With Their Boots.

アトレティコを支える鬼コーチ:オスカル・オルテガ(Tifo Football)

現在の欧州フットボールにおいて最もタフなチームの一つであるアトレティコ・マドリード。彼らを裏で支えているのがフィットネスコーチのオスカル・オルテガです。緻密な計算に基づく猛練習で選手を鍛え上げ、シメオネ監督の要求に応えられるだけの肉体を作り上げる仕事をしています。今回はTifo Footballに載っていた彼についての記事を訳しました。元記事はこちら


スポーツ界における全ての成功の背後には、鞭を携えた厳しいトレーナーが存在しているものだ。アトレティコ・マドリードの場合はオスカル・オルテガがそれに当たる。‘El Profe’『プロフェッサー』として知られている彼は小柄な60歳のウルグアイ人で、ディエゴ・シメオネが監督になって以降のロス・ロヒブランコス(アトレティコの愛称。赤と白の意。)が成し遂げた全ての成功の主要因である。

 

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[練習を指導するオルテガ(写真手前)とそれを見守るシメオネ監督(写真中央奥)]

 

映画『ロッキー』に登場するトレーナー、ミッキー・ゴールドミルの言葉を借りるなら、雷を吐き出すためには稲妻を喰らう必要がある。オルテガはこの言葉の信奉者だ。成分が正しく形にならない限り、成功は絶対に実現しないのだ。

 

アトレティコのフィットネスコーチとして、オルテガシメオネが頭に描く猛進的なプレイを促進すること、過酷なシーズンを確実に走り切らせることへの責任を負っている。バルセロナレアル・マドリードなどチャンピオンズリーグを戦う他の巨大クラブとアトレティコの経営的なリソースを比較した場合、アトレティコは1試合あたり数百メートル余分に走ることでその差を埋めなければならない。

 

これは2011年以来、変わらないことだ。その年の12月に監督に就任したシメオネは、オルテガを招聘した。このペアが初めて出会ったのは、オルテガグレゴリオ・マンサーノ率いるアトレティコでフィットネスコーチを務めていたときだ。当時、シメオネは選手として所属していた。自身と同じ南米出身のコーチにいたく感銘を受けたシメオネは、2006年にラシンクラブで指導者として走り始めた際にオルテガをフィットネスコーチとして呼んだ。彼ら二人はそれ以来、アルゼンチン、イタリア、そしてスペインの首都へ職場を変えても常に一緒に働いてきた。奇しくも、シメオネの前にアトレティコの監督を務めていたのは前述のマンサーノだった。

 

オルテガのバックグラウンドは広い。世紀が変わる頃にセビージャにやってくる前はメキシコ、コロンビア、日本と非常に広範囲で仕事をしてきた。フットボールのバックグラウンドも備えているが、指導者として初期のキャリアにおいて彼が収入源としてきたのはラグビーである。ウルグアイの首都であるモンテビデオにあるブリティッシュ・カレッジで指導していたのだ。

 

フットボールの方に重きを置いていく中でも、オルテガフットボール選手の調子や強度を保つ方法についての情報をラグビーに求め続けた。「ラグビーには(フットボールへ)転用可能なことがあります。例えば、どこへプレッシャーを掛けたら適切か、どのようにタックルすべきか、どのようにチームとして活動するか、などです。」これはオルテガがかつてエル・パイス紙のインタビューで語った言葉だ。

 

オルテガを現在のエリートフィットネスコーチにしたのはラグビーだけではない。彼は有用な情報を様々な職業、スポーツから収集している。最大酸素摂取量など彼が備えるインテリジェンスとリサーチ量は13/14シーズンにリーガを制したクラブにとって非常に重要なものだった。しかし、他のフィットネスコーチには真似のできない直感的なものもある。「説明できない非論理的なこともあります。たとえ千冊の本を読んでも分からないことです。」彼は自身のアプローチについて、かつてこう語っていた。

 

彼の指導方法をよく見ると、オーソドックスなものに紛れて、従来の型には無いものもいくつか存在している。最も素晴らしいことは彼が選手達から愛と尊敬を集めていることだ。それは『生き地獄』と形容されるほどの状況に選手達を放り込む張本人だったしても、である。

 

プレシーズンの間、アトレティコマドリード郊外のセゴヴィアで過ごすのがお馴染みだ。そこで、このウルグアイ人コーチは選手達を1日14時間走らせる。走らせて、走らせて、走らせるのだ。休憩は合間で摂る食事の時間だけ。選手達はゴルフコースの中にある丘を昇り降りさせられる。消耗し切った選手達が吐くことでお馴染みの茂みもある。これら全ての練習は過酷な夏の太陽の下で行われ、オルテガはいかなるサボりも許さない。これまでにこんな経験をしたことが無い新加入選手はしばしばショックを受けるが、オルテガへのリスペクトが損なわれることは無い。彼のウィットと愛情に触れてしまうと、嫌悪するのは難しい。

 

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[左からオルテガ、監督のシメオネ、そしてアシスタントコーチのヘルマン・ブルゴス。この3人が現在のアトレティコをベンチから牽引している。]

 

他の多くのフィットネスコーチと同じように、オルテガも自身が手本を示し、これらのランニングの大部分に参加する。60歳になった今でも彼は非常に元気で、毎朝ランニングに出かける。それはアトレティコが遠征したときも変わらず、ロンドンでもミラノでもモスクワでも彼は走っている。他のコーチ達と同じだけ長く働き、シメオネからは彼の右腕であるヘルマン・ブルゴスに次ぐ信頼を得ている。オルテガの持つ戦術的な指導は尊重されており、シメオネも次の対戦相手の傾向に合わせたフィットネストレーニングを行うことを許している。また、そのトレーニングも実際の試合に限りなく近づけたものだ。それぞれのメニューの合間はほとんど取らず、シャトルランがずっと続くような、実際のフットボールの試合における90分間のような練習を行う。

 

また、選手それぞれに応じた個別のプランもある。17/18シーズンの始め、夏の間ジムと練習場から離れていたディエゴ・コスタの調子を取り戻させる際に、オルテガは素晴らしい仕事をした。チェルシーからの移籍が叶い、マドリードへ到着したコスタは、プレイ可能になる2018年1月までにオルテガが自身を復調させてくれると分かっていた。「彼なら俺をシャープにしてくれる。」マドリードのバラハス空港でジャーナリストにコスタはこう答えた。「体重計に乗るのなんか怖くないさ。怖いのはオルテガの練習だけだよ!」とジョークも飛ばしていた。果たして、オルテガはコスタがもう一度プレイできる状態になるよう全力で取り組んだ。そして、ストライカーは復帰からの4試合で3得点を挙げてみせた。

 

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[チェルシーからの移籍問題によって練習が出来ていなかったディエゴ・コスタ(写真左)を指導するオルテガ(中央)。]

 

交代策についても、オルテガの意見は尊重されている。なぜなら、彼は他の誰よりもどの選手が(お決まりの表現ではあるが)フレッシュレッグかを知っているからだ。「交代選手がチームを上向かせてくれたら、それは素晴らしいことです。しかし、投入された選手がチームのレベルを落とさなかった場合にも称賛します。」これはアトレティコというチームにおける後半の交代についてのオルテガの見解だ。彼は46分からサイドラインで選手達をストレッチさせ、誰が呼ばれてもいいように準備をさせる。その姿勢は試合前に行う激しいウォームアップと変わらない。これこそがアトレティコの選手達の怪我が少ない理由の一つだ。

 

オルテガによる最も重大な貢献は、スカッドの循環器系機能を保たせるところにある。セゴヴィアのゴルフコースで行われた走り込みがその助けになっているのだが、他の欧州のエリートクラブと同じくらいの試合を戦う中で調子を落とさないアトレティコの能力は他に類を見ない。選手達は毎朝体重を測らされるという事実(正しい数値でない場合、他の選手達に公表させられる)が、オルテガが日々どれほど注意深く仕事をしているかを表している。

 

オルテガこそが、13/14シーズン最終戦バルセロナへの攻勢を維持し続け、栄冠を勝ち取れた理由である。彼こそが、15/16シーズンに年間57試合を戦い抜けた理由だ。彼こそが、17/18シーズンのヨーロッパリーグ準決勝、80分もの間を10人で戦いながらアーセナルに抵抗できた理由だ。彼こそがアトレティコ・マドリードに3つ目の肺をもたらした男なのだ。