With Their Boots.

【前編】スウェーデン4部から7年でヨーロッパリーグへ~変人集団エステシュンズの軌跡~

エステシュンズFKというクラブをご存知でしょうか?ストックホルムから500kmほど北にある町を本拠とするこのクラブは、2010年からの7シーズンの間に3度昇格し、今季ヨーロッパリーグにまで辿り着いた。今回は7年前まで4部を戦っていたクラブが欧州のコンペティションにまで辿り着いた裏側に何があったのかを、ESPNこちらの記事とGuardianのこちらの記事を中心にざっくりと訳しました。


 

 

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“Eljest” 居住者の少ないスウェーデンの北部以外ではほとんど使われなくなった言葉であり、風変りで、他の人とは少し違った、エキセントリックな者を指す言葉である。そして、2010年の秋に、当時4部に沈み崩壊の危機に陥っていた小さなクラブの行く末を議論していたダニエル・カインドバーグとエステシュンズFKをまとめる他の重役たちが行きついた言葉である。

 

「我々がどうしたいのか、どういうフットボールをプレイしなければいけないのか、どうあるべきか、何者になるべきか、その理由は何なのかを分析しなければいけませんでした。何を求めていくかを決めて、その後は皆さんが知っての通りです」とカインドバーグ会長は語った。

 

カインドバーグのオフィスで過ごした2時間余りは目まぐるしいもので、晩夏の午後に深い森と寄り添うように建つヤントクラフトアレーナの内部で感じたことの中で、普通だと思えるような物は何一つ無かった。外のピッチで練習する選手達の背後には、座席数が見るからに大きくなったスタンドの一角がある。エステシュンズは現在、ヨーロッパリーグのグループステージの準備を行っているのだ。今度の木曜日(9月13日)にゾリャへ遠征するとき、エステシュンズは大陸中を見渡しても例が無いような飛躍をする。

 

この物語は、’90年代から’00年代初頭にかけてボスニアコンゴ民主共和国などの紛争地域に隊長格として駐留した経験を持つカインドバーグの貢献無くしては語れない。彼はストックホルムから北西に300マイルほど離れたところにあるエステシュンズの兵舎に配属されたが、翌年の閉鎖を受けて普通の居住区に引っ越した。

 

「撃ってくるような奴はいませんから、ビジネスの世界は楽なものですよ」とカインドバーグは語る。彼が役員として加わったエステシュンズというクラブは1996年に設立されたのだが、フットボールの世界で成功することは家を建てることほど単純な話ではなかった。2010年、エステシュンズが4部に降格した後、カインドバーグは会長を辞任した。

 

カインドバーグは「ネガティブなこと、我々が戦ってきた馬鹿げたことが嫌気がさしたんです」と言う。「フットボールの世界では普通に行われていること、白人主義、異性愛主義、力を持った男たちがあれやこれやと互いを叱責し合う…。もううんざりして、出て行きました。ところがある日、家にいたらドアをノックする者がいたんです。選手達から、戻ってきてほしい、さもなくば全員辞めるつもりだ、と言われました。考えるのに数日を要しました。軍人あるいはビジネスマンとしてなら、感情に基づいて決断を下すことは出来ません。しかし、フットボールの世界でなら、誰でも子供に戻ってしまうものです。私は感情を頼りに復帰を決意しました。当時の我々にはほとんど何もありません。何人かの選手とスタジアム、パートタイムの従業員が一人、そして年間売上が30万ユーロだけ。私達は再出発しました」

 

チームの監督を務める人物は、当時のカインドバーグが必要としたものの一つだった。彼は一人の若いイングランド人に電話をした。グラハム・ポッターはカインドバーグが2009年から誘いをかけていた人物である。ポッターはリーズ・メトロポリタン大学の修士コースに通っており、最初に打診を受けたときに目前に迫っていた第一子の誕生も海外への移住を難しくさせていた。しかし、今回はポッターの準備は整っていた。

 

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[エステシュンズを4部からヨーロッパリーグまで引き上げたグラハム・ポッター監督。就任したときは35歳だった。]

 

カインドバーグとポッターを引き合わせたのは、長らくロベルト・マルティネスの副官を務めるグレアム・ジョーンズという男だ。彼はミドルズブラU-14で働いていた2006年にプレミアリーグからエステシュンズへ派遣され、そこでカインドバーグと出会う。さらに2007年のプレシーズンには、ロベルト・マルティネス率いるスウォンジーのアシスタントコーチとしてエステシュンズを再訪。そのキャンプで、カインドバーグはスワンズが展開するフットボールに魅了され、両者の結びつきはさらに強固なものなった。

 

ジョーンズとポッターの関係はもう少し古い。二人が出会ったのは2003年、ボストンユナイテッドで共にプレイをしたときまで遡る。下部リーグとは言え数多くの得点を量産していたジョーンズに対して、ポッターはそれほど目立った功績を残してきた訳ではなかった。しかし、ジョーンズは「選手として、あるいは一人の人間として他人とは違った輝きがあった」と出会った当時のポッターを評する。

 

エステシュンズが降格した年、カインドバーグから新監督についての相談を受けたジョーンズはすぐにポッターを推薦した。信頼するジョーンズからの推薦とは言え、推されたのは監督経験が全くない者だったため、カインドバーグは戸惑っていた。それでもジョーンズは「グラハム・ポッターこそが最適な人物である」と主張した。その後、エステシュンズがポッターと共に歩む未来を思えば、カインドバーグの躊躇は単なる杞憂だったと言えよう。

 

ポッター自身は当時を振り返って「イングランドフットボール界で得られるチャンスは限られていました。だから考えましたよ。『挑戦してもいいんじゃないかな』って。このクラブはたぶん過去最低の状態で、悲観的な空気が支配している。そして町の人々もそういうことを忌み嫌っている。でもこれはフレッシュなスタートを切るチャンスなんです。ダニエル(・カインドバーグ)は、とてもユニークなもの、クラブのアイデンティティを確立させてくれました。以前にもそういった物があったのだとしたら、それはあまりポジティブなものでは無いでしょうから」と語る。

 

「彼はフットボールコーチというだけでなく、私がこれまでの人生で出会った中で最も素晴らしい人の一人です」こう話すのはポッターからキャプテンに指名されたブルワ・ヌーリだ。ヌーリと話している間、彼の目はしばしば潤んでいた。彼のフットボールキャリアと自信は酷く落ち込んでいたのだが、ストックホルム中央駅でのポッターとの出会いが全てを変えた。イラクのクルド自治区から母親と共に移り住んできたヌーリは、AIKソルナというクラブで有望株として扱われていたが、お金と眩い光が彼を堕落させてしまった。

 

「悪い連中と付き合い、良くない場所に身を置き、遅くまでそこで遊ぶ。そんなことを何年も続けていました」とヌーリは振り返る。「ついにはクラブから放り出され、契約は破棄されてしまいました」

 

幸運にも下部リーグに属するDalkurdというクルド難民によって設立されたクラブに拾ってもらい、2014年には物凄い勢いで2部まで駆け上がってきたエステシュンズを強化する一員としてポッターに見込まれて移籍を果たす。

 

「ポッターは非常にエモーショナルかつ知的に人と触れ合います。暖かく迎えてくれ、成長させてくれます」とヌーリは語る。「彼はあらゆる分野に精通しています。自分にとって彼はとてつもない存在です。そして大きな感謝の気持ちも持っています。あんなことをやっていて、あれだけ落ちぶれていた後に、こういう結果を得られるなんて全く考えられないことです。とても言葉には表せません」

 

ポッターは、ヌーリのような選手達に二度目のチャンスを与えたり、フットボール選手として崖っぷちにいる選手達を信頼したりすることによってエステシュンズのスカッドを作り上げてきた。

 

ウィングバックとしてプレイするカーティス・エドワーズについても成功物語がある。彼はミドルズブラに在籍していた当時の自分を「正しい振る舞いをしなかった」と評する。エドワーズの場合はナイトクラブ、酒、賭博、女という感じで典型的な堕落の仕方をしており、20歳までは父親が経営する建設会社で働きながらノーザン・リーグ・ディビジョン2(9部以下相当)でプレイしていた。18カ月前、スウェーデンの5部リーグで何とか生き残ろうとしていたところをポッターに拾われた。

 

ヨーク出身で25歳のジェイミー・ホップカットもエステシュンズに来る前はイングランドの7部あるいは8部相当のリーグで燻ぶっていた。彼らの成功はイングランドフットボール界がいかに選手達を「何も無い状態」に陥れさせているかを表していて、しばしばエステシュンズのようなクラブの利益になっているとポッターは信じている。

 

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[カーティス・エドワーズとジェイミー・ホップカット。共に数年前までイングランドのアマチュアリーグで燻ぶっていたが、今ではヨーロッパリーグ決勝トーナメントを争うチームの主力選手だ]

 

 

ポッターは言う。「もしもイングランドフットボール界からリリースされて、ノンリーグ(アマチュアリーグ)で戦うようなフィジカルを持っていない場合、海外へ行くという選択肢もあるのです。ジェイミー(・ホップカット)は英国にあるクラブのどこにもフィットしなかっただけで、フィジカル的に穏やかなリーグに来たことによって選手として生き残ることが出来たし、成長することが出来ました。我々がやってきたことは彼にとって大きな助けになっていました。しかし、誰を獲得しようと、フットボールは人間によって行われる団体競技であるというのが私の考えです。そういったことを考慮しないでいると、いばらの道に直面することになり、何かしらの問題が起きるでしょう。個性を伸ばすこと、人間性を育むことは我々にとって生命線だと思っています」

 

ヌーリらがポッターと共にタイトルを勝ち取る瞬間は2017年4月にやってきた。スウェーデン杯の決勝でNorrkopingというクラブを4-1で下し、エステシュンズにとって初めてトップディビジョンで戦うシーズンはトロフィーと共に締めくくられた。この結果によって、彼らはヨーロッパの大会に出られるようになったのだが、次に起きたことは大陸中に衝撃をもたらした。この夏、彼らはヨーロッパリーグ(以下EL)2回戦でトルコの強豪ガラタサライを2戦合計3-1で退けたのである。

 

エステシュンズはホームで2-0の勝利を収め、信じられないことにイスタンブールでは1-1のドローに持ち込んだ。ヌーリは彼の周りにいる全てを跳ね除け、決定的なPKを後半に決めた。ホップカットは素晴らしいゴールを決めてヘッドラインを飾った。続くラウンドでルクセンブルクのFola EschとギリシャPAOKに勝ったことで(PAOKとのラウンドでは1stレグを3-1で落としながら2ndレグを2-0で終えて勝ち抜け)、エステシュンズはゾリャ、ヘルタ・ベルリンアスレティック・ビルバオとのグループステージに挑むことになった。

 

「グラハム(・ポッター)の考えを笑う人もいましたが、年が経つにつれて少しずつ信じ始める人が出てきました。今やクソだなんて言う人はいません」とヌーリはポッターについて語ってくれた。

 

「将来的に私が何をするにせよ、私が成し遂げたことが実際の成果の半分であっても、私を雇った人はとても幸せに感じたと思います。何回かの昇格もメジャータイトルの獲得もEL挑戦も、全ては4部での戦いから始まったんです。普段はこんなこと考えませんが、ちょっと引いて見てみると、『けっこう凄いじゃん』って思いますね」とはポッターの言である。

 

 

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