With Their Boots.

【後編】ユリアン・ナーゲルスマン インタビュー(JOE)

JOEに掲載されたユリアン・ナーゲルスマン監督インタビューの後編になります。前編では、彼に訪れた怪我による選手キャリアの終焉と最愛の父の死という悲劇、そこから立ち直る過程、そして指導者としての歩みが紹介されていました。後編では、当初の予定を前倒ししてホッフェンハイムの監督になった彼のその後について、ナーゲルスマン自身が語ってくれています。元記事はこちら。前編はこちら


2016年2月11日、当時28歳だったナーゲルスマンは責任ある立場に放り出された。ホッフェンハイムブンデスリーガの順位表の下から2番目に位置していた。クラブ内、そして選手間にも熱意があったものの、ドイツのメディアは好意的な反応を示さなかった。Rhein-Neckar-Zeitung紙は『PR目的のスタントに過ぎない』とレッテルを張り、Frankfurter Rundschau紙に至っては“Schnapsidee”―泥酔した状態で起こる狂った発想と書いた。

 

こういった言説が、ナーゲルスマンを悩ませることは全く無かった。「最初に頭に浮かんだのは、降格を回避するためにどれほどハードで長い道のりが待っているかということでした。そして、次に浮かんだのは、攻撃的なフットボールを勇敢に行わない限り残留することは出来ないだろうということです。」翌2016-17シーズンにドイツ最優秀監督を受賞した男は振り返る。

 

「とにかく試合に勝つこと。守っているだけではいけません。我々には勝ち点が必要だったんです。2回ほど良い連勝があり、強烈な揺り戻しもくらいましたが、何とかブンデスリーガに残留することが出来ました。降格圏とはたったの1ポイント差でしたから、本当に際どい結果でした。しかし、自分が監督になった頃には(残留圏内まで)10ポイント差の17位に位置していたことを忘れるべきではありません。ステフェンス監督が辞任する直前の試合では自分達より順位の低いダルムシュタットにも負けましたし、思い通りに事が進んだ訳ではありません。」

 

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[就任初戦となるブレーメン戦に臨んだナーゲルスマン監督。]

 

「今までの人生で自分は常にリスクを取る方を好んできました。そして、クラブから任されたタスクを受け入れることも確実にリスクでした。クラブにとっても、私のやり方を信頼して任せることはリスクだったでしょうね。」

 

これだけ危険な状態にあったホッフェンハイムの指揮を執ることだけでも十分に厄介な仕事だったのだが、ナーゲルスマンはこれと並行して指導者資格を修了するための戦いも行わねばならなかった。

 

「ライセンスを取るためにフォーメーション講座を修了しなくちゃいけませんでした」彼は笑いながら、A級資格の獲得に至るまでの狂った日々を振り返ってくれた。

 

「チームで残留争いを戦っている裏で、自分は最終試験を受けなくてはいけませんでした。とんでもないプレッシャーでした。特に精神的な部分で。日曜のドルトムント戦に備えつつ、月曜には試験が待っています。水曜の朝にはまた別の試験があって、その日の夜にはアウクスブルクとの試合がありました。」

 

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[残留争いと並行しながらも、見事に指導者ライセンスの最終講座をパスしたナーゲルスマン(写真右)。左は講座で同期だった現シャルケ監督のドメニコ・テデスコ。]

 

「そして土曜には同じく残留を争うシュツットガルトとの重要な一戦が待っているのです。自分の人生でも最もクレイジーな一週間でしたね。30歳より長く生きたいなら、あんな経験は絶対しない方がいいですよ!」

 

クラブの監督としての最初の時間を堪能する暇も無かった。「最初に電話をもらったのは日曜の夜で、翌日の午前10時には最初のミーティングがありました。準備する時間なんてそれほど無くて、多くの言葉を考えることも出来ませんでした。」

 

「とにかく勇気を持って攻撃的なフットボールをしようという自分のメッセージを伝えたいと思いましたね。試合に勝つことを考えること、恐怖の中で過ごさないこと、得失点差を気にせず、守りに入って負けないように戦ってほしくないことなどです。」

 

「もう一つ重要なメッセージとしては、コーチとしての自分と選手との関係性をどのように捉えるべきかという点です。選手達には残留争いのプレッシャーがあったとしても自分を失わないこと、自分と君たちとは同じ立場で唯一の違いは最終的な判断を私が下すという点だけだと伝えました。」

 

「年齢は関係ありません。良好な雰囲気を保つこと、お互いがリスペクトを持った関係性でいることが全てです。そして、我々全員は同じ目標を持つ必要があるのです。」

 

フレッシュなアイデアを呼び起こさせてくれた存在としてトゥヘルとホッフェンハイムのユースチームの元監督であるXaver Zembrodを敬愛するナーゲルスマンは勇敢にも自身が望んだ難局を乗り切り、14試合で7勝を挙げてドイツのトップリーグホッフェンハイムを留まらせて見せた。

 

そして、彼は真の魔法を起こす。少年時代にバイエルン州の大会で優勝したこともあるモトクロス愛好家は、限られた選手層にもかかわらず欧州の舞台へ進出した。今季のチャンピオンズリーグで決勝へと猛進することになるリヴァプールに予選プレイオフで退けられてしまい、フットボールクラブの頂点を決める大会への参加は叶わなかったが。

 

夏にはニクラス・ジューレとセバスティアン・ルディを、1月にはサンドロ・ヴァグナーをバイエルンに引き抜かれ、ヨーロッパリーグの過密日程に対応しながらも、今季のホッフェンハイムは大陸のエリートを決める舞台へ邁進している。

 

RBライプツィヒとのアウェイ戦を5-2で制したことにより、4位のレヴァークーゼンとは2ポイント差だ。2018-19シーズンからのルール改定により、4位以上になれば自動的にグループステージへの参戦が保障される。

(訳者注:最終節でドルトムントに勝ったことで、ホッフェンハイムは3位でフィニッシュ。無事に来季CLの出場権を確保した。)

 

ホッフェンハイムよりも多くの得点を挙げているのはドルトムントバイエルンだけであり、ナーゲルスマンがチームを率いた2シーズンでより多くの勝ち点を挙げているのもこの2チームだけである。「クラブにとってはとても大きな成果ですよ。我々は巨人ではありませんから、もっと高く評価されるべきです。」

 

「1日の終わりに、楽しいフットボールをして3ポイント取れたことをお祝いできるのも、全て選手とコーチングスタッフの勇気があってこそです。」

 

ナーゲルスマンはホッフェンハイムの進歩だけに執着するのではなく、将来のフットボール界を担う世代に出来るだけ多くの機会が与えられるべきだと唱える存在でもある。彼はコモンゴールに参加した最初のヘッドコーチだ。この運動は、フアン・マタとストリート・フットボール・ワールドによって設立され、フットボールという競技を通じて社会を良くしていこうという目的を持つ。

 

「自分が晴れやかな世界で生きていることは分かっています。」マンハイムシュツットガルトのフリーで使えるフットボール場を支援しているナーゲルスマンは語る。

 

「私はしっかり稼げる職を得ていますが、世界中どこでも、ドイツであっても、貧困に苦しみ助けを求める人がたくさんいることを知っています。コモンゴールに参加した理由は、フットボールには大いなる変革を起こす可能性があるからです。コーチであっても選手であっても、こういったチャリティと繋がることは、多くの気付きを起こし、他の人にも参加しようという気持ちを促せるのです。」

 

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[コモンゴールはフアン・マタが主導して始まったフットボールを通じた社会貢献活動を行う団体。ナーゲルスマンの他にはジョルジオ・キエッリーニやアレックス・モーガン香川真司などが参加している。]

 

フットボールを通じて子供達により良い未来を提供しようという目的を持った地元の組織もサポートしています。(子供達を)サポートすることは非常に大切なことです。だって将来を担うのは彼らなのですから。私が子供の頃は当たり前だった、小さいころからスポーツクラブに通うという文化は無くなりつつあります。我々にはそれを変えるだけのパワーがあり、それを活用しなければいけません。」

 

自身の将来についてナーゲルスマンはよく考えているようだ。バイエルンドルトムントアーセナルなどが彼の立身出世を追いかけ、動向を探っていることには驚かない。しかし、解除条項が来夏から発効する契約を2021年まで残す一児の父は、移籍することを急いでいない。

 

「私のキャリアにおける次のステップはスペシャルなものである必要があります。なぜなら、私はここでとても気分よく働けているからです。この点については強調しておきたいですね。これまでもたくさん言ってきましたが、プライベートな時間でも同じことを感じています。働くことを常に楽しんでいますよ。」ナーゲルスマンは語る。

 

コーチングスタッフの間では素晴らしい雰囲気があります。私達はみんなとても若いですが、みんな仕事に集中していますし互いにジョークを飛ばし合うこともありますね。チームには素晴らしいキャラクターがあって、選手と裏方のスタッフとの間にも固い絆、友情のようなものがあります。」

 

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「私はクラブに恩義を感じていますし、逆もしかりでしょう。だからこそ、とても良い感じで機能しているのだと思います。我々は何とかしてホッフェンハイムというクラブをドイツの地図に載せたい。それだけでなくヨーロッパで存在感を示したい。それが出来たらとてもナイスなことですよね。」

 

「全ての選手、コーチは自身の将来を考えるものです。私が次のステップに進むときも将来的にはあるでしょう。ただし、それが起きるのは適切なタイミングが来たときです。それが起きなかったとしたら、私は今までと変わらずハッピーな気分でここに出勤し、ピッチへ出て行ってるでしょうね。監督をやってみたいと思うクラブ、興味の持てるクラブが現れたときには、もしかしたら次のステップに進むかもしれません。でも、私は2010年からここホッフェンハイムのために働いてきました。とても幸せですよ。」