With Their Boots.

キケ・フローレスが語るメディア業と指導者業(The Guardian)

「良い指導者は良い/悪い解説者である」「優れた解説者は優れた指導者になる/ならない」こういった命題は様々な競技において肯定と否定を繰り返されてきました。こちらの記事は2016年にワトフォードFAカップ準決勝まで導いたキケ・サンチェス・フローレス監督が引退後のメディア生活をThe Guardianで振り返ったものですが、その論争に一つの材料を提示してくれそうです。彼は「ジャーナリストとしての経験があったから、より良い監督になれた」と語ります。元記事はこちら。※元記事が公開されたのは2016年の4月になります。


8歳の頃、キケ・サンチェス・フローレスは枕の下にラジオを忍ばせて眠っていた。「スポーツ番組とコメンタリーを聞いていました。スポーツに関してはクレイジーなほどに熱中していて、それはフットボールだけに限りませんでしたよ。ハンドボールもバスケットボールもテニスもホッケーもラグビーも、私はあらゆるスポーツを愛していました。」

 

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[ワトフォードを率いていた頃のキケ・フローレス。2017/2018シーズンはエスパニョールを指揮している。ダンディ。]

 

15歳になる頃にはスポーツジャーナリストになりたいという思いに気付いていたが、幸運にもフローレスはプロのフットボーラーになれるだけの才能を持っていた。バレンシアで10シーズン、レアルマドリードで2シーズン、レアルサラゴサで1シーズンを過ごし、スペイン代表でも15のキャップを積み重ねた。

 

フローレスは簡単に挫けるような人間ではなかったが、1997年に現役を引退。その後、1990年のワールドカップにも出場した右サイドバックは、ついに夢の世界に飛び込むことになった。そこからの4年間をかけて彼はマルカ、エル・ムンド、ディアリオ・デ・バレンシアなどの新聞にたくさんの記事を寄稿。さらにTVとラジオの解説者としても働いた。

 

もしも物事が違う方へ進んでいたら、ワトフォードクリスタルパレスが激突するFAカップ準決勝ではウェンブリーの記者席に座って分析記事を書いていたかもしれなかった、とフローレスは笑った(※このシーズン、彼が率いるワトフォードFAカップ準決勝に進出していた)。実際にはメディアの世界での暮らしは一時的なものに終わったが、当時を振り返る彼の言葉は彼自身のパーソナリティを浮かび上がらせる。また、自身も認めている様にメディアで経験したことは彼がチームを率いる上でとても有意だった。

 

「メディアで過ごす時間を監督になるための準備期間として使おうとしていました。心のうちははっきりしていました。指導者としての自分を認識していましたから、ここで働く期間が長くないことも分かっていました。私はその時間を上手に使いたかった。今、観戦している試合に対して完璧に集中し、それについて説明したり書いたりすることから多くのことを学びました」

 

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[09/10シーズンはアトレティコ・マドリーを率いてUEFAヨーロッパリーグの初代優勝監督に。]

 

「この経験のおかげでより良い監督になれました。分析しているときは異なる視点を持たねばならないからです。TVとラジオそれぞれで番組を持っていたときは、試合の録画を持ち帰っては3~4時間かけて分析をしていたものです。ノートに書き込んだら、それらを削ったり編集したりしてね。そういう経験をしてきました。面白かったですよ。でも、一番好きだったのは記事を書くことでした。大好きでしたね」

 

フローレスとは、何かをするときはしっかりこなす男だ。「自分が今何をしていようとも、常にきちんとやる必要があります。」と本人も語る。文筆業に従事していたときも、彼は彼自身の手で記事を書いていた。元選手にしては珍しい行為である。デイリー・テレグラフに寄稿するアラン・スミスなどの例外を除き、イングランドの新聞において執筆者欄に元選手の名前が載る記事の多くはゴーストライターによるものだ。

 

さらにフローレスは、締め切りの猶予がほとんど無いナイトゲームのときも記事を書いていた。今のように各スタジアムにしっかりとした無線環境が無い時代に、である。

 

「ラジオ中継に出演している間に試合の分析をし、それが終わったらマルカなどの新聞に記事を書いて送らなければいけませんでした。物凄く手早くやらなければいけません。だいたい45分か1時間しかかけられません。Eメールで送らないといけなかったんですが、送信失敗になったことは何度もありました。先方には『OK、心配するな。もう一度送ってくれ』ってよく言われました。とにかく慌ただしくて忙しかった。当時のことはよく覚えていますよ」

 

フローレスは戦術分析の記事を書いていて、その数はゆうに1000を超えるという。「家族はその記事を切って、まとめていましたね。叔母さんは私が書いた記事を全て保管してくれています」

 

記事は良い出来でしたか?副編集長のテーブルで手直しが必要でしたか?という疑問がわいてきた。「いや、全くそんな必要はありませんでしたよ」と答えてくれたのはマルカのフットボール部門チーフであるフアン・カストロだ。「キケ(・フローレス)の書いた記事にはそれほど編集や手直しは必要ありませんでした。彼は適切な文法で執筆し、誤字などもありませんでした。素晴らしかったですよ。彼は元選手の書き手としては最高の水準で、過去15年ほどのスペインのTV界を見渡してもベストのコメンテーターと言っていいでしょうね」

 

「そうは言っても時々は文法的なところや語彙の部分で手直しされることはありましたよ。でも、記事の魂の部分が直されることは一切ありませんでした。そういった行為は嫌ですね。文章を二つほど書き換えられただけで、その記事の本筋は変わってしまうものです」とフローレスは付け加えた。

 

フローレスは魂やフィーリングについての話を多くしてくれた。彼は、自身が率いるワトフォードが逆境においてもボールを持ち、必ずしも攻撃で怖さを出さなくとも良いフィーリングを得るためにパスをいくつか繋ぐ姿勢が好きだと語る。彼曰く、彼のライティングスタイルはフットボールとフィーリングを融合させたものだという。戦術的評価のみを取り上げたものではないのだ。

 

「ガブリエル・ガルシア・マルケスパウロ・コエーリョ、マリオ・ベネデッティなんかを多く読んでいました」とフローレスは語り、南米の偉大な文筆家の名前を挙げた。「元選手ということで言えば、ホルヘ・ヴァルダーノ(元アルゼンチン代表選手)が素晴らしいものを書いていました。アンヘル・カッパもそうですね。私がレアルマドリードでプレイしていたときにはアシスタントコーチをやっていました」

 

「このスタイルを愛していて、発展もさせてきました。フィーリングの差異を掘り下げるのが好きなんです。自分の書いた記事には本当にセンシティブでしたし、それは独特なものでもありました。何かを書く時はすぐにやる。だからPCの画面が空になることなんてまずありません。いつも何かアイデアを持っています。毎日、記事を書いていると、それはもうほとんどトレーニングみたいなもので、言葉が降りてくるようになります。でも、15日くらい書くのをやめると、『ワオ、またやり直しだ』って思いますね」

 

フローレスはプレミアリーグに戻ってきた今季のワトフォードに素敵な筋書きを立ててきた。リヴァプールとのホーム戦に3-0で勝利したときは7位に付けていた。素晴らしいスタートを切り、降格圏に沈んだことはこれまで一度も無い。さらにFAカップでの快進撃もあり、昨夏に16人もの選手をクラブが獲得したことを考えても、フローレスがやってきた働きの大きさは計り知れない。

 

ワトフォードにおいて、監督というのはよく入れ替わるもので、このチームは前回の昇格したシーズンには4回も監督を替えてきた。しかし、リヴァプールに勝って以降、フローレスが率いるチームが3勝4分け10敗という結果に終わっていることは経営者グループには気付かれていないようだ。クリスタルパレスとの準決勝はフローレスにとって初めてのウェンブリーとなる。彼のキャリアにおいても決定的な瞬間だと感じられるだろう。