With Their Boots.

【後編】ガブリエル・ジェズスとママ(THE PLAYERS' TRIBUNE)

選手やコーチ自らが自身の半生について語るTHE PLAYER TRIBUNEというメディアに掲載されていた、マンチェスターシティのガブリエル・ジェズスの自伝記事をざっくり訳しました。元記事はこちら。前編はこちら


 

ブラジルには僕の人生に起きたことを表したような言葉がある。僕の人生は水からワインに変わったんだ。5年前、僕はヴァルゼアでただ生きるためにプレイしていた。何とかして、もっと大きなクラブに移ろうとしていた。僕はこれまで何人もの偉大な選手と一緒にプレイしてきたけど、彼らの中には現在、バスの運転手をしていたり、スーパーマーケットで働いていたり、建設会社で働いている人もいる。彼らに才能が無かった訳でも、怠け者だった訳でもない。そういうことの多くは、運とチャンス次第なんだ。ほとんどの人は、生活を成り立たせないといけない。夢を追い続けてはいられないんだ。

 

僕だってお母さんからのサポートが無かったら、今の姿はないだろう。

 

15歳のときにパルメイラスのトライアウトを受ける機会を得たんだけど、そこから全てが上手くいった。説明はできないんだけど、運命みたいに感じた。神による筋書きみたいに全てのことが完璧に進んでいったんだ。ユースチームにいて、そこで最初のちゃんとした契約にサインをした。そこからは、まるでロケットに乗せられているみたいだった。ファーストチームに加わって、そこで凄く良い感じにプレイできた。その後ですぐリオ五輪のブラジル代表チームに招集された。

 

招集の報せを受けたとき、物凄い感情が湧いてきた。

 

たった二年前までペリのストリートで2014年のワールドカップのために壁を黄色と緑に塗っていたって言えば、その瞬間に僕が感じたことを分かってもらえるかな。絵の上手な近所の人が、ダヴィ・ルイスネイマールといったブラジルの顔と言われる選手達を大きな壁画に描いていた。

 

その二年後、僕はネイマールとオリンピックに出場していた。初めてイエローの代表ユニフォームを着たときの感動は忘れられない。夢が実現したんだという思いだった。

 

2016年のオリンピックはブラジル人にとって凄くスペシャルなものだった。なぜなら、オリンピックの金メダルはまだ獲ったことがなかったから。トーナメントに懸ける思いの重大さはよく覚えているよ。それは、リオで行われた大会だったからじゃなくて、その前のワールドカップで起きたことも関係していた。(オリンピックの)最初の2試合が上手くいかなかったとき、本当に激しい批判が起きた。特にネイマールへのそれは凄かった。僕はと言えば、全てを制御し、チームを牽引するネイマールの姿に感銘を受けていたよ。

 

知っての通り、大会前まで、僕はみんなと同じように単なるネイマールのファンに過ぎなかった。彼が素晴らしい選手であることは誰でも知っている。僕は五輪期間中に彼のことをよく分かっていったんだけど、一人の人間として彼は本当に素晴らしい人だった。特に彼が他人と接するときの姿勢に凄く驚かされたよ。僕はフットボール選手の世界に入ってまだ日が浅かったけど、決して優れた選手でも、何かを勝ち取った選手でもないのにマスカレードな人とたくさん会ってきた。仮面を被っている人って意味さ。一つは世間に向けた顔、もう一つはドレッシングルームでの顔。でもネイマールは、全ての人を兄弟のように扱っていた。僕たちが団結でき、重圧を跳ね除け、互いのためにプレイできたのはひとえに彼の存在があったからだ。

 

金メダルを獲ったときは、信じられない瞬間だった。僕たちにとっても、この国にとってもね。大会が始まる前、ネイマールがタトゥーを入れていたんだけど、僕もそれにインスパイアされて似たようなやつをいれた。たった一枚の絵に全てが込められている、そんなタトゥーだったから。そこには一人の少年がいて、丘のふもとに立ってファヴェーラ(スラム街)を見上げている。彼はボールを抱えて夢を見ているんだ。

 

これは別に僕を描いた訳でも、ネイマールを描いた訳でもない。これは本当に多くのブラジル人の姿なんだ。そして、これが僕たちが金メダルを獲ったことの意味を表している。

 

f:id:dodonn_0704:20180127111736j:plain

 

当然の話だけど、2018年のワールドカップに出るために、僕は全てを捧げるつもりだ。でも、ブラジルはブラジル。物凄い競争があって、確かなことは何一つ存在しない。それは、僕がマンチェスターシティ行きを決めた理由でもある。選手として成長し続けなければならないということは分かっている。

 

マンチェスターでの生活は)ブラジルとは全然違うってことは伝えたい。太陽なんてほとんど見られないしね。もっと暖かい場所にあるクラブからもオファーを貰っていたんだけど、僕はペップ・グアルディオラの下でプレイするためにマンチェスターシティに来た。

 

こんなに寒くて、言葉の通じない国に来たのは人生で初めてだ。理解してもらうにも挑戦があって、そういう意味では孤独とも言える。でも、グアルディオラ監督が僕に電話をくれて、そのときに僕はサインすることを決めたんだけど、彼は僕に、シティの未来のために君は大切な存在だって言ってくれたんだ。

 

この電話は本当に重要だった。何故なら、彼が僕の将来を思ってくれていることを示してくれたんだから。こういった会話を十分に持てたときってのは、相手の本気さを感じられるものさ。グアルディオラ監督はフットボールについてとにかく純粋な人で、それが大きな意味を持つ。

 

彼の言葉を聞いたとき、僕が考え直すことは無かった。これで決まった、シティに行く。

 

でも、マンチェスターシティへ発つ前に、僕にはやるべきことが残っていた。人生に一つの区切りをつけなくてはいけなかった。

 

僕はペキュニーノスが使っているフィールドにスパイクを持って行った。9歳の頃に初めてそこへ行ったときみたいに。でも今度は、本当に綺麗なやつを250足も持って行った。

 

今のペキュニーノスなら、濡れたピッチで大きなクラブと戦っても、当時の僕らより上手くやれるはずだ。エクスキューズはもう無い。

 

本当のことを言うと、初めてマンチェスターシティに来たとき、全てを失った気分になったんだ。お母さんはイングランドとブラジルを行き来していたけど、彼女から離れて暮らすのは本当に大変だった。お母さんは僕にとっての全てだったから。彼女は僕が成長する過程において、母でもあり、父でもあった。

 

まだペキュニーノスでプレイしていたとき、他の子供達は試合後に父親に連れられて帰っていた。僕はひとりぼっちさ。これはけっこう堪えたね。でも今は、誰かに父親について尋ねられても、僕のお母さんが父代わりって言える。彼女は僕や兄弟の成長に全てを捧げてくれた。

 

彼女もまた、マントの無いヒーローだったのさ。

 

だから僕は得点を決めたとき、彼女がスタジアムにいなくても、電話を取って語りかけるんだ。

 

僕がまだ子供だった頃、ママは僕の居場所を見つけるためならいつでも電話をかけていた。もし繋がらなかったら、友達の家にかけまくるんだ。

 

 

 

「やぁ、ママ!」

 

僕が電話を取るとき、それは僕のお母さんと僕らが経験してきた苦境への敬意を表している。それはまた、友人やコーチのマメッジさん、そしてブラジルで僕を助けてくれた全ての人に対してでもある。

 

僕はいつだって夢を見ている。でも、僕が思い描く最高の夢というのは、今現在の僕の姿ではない。今年の夏にはワールドカップに向けて、ストリートをペイントする子供達がたくさんいただろう。たぶん、彼らは大きなクラブでプレイしないかもしれないし、プレイ出来ないって言われているかもしれない。

 

彼らには戦うことを止めてはいけないと伝えたい。

 

エティハドスタジアムのトンネルを歩く4年前、僕はヴァルゼアでプレイしていた。お前の足を駐車場でぶっ壊してやるとも言われた。

 

現在はモルタデッラが乗ったサンドウィッチとソーダみたいな人生かもしれないけど、夢に向かって挑戦し続ければ……何が起こるかなんて分からないでしょ?

 

水もワインに変わる。

 

これで僕の話は最後になるけど、全ての子供達に伝えたい最後のメッセージで、一番伝えたいこと。

 

夢を見ることを止めてはいけないよ。

 

 

あ、そうだ。もう一つだけいいかな?

 

ママにはちゃんと連絡しなよ。彼女はいつも君を思っている。

 

Gabriel Jesus.