With Their Boots.

名コメンテーター達が明かす、マイクロフォンの向こう側の世界(Goal)

テレビやPCなど画面を通してのスポーツ観戦を声でサポートしてくれる実況・コメンタリーについての記事がGoal英語版に上がっていました。ESPNBBCなどの放送局で数々のビッグマッチに声を吹き込んできた何人かのアナウンサーの言葉を通じて「コメンテーターになるとは何なのか?」「本当に必要な声とはどんなものなのか?」を探ります。元記事はこちら


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[イングランドで最も有名なコメンテーターの1人であるマーティン・タイラー(画像左)。右は解説のギャリー・ネヴィル。]

 

偉大な試合の数々の詳細を描写してきた彼らの声は、この業界に存在するものの中で最も目立つものの一つと言える。しかし、コメンテーターになるとは一体どういうことなのだろうか?

 

フットボールの歴史に残る有名な瞬間を思い浮かべてほしい。選手の動き、ネットを揺らすボール、チームメイトやサポーター達が歓喜に沸く姿を脳内に映し出すだろう。一連のプレイを詩的に描写する音声と共に。

 

いくつかの象徴的なゴールはコメンタリーと本質的に結びついているものだ。例えば、2012年にマンチェスターシティの優勝を決定づけたゴール。(実況の)マーティン・タイラーはアグエロオオオォォォォ」と絶叫した後にこう言った。「私は誓います。この先、こんなものは絶対に見られないでしょう。だからこそ、ご覧ください。味わってください。」

 

[11/12シーズンの最終節、93分20秒にアグエロのゴールが決まり、マンチェスター・シティが悲願のプレミア初優勝を成し遂げた。動画はマンチェスター・シティ公式があげているドキュメンタリー。実況を担当したタイラーもインタビューに応えており、あの名実況を聞くこともできる。]

 

コメンタリーは我々のフットボールの見方を形作る。優れたコメンテーターは何を言うべきか、いつ言うべきか、いつ黙してプレイそのものに語らせるべきかを理解している。

 

多くのフットボールファンには、それぞれにお気に入りのコメンテーターがいて、若いサポーター達は画面から聞こえてくる特徴的な声を見習いながら成長していく。

 

しかし、フットボールのコメンテーターになるにはどうすればいいのだろうか?Goalはこの業界で最も優れた何人かのコメンテーターに話を聞き、どんなことを内に秘めているのか、トップレベルのコメンテーターの人生とはどんなものなのかを探った。

 

フットボールの世界でコメンテーターになることは、将来の見通しの立たないものだ。ごく僅かな選ばれし者しか生涯にわたってフットボールの試合を語ることはできない。

 

著名な者の多くはその仕事を使命だと感じている。現在の自分がいる場所に辿り着くために人生を捧げ、競争相手から抜きん出るために膨大な時間のハードワークと訓練をし、多数の視聴者に声を聞かせるに至ったのだ。

 

コメンタリーの世界で仕事を得ることは難しい。機会を得るのは常に簡単ではなく、業界に飛び込むための鍵となり得るのは忍耐とコネクションだ。アメリカの視聴者にはチャンピオンズリーグの実況でお馴染みのデレク・レイは、BBCESPN、BT Sportなどのチャンネルで働いてきた。今ではFIFAビデオゲーム)に収録されているコメンテーターの1人でもある彼は、生涯にわたってこの業界で働き続けてきたが、多くの時間を捧げて努力をした末に現在の地位がある。

 

「すごく小さい頃から願ってきたことですよ。」レイはGoalに語る。「テープを作り始めたのは7歳の頃です。アバディーンスコットランド)に住んでいて、1974年のワールドカップについてのテープを作りました。この大会は私が心から夢中になった初めてのトーナメントでした。その時点で、私は自身が何になりたいのかを知っていたのでしょう。」

 

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[デレク・レイ。欧州各国のリーグ戦、チャンピオンズリーグなどの大陸コンペティション、ワールドカップなど数多くの試合を実況してきた。サッカーゲームFIFAシリーズにも実況として参加している。]

 

「でも、やりたいと願うことと実際にそれを行うことは別物です。11歳か12歳のとき、アバディーンにあるクラブのリザーブチームの試合によく行っていたのですが、そこで自分でテープを作ってましたね。周りの人は変な奴だと思ったんでしょう。『自分でテープを作るなんて変わったガキだな』って言ってましたよ。13歳になると、病院内のラジオに出向いて、患者向けの番組を制作していました。そのラジオでアバディーンの試合中継を流すときに実況の仕事を貰っていました。チームを毎週追いかけるコミュニティラジオもローカル放送局も無かったからです。結局、大学に行くまでやり続けました。」

 

「私は憧れのコメンテーターだったデヴィッド・フランシーに手紙を書いたこともあります。彼はスコットランドフットボールの声とでも言うべき存在でした。私は彼のスコットランド特有の豊かな放送スタイルを崇拝していました。大学に通っていた19歳の頃に彼の元へ自分のテープを送ったら、アドバイスの返事が送られてくる代わりに私をBBCに紹介してくれたのです。プロデューサーから連絡を貰った私は、19歳にして声を放送に乗せるに至りました。私が2回目にコメンテーターとして担当した試合は、1986年にウェンブリーで行われたイングランド代表とスコットランド代表の試合でした。その日はデヴィッドが出演できなかったので私に出番が来ました。」

 

 

≪コメンテーターになるための大学の講座・コースは?≫

 

 

イギリス、アメリカ、そして世界中の多くの大学が、スポーツ・コメンタリーの世界でキャリアを築くことの助けになりそうなコースを用意している。

 

フットボール・コメンタリーの世界に通じるコースは一つだけではなく、多様な道が存在する。リーズ・トリニティ大学やサウサンプトン・ソレント大学、ロンドン芸術大学のような場所ではスポーツジャーナリズムの学位を得ることができる。そこではスキル、そしてスポーツメディアとの多種多様な接点を育てられる。

 

現在、多くのコメンテーターが通っているコースとしては放送・ジャーナリズム学がポピュラーだ。talkSport、BBC、RTEなどで豊富な実況経験を持つケヴィン・ハチャードは、現在イギリスにおけるブンデスリーガ放送の主要コメンテーターだが、この業界に入るためにイギリスの大学へ通っていた。

 

ノッティンガムトレント大学の放送・ジャーナリズムのコースに通っていました。」ハチャードはGoalに語る。「アダム・サマートン(BT Sport)、マーク・スコット(BBC)、フィル・ブラッカー(Sky Sports)など多くのコメンテーターが、こういったところから輩出されています。このコースを経た人の成功割合を見れば、有益な効果があると分かるでしょう。」

 

「私の経験から言えば、職業訓練的なコースは理論に重きを置いたコースよりも間違いなく優れています。放送・ジャーナリズムのコースも本当に良かったです。これこそが成功のために欠かせないものと言うわけではないですが、害になることは有り得ません。編集などの授業を通じてシャープで整った放送原稿を書けるようになり、ラジオやテレビのニュース編集室で求められていることを学びます。同じ夢を持った者に囲まれた環境ですから、成功するためにどれほど真剣にならなければいけないかも分かります。」

 

 

≪コメンテーターになるってどういうこと?≫

 

 

フットボール・コメンテーターとしての人生はとてもグラマラスなものになる可能性がある。チャンピオンズリーグからワールドカップ、大量得点の入るローカルなダービーマッチ、タイトルの懸かった試合を視聴者に届けることができるのだ。

 

前述のデレク・レイは、リヴァプールが見せたチャンピオンズリーグ史上に残る大勝利が最も思い出深いゲームとし、ヨーロッパのエリートクラブが競い合ってきた2000年代を振り返って語った。チャンピオンズリーグはコメンテーターとして本当に多くのものを与えてくれました。世界中の人が楽しんでくれていることを望みます。2005年、イスタンブールでの決勝、リヴァプールは下馬評を覆してミランを倒しました。ESPNの中継でその場にいられたことは、とてもラッキーなことでしたね。試合後にプロデューサーにこう言ったのを覚えています。『こんな決勝はこの先もう経験できないだろうね』って。声を吹き込む仕事を続けて来た中で、コメンテーターとして、あれ以上に良い経験があるとは思いませんよ。」

 

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[04/05シーズンのチャンピオンズリーグ決勝、前半のうちに3-0と大劣勢に立たされたリヴァプールだったが、54分のジェラードのゴールから立て続けに3得点を挙げる猛反撃。勢いそのままにPK戦も制しビッグイヤーを掲げた。]

 

しかしながら、彼はこの仕事を得ることが非常に挑戦的なことで、トップに居続けることが大変な困難を伴うという点も強調した。彼は(コメンテーターになるという)目標を達成するために必要なことが備わっていると自信を持つ若者へアドバイスを送るのが大好きだ。しかし、どんなに夢に忠実な者であっても、歌手がワールドツアーに回る前にそうしていたように、フルタイムで働きながら自らの声を育てることはとても大変だと確信している。

 

「第一に、この業界に入り込むこと自体が非常に難しいと認識することです。」レイは語る。「我慢もしなければなりませんし、成功できると期待を持つこともいけません。現実は厳しいのです。物凄い量の努力と時間を注ぎ込む必要があります。これはどれだけ強調したとしても足りないことですが、自身の声を鍛えることも不可欠です。この仕事は叫ぶだけじゃありません。歌手のようなものなのです。声のプロなのですから、自身の声は楽器にするように扱わなければなりません。」

 

「そして、それを心から愛し、コメンテーターという仕事はフットボールの外側に位置する仕事だと認識することです。フットボールへの愛は必要不可欠です。それは重要なことですが、放送という行為への愛も必要です。また、自らの技術を磨くためには膨大な時間をかけなければいけませんが、その中で目標とする水準に達するまでに多くの年月が必要なことにも気付くべきです。私が駆け出しの頃の作品を聞き返しますが、そんなに良いものじゃありません。最終的には自分自身が最も厳しい批判者になるのです。」

 

「もしかしたら、私の言ったことは業界を目指す人にとってはハッとさせられるような言葉かもしれません。ですが、これらの言葉はそれぞれバラバラに存在するわけではなく、全てが通じ合うものなのです。大変な量の時間をかけた努力も要りますし、その道のりには非常に多くの障害が出てくることでしょう。多くの人は画面の前に座って喋れてるんだから自分にだって(コメンテーターの仕事は)できるだろうと考えています。しかし、90分間ぶっ続けで、淀みなく喋れますか?難しい仕事ですし、ソーシャルメディア隆盛の時代ですから面の皮も今までよりも厚くなければいけません。しかし、それらをくぐり抜けて来られれば、素晴らしい仕事ですよ。」

 

 

≪コメンテーターはどうやって試合の準備をしている?≫

 

 

チームがそれぞれ異なった方法で試合の準備をし、監督達がそれぞれの方法で試合毎のアプローチをしていくように、同じ方法で準備を行うコメンテーターは存在しない。

 

コメンテーターは試合の日にひょっこり現れて、観たままを喋っている訳ではなく、試合前に上がってくる情報を注視し長期間のデータベースを作り、スプレッドシートやノートにチームごとに使えそうな情報を記録していくのだ。

 

「私は(週末に試合があるときは)月曜日から準備を始めますね」こう語るのは前述のケヴィン・ハチャードだ。「担当するチームの過去の試合を見ます。それと同時に目についた細かいニュースなんかも集め始めます。移籍についての監督・コーチのコメントから、もしかしたら笑っちゃうようなことまで、対象は様々です。私はスタッツや公式の文書には出てこないような面白いこと、おかしなことが好きですね。」

 

「情報や追いかけてきたストーリなどを記録したデータベースもあります。ある週ではその情報を使えなくても、時間が経って次にそのチームを担当したときには使えるかもしれませんから。木曜日になったら、ステッカーとスタッツを貼り合わせ始めます。両チーム全ての選手のステッカーを貼りますね。そして、自分にとって重要だと思う情報を4行ほど記します。選手の年齢については、全てのステッカー1枚1枚に選手の年齢を記入してる人がいるのは知ってますが、私はこの選手が26歳なのか27歳なのかなんてことは気にしません。19歳か35歳か、は重要ですが。」

 

「ある選手が特定のチームに対して優れた成績を残していたり、メインストーリーに絡むかもしれないチームに対して何か煽るようなことを言っていた選手がいたりしたら、ノートに記入します。もしくは、軽い情報、例えば新しいタトゥーを入れたとか、そういうものも入ってきます。私は全てのチームのステッカーセットを持っていますし、それぞれのチームの過去の記録、例えば守備の成績や最後に優勝したときのこと、対戦相手との戦績、最近の星取りなどのセットもあります。」

 

「各チームのスタッツと同じように、各チームのニュースラインもまとめます。監督・コーチが自分のチームについて語ったこと、相手チームについて語ったこと、選手が話した面白そうなことなどです。それらから最終的に作り出されるのは3から4枚のシートで、フォーメーションも見られるようメインのノートにステッカーを貼ります。」

 

「もし何か気になることを読んだりテレビで見たり、ツイッターで見かけたりしたら、携帯電話に記録して自分宛てに送信します。そして、自分のコンピューターにあるデータベースへコピーしています。」

 

「これが私の準備の仕方です。全てのコメンテーターは全く別の方法でやっています。私と全く同じ方法で行っているという人を見たことはありませんね。また、2人のコメンテーターがそれぞれ同じように準備しているというのも見たことがありません。」