくとも、ラームとの比較は鳴りを潜めている。キミッヒがその成熟ぶりと多才さでもって、未来の大物としての存在感を自らの力で発揮しているからだ。「僕は常に僕自身でありたいと思っていました。ラームのクローンでもラーム2世でもありません。もちろんフィリップは素晴らしい選手です。良くない試合をしてしまったときでも、彼は他の選手よりも優れていました。彼のパフォーマンスには確かなものがあり、それに負けないようにしたいとは思います。でも、自分自身のプレイをすべきです。世の中の人は過剰な比較をしなくなりました。それが僕にとってはとても良いことです。」

 

ピッチ外でも成長しようとしているキミッヒは、現在スペイン語を勉強中なのだという。「フリーな時間があったときに、成長するために何かできることは無いかなって考えたんです。勉強は大変ですが、新しい言語を学ぶことは完璧な答えでした。今は少しお休みしていますが、勉強は一年以上続けています。アウトゥーロ・ビダルとかスペイン語を話すチームメイトとも少し話せます。でも、パーフェクトには程遠いですよ。フットボールでも何でもそうです。僕はもっと成長できます。」

求められるのは“適応力”と“諦めない心”―レアル・マドリードのアカデミー取材記(The Guardian)

ベンフィカスポルティングCPのアカデミー取材記を執筆したAlex Clapham氏が、レアル・マドリードのアカデミーについての記事をThe Guardianに寄稿していましたので訳しました。バルセロナが全てのカテゴリーで一貫した戦術デザインのもとに選手育成を行っていることはよく知られていますが、対するレアルは「いかなるシステムでもプレイできる完璧な選手」を作ろうとしています。元記事はこちら


マルコ・アセンシオが放った25ヤード級のシュートがマヌエル・ノイアーの守るゴールのボトムコーナーに突き刺さったとき、スコアは2-2だった。8人が折り重なって歓喜し、他の選手はドイツ人GKに向かって叫んでいる。そして、コントローラーが壊れてるんじゃないかなどと言うものもいた。キックオフの4時間ほど前、Cadete (レアル・マドリードU15チーム)Bの面々はリーグ戦を前にしてリラックスしようとしていた。サッカーゲームFIFAで遊ぶことではリラックス出来てなさそうだが。

 

競争はレアル・マドリードという組織全体から促されていると語るのは、アカデミーでコーチを務めるハビエル・モランだ。「この子たちはレアル・マドリードを代表しています。レアル・マドリードというヤバい場所を、です。この場所で成功するためには個性が必要です。情熱は教えられませんが、気力と信念は根付かせるができます。我々が掲げるエートスは‘nunca se rinde’ (絶対に諦めない)です。そして、その目標を達成するためには競争に勝つための何かを持っていなくてはいけません。」

 

TVを通して全国放送される予定の試合の前に休憩を取ろうと選手達が自室へ戻ってから、私は廊下の壁を彩るアルフレッド・ディ・ステファーノ、ジネディーヌ・ジダン、ラウールらの姿を見まわした。この面子の中でLa Fábrica(工場の意。下部組織を指す)でプレイしていたのは一人だけで、クラブは大物の補強に慎重になりそうな気配も無かった。レアル・マドリードはフロレンティーノ・ペレスが2000年に会長となって銀河系軍団構想を始めて以来、5回も移籍金の世界最高額を更新してきた。このアカデミーにいる少年達は、自分達がそういった路線と対立する存在であることを理解している。

 

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[レアル・マドリードのアカデミー卒業生であるラウール(左)とカシージャス(右)]

 

2010年のワールドカップで優勝したスペイン代表チーム23選手のうち、フアン・マタアルバロ・アルベロアイケル・カシージャスの3人だけがレアル・マドリードのアカデミーで育った選手だった。一方、バルセロナのアカデミーとして有名なラ・マシアの卒業生は9人もいた。現在、レアル・マドリードはそのバランスを修正しようとしている。

 

レアル・マドリードは、代表選手を育て上げるクラブという評判が欲しいのです。選手をスカウトする場合、技術面で大きな才能を持っており、様々な戦術的および戦略的システムに適応できる子を必要としています。我々とバルセロナなど他のクラブとで異なるのは、いかなるシステムでもプレイできる完璧な選手を作ろうとしているという点です」とは前述のモランの言である。

 

「ファーストチームを率いる監督の出入りなんて誰にも分りません。だからこそ、我々は選手それぞれに特定の型を作ってあげるというよりも、もっと個人にフォーカスしようとしています。適応とは人生において非常に重要なものです。我々は預かっている子供達を、瞬く間に起きる変化に対して自身で考えて反応できるように育てなければいけません。こういったことは、フットボールの世界では非常によく起こるからです。」ここにいる選手達は、ごく少数しかトップに上がれないことをよく理解している。だから、自身のプライドを捨てることになるのも、進むためには自身を変革しなくてはいけないことも分かっている。その進路がこのクラブだろうが、ヨーロッパの名門クラブだろうが、他のどこかだろうが。

 

フットボールクラブが建てた施設の中で史上最大」とも言われるレアル・マドリード・シティは2005年にオープンした。サンチャゴ・ベルナベウの40倍もの広さを誇り、ラ・リーガを戦うクラブ全てが一遍に遠征してきても収まるくらいのドレッシングルームが備わっている。他にもジム、教室、会議室、オフィス、治療やリハビリにも使えるプール、メディカルルーム、プレスエリアなどが複数ある。ピッチにはオランダから取り寄せた芝生が敷かれている。サンチャゴ・ベルナベウで使われているものと同じだ。

 

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[クラブの公式HPでも「サッカークラブが建設したスポーツ施設としては世界最大」と評されているCiudad Real Madrid(レアル・マドリード・シティ)]

 

クラブは世界中から40人ほどの子供達を集めて寮で生活させ、教育も施す。10歳かそこらの少年達は平均して3年間くらいをこのクラブで過ごすことになるが、初日に伝えられることがある。「君たちは、もう君たちの親御さんの子供ではないんだ。君たちはたった今からレアル・マドリードの選手だ」と。厳しいエリート・フットボールの世界から送られる無慈悲な歓迎である。

 

ピリオダイゼーション(必要なときに最大限のパフォーマンスを発揮するための適切なトレーニングストラテジーを構築すること)は、スペインのフットボール界においてとても重要視されている。シエスタは40分以内に収めること、休日の食事は決まった時間に摂ることなどのディティールが大切だと思われているのだ。前日の試合に出場した選手が取り組む早朝のリカバリー練習は習慣化されている。出場しなかった選手の“補填練習”も同様だ。そこから休日を挟み、1週間のうちの残りはフィジカル面や戦術面での練習で鍛えられることになる。試合前の最終セッションではフィニッシュやターンなどが優先して行われる。

 

戦術的な練習において、コーチ達は試合を想定したものを行う。仮定のシナリオを基に練習メニューを作るのだ。練習メニューは常に競争的で、一定の方向付けがなされており、今日のは低く構える相手の守備ブロックを流れるようなパスで打ち破るものだった。選手達のポジショニングが非常に大切になるため、コーチは完璧を求めた。

 

選手達に1-0でリードしている状態で残り時間は5分間と伝えられた。その中でプレッシャーを掛け、スクリーンを作り、遅らせ、カバーすることを求められる。そしてリードを死に物狂いで守らねばならない。アタッカー陣は、守備組織に素早く侵入するパスをじっくり待つようにと言われ、守備側の選手を引き出すために2対1の状況作るよう指導が入る。プレイの詳細が書かれている戦術ボードやシートはピッチ上に総動員されている。

 

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[Ciudad Real Madridの中には選手達がゲームで遊べる場所も用意されている。]

 

ほんの数時間前までプレイステーションで対戦し合っていたCadete Bの面々だが、今日の試合では同じチームに属しTrival Valderas Alcorcónというタフなチームと戦っていた。試合は1-0で負けている。選手の親や地元のファンからヘッドコーチであるペドロ・サンチェスの戦術選択への不満の声が漏れてくる。目的意識に欠けるパスが送られる度にスタンドから文句が湧き上がった。トップチームの方針に観客が不満を持っているときは、ベルナベウを埋めた8万人のファンが白いハンカチを掲げることがあるが、それのユース版と言った感じだ。

 

しかし、試合の終盤に同点ゴールが決まり、さらに追加タイムでもう2点を追加した。はちゃめちゃな展開から3-1の勝利をものにしたのだ。試合終了を告げるホイッスルが鳴ると、選手達はコーナーフラッグ付近で折り重なりながら勝利を祝った。親やサポーターは彼らを称えるスタンディングオベーションを贈る。この勝利によってチームは2位に1ポイント差の首位に立ったが、好印象だったのは試合結果とはそれほど関係が無い。選手達が ‘nunca se rinde’(絶対に諦めない)を体現してくれたことが何よりだった。これこそが、選手達がこのクラブで輝くために最低限必要な素質なのだ。

体制からの逆風に耐えて、イラン代表をアジア最強に仕立てたカルロス・ケイロス

2018年4月、日本サッカー協会ハリルホジッチ監督を解任しました。W杯2カ月前に協会が下した決断に対して、背後に存在しそうな何かを感じ取った人も少なくないでしょう。そこで今回は実際に政治の世界から過干渉を受けながら、イラン代表をアジア最高のチームに作り上げたカルロス・ケイロス監督の記事を訳しましたので、ご紹介いたします。彼が率いたイラン代表は、堅実な戦いぶりでアジア予選を無敗で通過しました。長らくFIFAランキングでアジア最上位を堅持する同代表は、ロシアW杯でも台風の目になることを十分に期待できるグッドチームです。元記事はこちら

※なお、記事中の各指標は基本的に記事が公開された当時(2017年8月末、アジア最終予選のラスト2試合が行われる前)のものになります。


 

マンチェスターユナイテッドを率いるジョゼ・モウリーニョは、FIFAが最近リリースした年間最優秀監督候補に名を連ねた。しかし、彼よりもその座にふさわしい者がいる。彼はかつてオールドトラッフォードマンチェスターユナイテッドのホームスタジアム)のNo.2だった。

 

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[カルロス・ケイロスは1953年生まれのポルトガル人監督。過去にはレアルマドリードポルトガル代表、名古屋グランパスを指揮した経験を持つ。]

 

マンチェスターシティのペップ・グアルディオラもそうだが、モウリーニョもリーグパフォーマンス向上のために数百万ポンドを投じてきた、しかし、カルロス・ケイロスと彼の率いるイラン代表による功績は真に素晴らしいものだ。

 

このモザンビーク生まれの監督は、イラン代表をアジア最高のチームに仕立てただけでなく、2018年W杯でノックアウトステージ進出もあり得るチームにした。

 

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[マンチェスターユナイテッドでアシスタントコーチを務めていたころのケイロス(写真左)。監督のサー・アレックス・ファーガソン(写真右)と共に数々のタイトル獲得に貢献した。]

 

イラン代表は最速でW杯出場を決めたブラジル代表の次に出場権を確保したチームである。彼らは残りの2試合で韓国代表とシリア代表に連勝すれば、今回の記念すべき戦いを無敗で終えることができる。(2戦連続引き分けで無敗を守った。)

 

ケイロスは8月31日にソウルへ乗り込んでくる。この元ポルトガル代表監督が率いるイラン代表は、韓国代表に対して4連勝中だ。韓国代表が9回連続でのW杯出場を目論んでおり、アジア地区でも最も成功してきたチームということを考えれば至難の業である。

 

3次予選(日本で言うところの最終予選)で、イラン代表はここまで8試合を戦って20ポイントを勝ち取り、2位の韓国に7ポイント差をつけてトップに立っている。史上4例目となる無敗での予選突破を決めただけでなく、720分間(90分×8試合)にもわたって1失点も許さなかった。(最終戦でシリア代表に2失点し、全試合無失点はならず)

 

ピッチ上のパフォーマンスと結果はFIFAランキングにも反映された。イランは4年以上もアジア最高位に君臨し続け、現在の24位まで着実に順位を上げた。これはアジア2位の日本代表を20も上回る順位である。(2017年8月末段階)

 

こういった功績は、他の大陸の有力チームでは起こり得ない問題とケイロスが直面してきた末のものでもある。イランのフットボール界では、政治もその一部をなしている。大きな試合の準備を妨げられたことも過去にあった。イランが世界で孤立気味であることもそれなりに大きな課題をもたらしてきた。親善試合の相手探しや海外からの資金調達などの面で他のAFC加盟国よりも面倒なことが多いのだ。

 

こういったことは近年、改善が進んでいるとはいえ、韓国や日本やオーストラリアといった同じ大陸の強豪には存在しない障害も立ちはだかる。ソウル、シドニー、東京などで働く代表監督は、今月初めに起きたような事態を対処する必要に迫られることは無いだろう。イランのスポーツ界を管轄する機関が、イラン代表の主力選手二人に代表チームでの活動を禁ずるという声明を発表したのだ。その二選手が所属するギリシャのクラブチームが、ヨーロッパリーグ予選でイランが国として認めていないイスラエルのクラブチームと対戦したことが理由だった。

 

結局、ベテランのマスード・ショジャエイはチームから外され、エルサン・ハジ・サフィは残ることができた。ショジャエイは、6月、6万人の観客が詰めかけたテヘランでイラン代表がW杯出場権を獲得したときにキャプテンマークを巻いていた。その男が出場できなくなったのだ。

 

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[所属クラブがイスラエルのクラブと対戦したことで、代表活動への参加を禁止されたショジャエイ。2018年3月の代表期間には招集が許可され、無事に復帰を果たした。しかし、イランの議会からは「彼の代表活動参加は生涯禁止されるべき」という声が未だに上がっている。]

 

6年の任期中にケイロスは辞任を考えたこともあるし、実際に辞任したこともあった。2017年の初めにも辞任をしている(後に協会と和解して復職)。彼とイランフットボール協会の関係は緊張状態になりやすい。しかし、体制は、この元ゴールキーパーと共に良い進路を取れていることを分からなければない。

 

ケイロスが作り上げたチームは、確かなパフォーマンスを発揮し、プレッシャーのかかる状況を楽しめるチームだ。韓国のサッカー界にとっては、羨ましくなるものである。「こういった状況では多くの選手は重いプレッシャーを感じるものです」とは、元韓国代表のキャプテンでマンチェスターユナイテッドのレジェンドでもあるパク・チソンがイラン代表と韓国代表の試合前に語った言葉だ。「しかし、国を代表する選手ならば、そのプレッシャーを乗り越えて自身の能力を示さなければいけません」と続けた。

 

ケイロスの下でイラン代表は、期待が大きいときにも応えられるようになってきた。W杯出場には勝利が必要なテヘランでのウズベキスタン戦、全ての人がイランの勝利を予想して、彼らは実際に勝利をした。

 

チームはマシーンのように精密になり、将来が楽しみな選手も出てきた。代表戦26試合出場で19ゴールを挙げ、UEFAチャンピオンズリーグでも素晴らしいパフォーマンスを見せ、昨夏にはラツィオへの移籍寸前まで行っていたサルダル・アズムンはまだ22歳だ。(2017年8月末段階)

 

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[17/18シーズンはロシアのルビン・カザンでプレーするサルダル・アズムン。2014年の代表デビュー以来、多くのゴールを挙げてきた。]

 

カリム・アンサリファルドオリンピアコスで活躍しており、レザ・グーチャンネジャドはオランダリーグで3番目に多くの得点を挙げ、国内クラブに所属するメフディ・タレミは予選中に重要なゴールを決めることで彼の能力に疑いの目を向ける者を黙らせた。そして、中盤には弱冠20歳のサイード・エザトラヒが、その才能と共にスターになりつつある。彼らの背後には非常に強固な最終ラインが構えている。

 

監督の指揮の下、イラン代表は同国史上最高のW杯が期待できるチームになっただけでなく、この先何年間もアジア最上位に留まれるようなチームになった。

 

そして、こういったことは全て、類まれな指導によって積み上げられたものである。果たして、ヨーロッパ以外で起きたことは重要ではないのだろうか。ケイロスの働きはFIFAの年間最優秀監督賞にノミネートされて然るべきもののはずだ。

クリスティアン・エリクセンが語る"創造性"(Independent)

トッテナム・ホットスパー、そしてデンマーク代表の創造性を司る存在であるクリスティアン・エリクセン。技術、判断、ワークレイトを高次元で兼備する現代型MFの典型のような選手です。そんな彼が自身のフットボール観や"創造性"の身に着け方を語ったインタビューがIndependentに掲載されていましたので、ざっくり訳しました。元記事はこちら


クリスティアン・エリクセンフットボールについて語ることが大好きだが、彼自身にとってベストなパフォーマンスについて聞かれたときにははっきり答えられないほどに慎ましい男でもある。チーム全体が素晴らしいプレイをしていることを強調してから、一つを選ぶことはできないと語った。

 

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アウェイでのユヴェントス戦はどうだろう?エリクセンは試合全体を支配し、30ヤードも離れた場所からフリーキックでゴールを決めてみせた。ホームでのマンチェスターユナイテッド戦はどうだろう?彼は試合開始10秒でリードを奪い、試合終了まで優位を渡すことはなかった。エリクセンは肩をすくめて、普通の人はそういう場面を注目してくれるものだと認めた。「もちろん、それが普通の見方ですよね」とも言った。

 

では、エリクセン自身は自らをどのように見ているのだろうか。彼は(少なくともマンチェスターシティの選手以外では)プレミアリーグで最もインテリジェンスとイマジネーションに満ちたミッドフィルダーだ。彼は過去4年に渡って、トッテナム・ホットスパーにおける創造性を司る存在である。スペースを見つけ、ボールを要求し、試合を支配する。ゆっくりプレイすべきタイミングはいつなのか、速く行くべきタイミングはいつなのか、ターンすべきとき、パスすべきとき、シュートすべきとき。すべてを分かっている。彼のプレイを一目見ただけで、エリクセンがほとんど全ての現役選手よりもフットボールを理解していることに気付くだろう。

 

エリクセンがゲームについて考えるとき、彼自身が持つスタンダードと照らし合わせて良いプレイかそうでないかを見分けている。パフォーマンスを理解する手法というのは測定可能なものというよりは直感的なものだ。エリクセンは熱心に試合を見返すタイプではないし、統計データにこだわることもない。(そういうものが無くとも)彼は分かっているのだ。

 

自身のプレイをどう評価しているのかを問われたエリクセン「だいたいのことは頭の中にあります。」と答えた。「全ての人は自身のプレイが良いプレイだったか悪いプレイだったか分かってるものだと思います。ピッチの内側…ピッチ上で感じていることと外側で見ていて感じることはかなり違っているものです。僕自身がピッチ上でプレイしながら感じていることは、他の人とは少し異なる部分があるかもしれません。試合の見方や試合後の考え方という部分で、ですね。」

 

エリクセンがいかに優れた選手かを示す統計データはたくさん存在する。彼がスパーズに加入して最初の年と昨年にスパーズファンが選ぶ年間最優秀選手賞に輝いたという事実もある。特に昨シーズンは35ゴールを挙げたハリー・ケインを押し退けての受賞だった。Optaによれば、エリクセンは2013年にイングランドにやって来て以来、プレミアリーグで46のアシストを記録した。これは同期間内における数字としてはメスト・エジルに次ぐ好成績で、その数字は年々増加している。ここ2シーズンで言えばエリクセンはさらなる高みに達した。欧州5大リーグの選手の中でエリクセン(32アシスト)よりも多くのアシストを公式戦で記録したのはケビン・デ・ブルイネ(39アシスト)とネイマール(37アシスト)だけだ。さらに、その間のチェンスクリエイト数では、255回のデ・ブルイネに次ぐ数字(250回)を記録している。

 

我々のような観戦者はエリクセンの素晴らしさを示す数字に夢中になりがちだが、当の本人はそういったものに対してほとんど興味を持っていない。それらの数字は良いプレイをした末に生じる副産物に過ぎず、それ自体が目標になることは無いというのだ。スタッツを使って自身のパフォーマンスを評価することはあるかと問われたエリクセン「全くありません」と答えた。彼が目指しているのは「可能な限り試合に影響を与え、可能な限り試合展開に参加すること」である。「一番大切なことは、最善を尽くすことです。パスを出したら、アシストを記録したり決定機を創出したりできるのか。そういうところに拘るべきだと思います。」

 

では、ゴールやアシストを記録できた試合は良い試合なのか?「いや、違います。そういうことではありません。」エリクセンは答えてくれた

 

この競技を極めた者にとっては、良いプレイをしたという事実はあくまでも個人賞にしか過ぎない。「もちろん、ゴールやアシストを記録できればチームの助けになります。ただ、(ピッチの)外側から見ている人は数字やスタッツに注目し過ぎだと思います。そういう動きはどんどん大きくなっています。この方向こそがフットボール界の進み方でしょうね。でも、僕自身はそういうことには本当に注目していません。自分が出来る最高のプレイを目指して、出来るだけ多くのクリエイティブな仕事をしようとしているだけ。それだけです。」

 

出来るだけ多くのクリエイティブな仕事とは、確かに高尚な目標である。しかし、エリクセンに掛かれば非常に簡単な話に聞こえてくる。これをお読みの皆様はもしかしたらエリクセンフットボールを理解するための特別な言葉を持っていたり、この競技の持つ複雑さを解き明かすカギを持っていたりすることを期待しているかもしれない。しかし、彼はそんなものを持っていない。彼がピッチ上で見せているプレイに秘密など存在しない。

 

「目に映らないようなことをしているとは思いません。普通の人が目にしているのと似た感じですよ。何か秘訣があるようなことをやってるとは思わないですね。常にオープンにしています。とにかく試合展開に出来るだけたくさん関わるようにしています。スペースを作って、周りの選手と繋がるようにという感じです。外から見てる人が見落とすようなものだとは思いません。」

 

今季のエリクセンがこなしてきたクリエイティブな仕事は見逃す方が難しいほどのものだ。昨季も素晴らしい出来だったが、今季はそれを上回る。アウェイのボーンマス戦では中盤セントラルの位置から試合全体を掌握し、ボール奪取からソンフンミンへパスを出しチーム4点目をアシストした。完璧に試合をコントロールしたと言っていいだろう。今季のプレミアリーグエリクセンが欠場したのは、1月に行われたアウェイのサウサンプトン戦だけだ。この試合は今季のスパーズにとって最低のパフォーマンスで、盛り上がりに欠けたまま1対1で終わった。

 

では、創造性、クリエイティブさが(エリクセンが言うように)非常にシンプルなものであるならば、彼と比肩するほどに優れたフットボール選手がほとんどいないのは何故なのか。これもお決まりのことではあるが、先天的な理由と後天的な理由がある。たしかにエリクセンはヴィジョン、バランス、コーディネーションという点で天賦の才を持っている。しかし、そういった才能は彼自身によってよく磨かれたものでもある。彼の両親は共に地元のフットボールクラブでコーチをしており、当時2歳のエリクセン少年は4歳児を相手にプレイしていた。10代をデンマークの神童として過ごした彼は、16歳のときのアヤックス入り、21歳のときのトッテナム行きといったキャリアの各ステップで一生懸命に考え、ハードワークをしてきた。

 

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[アヤックスに在籍していた頃のエリクセン]

 

エリクセントッテナムに移籍した1年後、マウリシオ・ポチェッティーノが監督としてやってきた。彼はトッテナム組織力、インテンシティ、集中力といったチームが長らく持ち得なかったものを注入した。そしてエリクセンはハリー・ケインやデレ・アリといった面々と共にプレイすればするほど、彼らのプレイや走りを学び、それらを察知する術を身に着けていった。エリクセンは、創造性は「常に自分と共にあったもの」と言うが、成長させるためには経験の積み重ねも必要だと語る。

 

「(先天的なものと後天的なものの)両方があると思います。知覚の部分を鍛えて伸ばすことは間違いなく可能です。もちろん、ピッチ上でのフィーリングや知覚の能力を予め備えていることもあります。しかし、あるポジションでプレイすればするほど、そのポジションに慣れるし、チームメイトのテンポなどあらゆることに順応していくものです。ますます自然に、どんどん素早く感じられるようになります。」

 

エリクセンの言った現象はスパーズで実際に起こってきたものだ。若手選手が共に成長するということである。これこそが、監督や選手を入れ替え続ける裕福なライバル達を上回ってきたトッテナムが持つ強みである。彼らの後塵を拝しているビッグクラブの多くは持続性、チームワーク、信頼関係こそが最高のプレイを生み出す方法だということを分かっていないのだ。

 

「多くの試合に出て、多くのシチュエーションを経験することで学べるものがあります。我々は本当に多くの試合を一緒にプレイしてきました。互いに何を予期しているかを理解しているのです。僕が背後へ出すボールも予測できるし、デレ(・アリ)のランニングも予測できます。ハリー(・ケイン)が備えているのがセカンドボールなのかファーストボールなのかも分かります。」

 

「味方の選手達を認識するということです。ボールを受ける前にチームメイトあるいは相手選手のいる場所を認識するんです。そして、素早く判断を下して実行に移す。まさに直観みたいなものですね。僕らのチームにはほとんど直感のレベルで素早い意思決定を行える選手がいます。これが最も大切なことです。」

 

味方の前方へのランニングを察知し、素早く判断を下したエリクセンの次なる仕事は実行することだ。たとえボールを失うリスクがあるとしても、である。「文字通り一瞬です。味方がオープンになった、体勢も良い、ファーストタッチも良い。あとはチャレンジするだけです。意図した方向へターンする必要があるときは、決断を下すまでに1秒くらいかかるかもしれません。走った味方を信じられたら、彼が予測する軌道と落下地点にボールを届けるだけです。これらほとんどのことは直観的なものです。」

 

チームとして醸成された調和した動きにおいて、エリクセンはスパーズの自由人だ。そして、ピッチ上に生じるスペースを感じながら自由を謳歌している。今季のスパーズにとってのベストゴールはホームのエヴァートン戦で決めた、ピッチ上の選手全員が加わって13本のパスを繋いだ末のゴールだ。エリクセンが出した4本目のパスは、ハーフウェイの左サイドからベン・デイビスへ出したものだったのだが、そこからパスが9本続いた後、エリクセンはボックス内でアリのバックヒールパスをゴールに沈めた。「チームがボールを保持しているとき、僕はチーム内で最も自由な存在だと思います。スペースのある場所へどんどん走ってヘルプしようとしています。」

 

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しかしスパーズがボールを失ったとき、エリクセンであっても自由は取り上げられる。ポチェッティーノ監督はプレッシングと守備陣形には確固たるアイデアを持っており、そのアイデアにはエリクセンも含まれる。昨季の彼は主に3-4-2-1の2列目のどちらかを任されていたが、今季は4-2-3-1の2列目右サイドを担当してきた。これはつまり、相手の左サイドバックを追いかけなくてはいけないということだ。彼はこういったプレイを熱意と自己犠牲の精神を持って行っている。「当然、中盤(の真ん中の方)でプレイしているときよりも相手のレフトバックに対しては気を使わなくてはいけません。ほとんどの人はそれほど気にしてないでしょうが、自分の仕事をします。当然のことです。こういった方法でもチームを助けたいんです。」

 

現代のフットボールは、少年時代のエリクセンが憧れたミカエルとブライアンのラウドルップ兄弟やフランチェスコ・トッティが活躍した頃とは大きく異なる。彼らはチームがボールを持っているときには活躍してくれるクリエイティブな選手だが、スイッチを切って一息つきながらチームメイトが守備しているところを眺めることも許されていた。しかし、ポチェッティーノ率いるスパーズのような現代的なチームは、協調して組織的なプレスを繰り出すマシーンだ。各人が与えられた役割を全うしなくてはならない。タダ乗りは許されない。

 

「今は新しい時代です。昔と比べたら新しい方法でフットボールはプレイされています。彼ら(ラウドルップトッティ)は僕とは異なるタイプで、セカンドストライカーに近いですかね。現在の僕よりもずっと多くの自由が与えられていました。」

 

つまり、エリクセンマンチェスターシティのケビン・デ・ブルイネなどは21世紀のミッドフィルダーなのだ。素晴らしいテクニックを持ち、試合を決めることも出来る。そして、チームを守備で助けるためのアスリート性と自己犠牲の精神も兼ね備えている。現代フットボールで成功する選手とは、こういった選手達だ。

 

「本当に変わりましたね。どの選手もシャープだし、凄くフィットしています。どのチームも組織的で、全てのために戦っています。ミッドフィルダーでもクリエイティブな選手でも10番の選手でもです。こういった選手達は少し楽な役回りをしていますが、それでも変わりました。こういったポジションにもチームのために働けるだけでなく、フォワードを助けられる選手が必要です。変わったんです。もちろん10番として自由を与えられている選手もいますが、それでもチームのために働く務めがあるという点で違っています。」

 

エリクセンや彼らのチームメイトと同じくらいトッテナムというチームは成長している。あとは最後のステップを踏み出すだけだ。スパーズが2対2で引き分けたユヴェントスとのアウェイ戦でエリクセンは素晴らしい活躍をした。折り返してのホーム戦、ウェンブリーでリードを奪ったスパーズはクウォーターファイナルまで残り25分というところまで漕ぎつけた。しかし、そこから全てが崩れてしまった。試合結果が彼らの手から離れてしまった経緯をエリクセンは少しのフラストレーションを感じながらも振り返ってくれた。

 

「僕が思うに、ユヴェントスは待っていました。僕たちはこのまま間違いなんて起きないと、ほとんど自信過剰になっていたと思います。勝ち抜けるために優位な立場、ほとんど完璧な立場にいました。僕らはユヴェントスが大きな舞台に慣れていること、それほどボール保持を必要としていないことを思い知りました。」

 

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[ユヴェントスのホームで戦った1stレグでは開始10分までに2点を奪われる苦しい展開だったが、エリクセンを中心に素晴らしいプレイを見せたスパーズが追いつき2対2のドロー。ロンドンに帰っての2ndレグでも躍動感あふれるフットボールを展開し、先制点を奪うことに成功したが、したたかなユヴェントスは64分からの3分間で2点を奪い逆転。2戦合計4対3で勝利し、若きスパーズの準々決勝進出を阻んだ。]

 

しかし、次の機会があればスパーズは違うことをしなければならないとエリクセンは理解している。「冷静沈着になることですね。チャンピオンズリーグのノックアウトステージでは、たった3分間で物事が決まるということを僕たちは学びました。ユヴェントスは2本のシュートで2点を取りました。3分でもいいからもっと注意深くなる必要があります。そうすれば二度と同じことは起きませんし、勝ち抜けのチャンスはもっと広がります。」

 

チャンピオンズリーグは来年まで待たなければならないが、今度の土曜日(2018年3月17日)にはスウォンジーとのFAカップ準々決勝がやってくる。それに勝てばウェンブリーに戻って戦うことができる。昨年感じた苦しみとは無縁のホームグラウンドだ。

 

「(タイトル獲得まで)本当に近い所に来ました。決勝、準決勝で負けた経験もしてきました。重要な試合で望む結果は得られていません。クラブにとっては重大な局面です。今ここにいる選手達の全てがトロフィーを欲しがっています。僕がここに来た頃とは違います。みんな勝つためにこのクラブへやってきて、勝つためにプレイします。本当に変わりました。」