With Their Boots.

【前編】スウェーデン4部から7年でヨーロッパリーグへ~変人集団エステシュンズの軌跡~

エステシュンズFKというクラブをご存知でしょうか?ストックホルムから500kmほど北にある町を本拠とするこのクラブは、2010年からの7シーズンの間に3度昇格し、今季ヨーロッパリーグにまで辿り着いた。今回は7年前まで4部を戦っていたクラブが欧州のコンペティションにまで辿り着いた裏側に何があったのかを、ESPNこちらの記事とGuardianのこちらの記事を中心にざっくりと訳しました。


 

 

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“Eljest” 居住者の少ないスウェーデンの北部以外ではほとんど使われなくなった言葉であり、風変りで、他の人とは少し違った、エキセントリックな者を指す言葉である。そして、2010年の秋に、当時4部に沈み崩壊の危機に陥っていた小さなクラブの行く末を議論していたダニエル・カインドバーグとエステシュンズFKをまとめる他の重役たちが行きついた言葉である。

 

「我々がどうしたいのか、どういうフットボールをプレイしなければいけないのか、どうあるべきか、何者になるべきか、その理由は何なのかを分析しなければいけませんでした。何を求めていくかを決めて、その後は皆さんが知っての通りです」とカインドバーグ会長は語った。

 

カインドバーグのオフィスで過ごした2時間余りは目まぐるしいもので、晩夏の午後に深い森と寄り添うように建つヤントクラフトアレーナの内部で感じたことの中で、普通だと思えるような物は何一つ無かった。外のピッチで練習する選手達の背後には、座席数が見るからに大きくなったスタンドの一角がある。エステシュンズは現在、ヨーロッパリーグのグループステージの準備を行っているのだ。今度の木曜日(9月13日)にゾリャへ遠征するとき、エステシュンズは大陸中を見渡しても例が無いような飛躍をする。

 

この物語は、’90年代から’00年代初頭にかけてボスニアコンゴ民主共和国などの紛争地域に隊長格として駐留した経験を持つカインドバーグの貢献無くしては語れない。彼はストックホルムから北西に300マイルほど離れたところにあるエステシュンズの兵舎に配属されたが、翌年の閉鎖を受けて普通の居住区に引っ越した。

 

「撃ってくるような奴はいませんから、ビジネスの世界は楽なものですよ」とカインドバーグは語る。彼が役員として加わったエステシュンズというクラブは1996年に設立されたのだが、フットボールの世界で成功することは家を建てることほど単純な話ではなかった。2010年、エステシュンズが4部に降格した後、カインドバーグは会長を辞任した。

 

カインドバーグは「ネガティブなこと、我々が戦ってきた馬鹿げたことが嫌気がさしたんです」と言う。「フットボールの世界では普通に行われていること、白人主義、異性愛主義、力を持った男たちがあれやこれやと互いを叱責し合う…。もううんざりして、出て行きました。ところがある日、家にいたらドアをノックする者がいたんです。選手達から、戻ってきてほしい、さもなくば全員辞めるつもりだ、と言われました。考えるのに数日を要しました。軍人あるいはビジネスマンとしてなら、感情に基づいて決断を下すことは出来ません。しかし、フットボールの世界でなら、誰でも子供に戻ってしまうものです。私は感情を頼りに復帰を決意しました。当時の我々にはほとんど何もありません。何人かの選手とスタジアム、パートタイムの従業員が一人、そして年間売上が30万ユーロだけ。私達は再出発しました」

 

チームの監督を務める人物は、当時のカインドバーグが必要としたものの一つだった。彼は一人の若いイングランド人に電話をした。グラハム・ポッターはカインドバーグが2009年から誘いをかけていた人物である。ポッターはリーズ・メトロポリタン大学の修士コースに通っており、最初に打診を受けたときに目前に迫っていた第一子の誕生も海外への移住を難しくさせていた。しかし、今回はポッターの準備は整っていた。

 

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[エステシュンズを4部からヨーロッパリーグまで引き上げたグラハム・ポッター監督。就任したときは35歳だった。]

 

カインドバーグとポッターを引き合わせたのは、長らくロベルト・マルティネスの副官を務めるグレアム・ジョーンズという男だ。彼はミドルズブラU-14で働いていた2006年にプレミアリーグからエステシュンズへ派遣され、そこでカインドバーグと出会う。さらに2007年のプレシーズンには、ロベルト・マルティネス率いるスウォンジーのアシスタントコーチとしてエステシュンズを再訪。そのキャンプで、カインドバーグはスワンズが展開するフットボールに魅了され、両者の結びつきはさらに強固なものなった。

 

ジョーンズとポッターの関係はもう少し古い。二人が出会ったのは2003年、ボストンユナイテッドで共にプレイをしたときまで遡る。下部リーグとは言え数多くの得点を量産していたジョーンズに対して、ポッターはそれほど目立った功績を残してきた訳ではなかった。しかし、ジョーンズは「選手として、あるいは一人の人間として他人とは違った輝きがあった」と出会った当時のポッターを評する。

 

エステシュンズが降格した年、カインドバーグから新監督についての相談を受けたジョーンズはすぐにポッターを推薦した。信頼するジョーンズからの推薦とは言え、推されたのは監督経験が全くない者だったため、カインドバーグは戸惑っていた。それでもジョーンズは「グラハム・ポッターこそが最適な人物である」と主張した。その後、エステシュンズがポッターと共に歩む未来を思えば、カインドバーグの躊躇は単なる杞憂だったと言えよう。

 

ポッター自身は当時を振り返って「イングランドフットボール界で得られるチャンスは限られていました。だから考えましたよ。『挑戦してもいいんじゃないかな』って。このクラブはたぶん過去最低の状態で、悲観的な空気が支配している。そして町の人々もそういうことを忌み嫌っている。でもこれはフレッシュなスタートを切るチャンスなんです。ダニエル(・カインドバーグ)は、とてもユニークなもの、クラブのアイデンティティを確立させてくれました。以前にもそういった物があったのだとしたら、それはあまりポジティブなものでは無いでしょうから」と語る。

 

「彼はフットボールコーチというだけでなく、私がこれまでの人生で出会った中で最も素晴らしい人の一人です」こう話すのはポッターからキャプテンに指名されたブルワ・ヌーリだ。ヌーリと話している間、彼の目はしばしば潤んでいた。彼のフットボールキャリアと自信は酷く落ち込んでいたのだが、ストックホルム中央駅でのポッターとの出会いが全てを変えた。イラクのクルド自治区から母親と共に移り住んできたヌーリは、AIKソルナというクラブで有望株として扱われていたが、お金と眩い光が彼を堕落させてしまった。

 

「悪い連中と付き合い、良くない場所に身を置き、遅くまでそこで遊ぶ。そんなことを何年も続けていました」とヌーリは振り返る。「ついにはクラブから放り出され、契約は破棄されてしまいました」

 

幸運にも下部リーグに属するDalkurdというクルド難民によって設立されたクラブに拾ってもらい、2014年には物凄い勢いで2部まで駆け上がってきたエステシュンズを強化する一員としてポッターに見込まれて移籍を果たす。

 

「ポッターは非常にエモーショナルかつ知的に人と触れ合います。暖かく迎えてくれ、成長させてくれます」とヌーリは語る。「彼はあらゆる分野に精通しています。自分にとって彼はとてつもない存在です。そして大きな感謝の気持ちも持っています。あんなことをやっていて、あれだけ落ちぶれていた後に、こういう結果を得られるなんて全く考えられないことです。とても言葉には表せません」

 

ポッターは、ヌーリのような選手達に二度目のチャンスを与えたり、フットボール選手として崖っぷちにいる選手達を信頼したりすることによってエステシュンズのスカッドを作り上げてきた。

 

ウィングバックとしてプレイするカーティス・エドワーズについても成功物語がある。彼はミドルズブラに在籍していた当時の自分を「正しい振る舞いをしなかった」と評する。エドワーズの場合はナイトクラブ、酒、賭博、女という感じで典型的な堕落の仕方をしており、20歳までは父親が経営する建設会社で働きながらノーザン・リーグ・ディビジョン2(9部以下相当)でプレイしていた。18カ月前、スウェーデンの5部リーグで何とか生き残ろうとしていたところをポッターに拾われた。

 

ヨーク出身で25歳のジェイミー・ホップカットもエステシュンズに来る前はイングランドの7部あるいは8部相当のリーグで燻ぶっていた。彼らの成功はイングランドフットボール界がいかに選手達を「何も無い状態」に陥れさせているかを表していて、しばしばエステシュンズのようなクラブの利益になっているとポッターは信じている。

 

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[カーティス・エドワーズとジェイミー・ホップカット。共に数年前までイングランドのアマチュアリーグで燻ぶっていたが、今ではヨーロッパリーグ決勝トーナメントを争うチームの主力選手だ]

 

 

ポッターは言う。「もしもイングランドフットボール界からリリースされて、ノンリーグ(アマチュアリーグ)で戦うようなフィジカルを持っていない場合、海外へ行くという選択肢もあるのです。ジェイミー(・ホップカット)は英国にあるクラブのどこにもフィットしなかっただけで、フィジカル的に穏やかなリーグに来たことによって選手として生き残ることが出来たし、成長することが出来ました。我々がやってきたことは彼にとって大きな助けになっていました。しかし、誰を獲得しようと、フットボールは人間によって行われる団体競技であるというのが私の考えです。そういったことを考慮しないでいると、いばらの道に直面することになり、何かしらの問題が起きるでしょう。個性を伸ばすこと、人間性を育むことは我々にとって生命線だと思っています」

 

ヌーリらがポッターと共にタイトルを勝ち取る瞬間は2017年4月にやってきた。スウェーデン杯の決勝でNorrkopingというクラブを4-1で下し、エステシュンズにとって初めてトップディビジョンで戦うシーズンはトロフィーと共に締めくくられた。この結果によって、彼らはヨーロッパの大会に出られるようになったのだが、次に起きたことは大陸中に衝撃をもたらした。この夏、彼らはヨーロッパリーグ(以下EL)2回戦でトルコの強豪ガラタサライを2戦合計3-1で退けたのである。

 

エステシュンズはホームで2-0の勝利を収め、信じられないことにイスタンブールでは1-1のドローに持ち込んだ。ヌーリは彼の周りにいる全てを跳ね除け、決定的なPKを後半に決めた。ホップカットは素晴らしいゴールを決めてヘッドラインを飾った。続くラウンドでルクセンブルクのFola EschとギリシャPAOKに勝ったことで(PAOKとのラウンドでは1stレグを3-1で落としながら2ndレグを2-0で終えて勝ち抜け)、エステシュンズはゾリャ、ヘルタ・ベルリンアスレティック・ビルバオとのグループステージに挑むことになった。

 

「グラハム(・ポッター)の考えを笑う人もいましたが、年が経つにつれて少しずつ信じ始める人が出てきました。今やクソだなんて言う人はいません」とヌーリはポッターについて語ってくれた。

 

「将来的に私が何をするにせよ、私が成し遂げたことが実際の成果の半分であっても、私を雇った人はとても幸せに感じたと思います。何回かの昇格もメジャータイトルの獲得もEL挑戦も、全ては4部での戦いから始まったんです。普段はこんなこと考えませんが、ちょっと引いて見てみると、『けっこう凄いじゃん』って思いますね」とはポッターの言である。

 

 

後編はこちら

 

戦術の進化に取り残されつつあるキックオフ(ESPN)

マイケル・コックス氏がESPNプレミアリーグのキックオフについての分析(と言うか観測)記事を寄稿していたので、ざっくり訳しました。なお、記事中に出てくる各指標は2017年11月10日時点のものになっております。元記事はこちら


現代のフットボールは、1980年代に隆盛を誇った安全第一なルートワンプレイ(GKやCBがCFに放り込むような戦術)などの時代から大きく変わった。その代りに、巧みなパスやボール扱いに優れたディフェンダー、入り組んだ連携から敵陣へ侵入しようとするチームなどが主役の時代になったのだ。しかし、現代フットボールの進化における例外が一つ存在する。キックオフだ。

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女子サッカーイングランド代表ファラ・ウィリアムスがアーセナル相手に決めたキックオフゴールなどのように、センターサークル内のイノベーションも存在する。しかし、どのカテゴリーにおいてもほとんどのチームは、お馴染みの方法を採用している。

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[レディング・レディースのファラ・ウィリアムス選手が決めたキックオフゴール

 

 

想像する限り最もシンプルな方法は、驚くほど多くのチームが採用している。最初にバックパスを1本入れて、斜めの長いボールを敵陣へ蹴飛ばすというものだ。皆さんが予想している通り、トニー・ピューリスのウェストブロム、ショーン・ダイチのバーンリーなどはこの方法で試合を始めている。しかし、先週末(2017年11月4日、5日に行われた第11節)に行われたプレミアリーグで20チームのキックオフスタイルを分析したところ(前半と後半の始め方のみを見る。失点後のリスタートについては考慮せず。)、驚くべきパターンが分かった。

 

多くのチームはたった一つのシンプルな意図を持っていた。なるべく早くボールを敵陣へ送ること、である。

 

現在のレギュレーションでは、チームは今まで以上に素早くキックオフからのボールを敵陣へ蹴飛ばすことが出来る。昨年までは、キックオフは必ず前にボールを蹴らねばならず、キックオフを行うために二人の選手がボールの周辺に立つ必要があった。そして、一人がもう一人にパスを出し、パスを受けた選手がバックパスをしてからロングボールという手順が多かった。しかし、現在ではボールをすぐに後ろへ送ることが許され、バックパス→ロングボールといった感じで、よりダイレクトな方式を用いることが出来るようになった。

 

先週末のプレミアリーグでは実に半分ものチームが、このシンプルなアプローチを採っていた。多くの場合はバックパスをセンターバックに送り、彼らが敵陣へ蹴飛ばすという形である。ブライトン、スウォンジー、バーンリー、エヴァートンウェストブロム、ストーク、レスター、ウェストハムニューカッスル、そして驚くことにトッテナムもこのやり方だった。これら全てのチームはロングボールを蹴飛ばすことによって、攻撃的な空中戦から試合を始めることを目指しているようだった。

 

こういったアプローチにおいて、ニュアンスの違いは存在する。ウェストブロムは古典的な下部リーグっぽいアプローチを採っており、右サイドに4人を集め、ギャレス・バリーに蹴り込ませるというものだった。マーク・ヒューズのストークははホッケーのチームがショートコーナーを行うときのようなルーティンを備えている。ダレン・フレッチャーがバックパスをトラップしたら、ジョー・アレンに渡し、彼がワイドへの長いボールを蹴るのだ。

 

一方、ウェストハムが見せた、中央への蹴り込みによる後半の始め方は予想しやすいものだった。彼らはアンディ・キャロルを交代選手として投入したばかりで、彼を探すのに時間を浪費することはなかった。恐らく、ハビエル・エルナンデスだけが前線にいたら、違うアプローチを採っていただろう。

 

バーンリーとクロード・ピューエルのレスターにはアマチュアリーグ・ボーナスポイントを進呈したい。彼らが敵陣に蹴り飛ばしたボールはすぐにスローインになってしまったからだ。双方、ボールが単に長過ぎてしまったのだ。レスターがリーグ優勝したシーズンであれば、意図的な戦術と言うこともできただろう。当時の彼らは、相手のスローインに対して岡崎慎司とエンゴロ・カンテが即座にプレッシャーを掛けるという形を採っていた。

 

高い位置からポゼッションを奪還すべくプレッシングを行うことへの熱意が高まっている中で、多くのチームがキックオフ直後にはそういうことを狙わなかったのに驚いた。試合開始直後というのは、選手は最もフレッシュな状態で、相手もまだボールに触れていなくて試しながらのプレイをしているため、敵陣でプレッシャーを掛ける戦術は適当に思える。

 

1本のパスからロングボールを蹴り飛ばした訳ではないが、長くは続かなかったチームが4つある。アーセナルは(バック3の)右CBのローラン・コシェルニーまでボールを動かしてから、チャンネルに向かって通りそうなロングボールを送った。マンチェスターユナイテッドは全く同じことを左CBのフィル・ジョーンズが行っていた。どちらもバック3で試合に臨んでいたという事実から、彼らは角度を変えるという選択肢を持っていることが分かる。ユナイテッドはキックオフ時に二人の選手をボール周辺に立たせるという昔ながらのアプローチを採用した唯一のチームだ。そのうちの一人であるマーカス・ラシュフォードは、実際にはボールに触れることなく、今風に言うならば偽キックオフテイカーという役割になるだろうか。

 

ハダーズフィールドも2本目のパスを敵陣に蹴り込んでいたが、彼らはライトバックに蹴らせていた。驚くことにクリスタルパレスは、ウィルフリード・ザハに浮き球を送るまでに4本ものパスを繋いでいた。

 

ここまで挙がったのは14チーム。したがって、残りの6チームはポゼッションをキープして、しっかりとしたパスから組み立てようとしていたチームである。

 

しかし、そのほとんどは上手くいかなかった。ワトフォードは5本のパスをしっかりとつないだが、中盤でポゼッションを失ってしまった。ボーンマスが繋いだ5本のパスも、有効性においては最も低い。ボールはGKのアスミル・ベゴヴィッチまで戻り、彼がすぐに蹴り上げたボールはニューカッスルジョンジョ・シェルビー目掛けて飛んで行き、ボーンマスはすぐに押し込まれることとなった。チェルシーセサル・アスピリクエタがミスをするまでに6本のパスを繋ぎ、リヴァプールタッチラインに沿ってボールを蹴り出すまでに9本のパスを繋いだ。

 

繋がったパスの本数が二桁に乗ったのは2チームだけだ。まずはサウサンプトン。彼らは相手チームの選手がボールに触るまでに14本ものパスを繋いだ。さらにセインツはそのボールをもすぐに取り返し、最初の80秒間をボール保持しながら過ごした。しかし、彼らの対戦相手は深く守ることの多いバーンリーだったという点は指摘しておきたい。

 

もう一つのチームは、皆さんが予想した通り、マンチェスターシティである。3-1でアーセナルを下すことになる試合を、彼らは自陣で17本ものパスを蹴ってスタートした。必然的に、GKのエデルソンもボールに触ることとなり、リスキーな横パスをした。最終的にはフェルナンジーニョのパスがずれたことで、アーセナルスローインとなった。

 

チームのキックオフには、そのチームが持つ試合全体へのアプローチが反映されているように思える。今季のプレミアリーグにおいて最もロングボールを使った割合の高い8チームは、すぐに敵陣へ蹴り出す10チームの中に入っている。それとは逆に、相手がボールに触れるまでに最も多くのパスを繋いだマンチェスターシティは、平均ボール保持率で2位以下に7%もの差をつけて最高を記録。パス成功率でも2位のチームを5%も上回っている。

 

現代フットボールにおいては、ボール保持と技術水準に重きが置かれているが、この風潮はキックオフにまでは未だ及んでいないようだ。大半のチームは敵陣でルーズボールの取り合いをするところから試合を始めることに満足しており、まるでボールを奪うことは保持をし続けることよりも重要であると思っているかのようだ。イングランドのチームは、最初からパスを繋ぐことで試合を始めるよりもセンターサークル内でのドロップボールを好むのではないかとすら思えてくる。

 

試合は空中戦かルーズボールの取り合いが起きない限りは、始まることはない。その点において、キックオフというのはイングランドフットボールの中で、最も典型的なイングランドっぽいものである。

英国の若手監督達にとって最大の障壁とは何か?(New York Times)

ドイツを中心に若手監督の台頭が目立つ昨今のフットボールシーンですが、プレミアリーグにはなかなか若手の英国人監督が出てきません。"ビッグサム"ことアラダイス監督は外国人指導者こそがチャンスを奪っていると指摘しますが、実際のところはどうでしょうか?という記事をニューヨークタイムズが出していましたので、ざっくり訳しました。なお、記事内に出てくる数字は基本的に2017年11月時点でのものになります。元記事はこちら


2017年10月27日、サム・アラダイスはドーハのテレビスタジオにいた。それはエヴァートンロナルド・クーマン監督を解任した2日後で、レスターがクロード・ピュエルを新監督として迎えた4日後のことだった。

アラダイスは、リチャード・キーとアンディ・グレイというベテランの英国人キャスターが司会を務めるbeINスポーツの番組に出るためにやってきて、英国人監督達が直面しているガラスの天井について議論をした。

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これはまさにアラダイスには打って付けのお題目である。彼は長きにわたって、プレミアリーグは外国からの輸入指導者に目を奪われて国内の指導者を見逃していると言い張ってきたのだ。2010年には当時の職場であるブラックバーンよりもレアル・マドリーマンチェスターユナイテッドを指揮する方が適していると語り、その2年後には違った苗字だったら(英国人じゃなかったら)自分は今ごろチャンピオンズリーグで指揮を執っていただろうと明かした。

 

アラダイスはキーとグレイが彼の主張に同調的な人物だと分かっている。2016年の12月、アラダイスは同じ番組に出演して、プレミアリーグのトップ6クラブはグローバルなアピールをするために“ブランド付きの”外国人監督を呼んでいると主張した。今年10月のアラダイス出演回の数日前にキーは、レスターがピュエルを新監督として迎えたことは英国人指導者にとっての死を告げる鐘の音だとツイートした。

 

熱心な聴衆の前でアラダイスは、彼がこれまで積み上げてきた主張を繰り返した。彼曰く、英国人指導者はイングランドで二流と見られており、もはや行く場所が無いという。

 

プレミアリーグイングランドにあるが、外国人のリーグだ」とアラダイスは結論付けた。

 

この放送の2週間後、アラダイスはきっと喜んだことだろう。レスターは海外志向に倣ったが、ウェストハムは違った。クロアチア人監督のスラヴェン・ビリッチを解任して、スコットランド人のデイビッド・モイーズを新監督に据えたのだ。エヴァートンもその流れに乗る。ドーハでのテレビ出演から数日後、アラダイスはクラブ筆頭株主のファハド・モシリと交渉をしたと報じられた。(その後、エヴァートンアラダイスの監督就任を発表)

 

実際のところ、アラダイスによる英国人指導者への熱意は彼自身にとっての予見的なものとしかマッチしない。2016年12月にキーとグレイの番組に出演した一週間後、アラダイスクリスタルパレスの新監督に就任した。今回の出演から二週間後には、また復職への道のりに入っている。何か機会がありそうなときを察知して、自分を目立たせ、未来の雇用主達に何か重大な課題への解決を迫っているようにも見える。まるで水中からでも血の匂いを嗅ぎつける鮫のようだ。

 

しかし、モイーズの就任やアラダイスの監督復帰は彼ら二人以外の英国人指導者にとっては祝福すべきことでも何でもないというのが現実だ。実際のところ、アラダイスの主張とは全くの逆であろう。表面上は、アラダイスモイーズ以外に英国人指導者の苦境に光を当てられる人材などいない。しかし、その裏側では両者(あるいは彼らと似た立場の監督達)こそが問題の一部である。解決策ではないのだ。

 

イングランドのサッカー界にある四つのディヴィジョンには92のクラブがある。執筆時点では22のクラブが外国人監督を雇っている。ちょうどその半分がプレミアリーグにいて、アーセナルチェルシートッテナムリヴァプールマンチェスターシティ、マンチェスターユナイテッドなどタイトルの獲得が期待されるチームのボスを務めている。

 

外国人監督の人数は年々、じんわりと増加している。「外国人監督はイングランドの将来有望な若手指導者の道を遮っている」という世間に広く認識され、受け入れられている仮説やアラダイスの声と一致しそうだ。

 

しかし、この証明は実際に調べたところとは合致しない。トップ6クラブのうち4クラブは過去10年で一回は英国人監督に率いられた過去がある。アレックス・ファーガソンモイーズはユナイテッドを、ケニー・ダルグリッシュとブレンダン・ロジャーズはリヴァプールを、ハリー・レドナップとティム・シャーウッドはトッテナムを、マーク・ヒューズはシティをそれぞれ指揮していた。

 

チェルシーアーセナルだけが過去10年間で英国人監督にチャンスを与えていなかった。表面上ではあるが、それ以外のプレミアのクラブは監督選考についてはちょっとしたナショナリストになっているということだ。

 

トップ6クラブはどこも自分達をチャンピオンズリーグクラブと思っている。過去にチャンピオンズリーグで戦った経験を持つ人材を監督候補だと信じていることには合点がいく。論理的な帰結として、そういった候補者は国外に多い。

 

真の問題が存在するのはその下だ。プレミアリーグで働く8人(アラダイスが就任すれば9人)の英国人監督の中で、40歳以下なのはボーンマスのエディー・ハウだけだ。50歳以下まで広げても、バーンリーのショーン・ダイチとスウォンジーのポール・クレメント(2017年末に解任)の二人が加わるだけである。

 

残りは54歳(モイーズとヒューズ)から70歳(ホジソン)という範囲に収まる。ここに入る監督達は合計で25のプレミアリーグクラブを率いた経験を持つ。

 

こういった面々を雇うことにメリットは無いと示唆したり、彼らの経験を否定したりするのは厳しいことかもしれない。しかし、失敗が彼らの市場価値を落としていないという点は注目に値する。モイーズエヴァートンで行った約10年に及ぶ仕事は素晴らしいものだったが、彼は最近2年間のホームゲームで5勝しか挙げておらず、マンチェスターユナイテッドレアル・ソシエダからは解任され、サンダーランドを降格させてしまった。ウェストハムは、ファンからの膨大な抗議があったにもかかわらず、サンダーランドが辿った道を避けるために彼を呼んだ。

 

2部チャンピオンシップでも同様の問題が起きている。24クラブのうち7クラブが外国人監督を雇っているが、より言及すべきは17人の英国人監督のうち40歳以下が5人しかいないという点だ。24クラブが参加する3部リーグ1では、40歳以下の英国人監督は6人しかいない。リーグ2では8人が40歳以下で、40歳をちょっと超えた年齢の監督はたくさんいる。しかし、バーネットやイェオヴィル・タウンのような監督経験の浅い人材を雇っているクラブは、より成熟した監督を呼ぶだけの予算を持っていないという点に注目しておくべきだろう。

 

上記3ディヴィジョンには19人の50歳以上の監督がいるが、彼らは合計して103回もクラブの監督職に就いている。カーディフのニール・ウォーノックは実に14回も監督就任の経験がある。

 

つまり、アラダイスの言ったことは正しかったのだ。ガラスの天井は存在する。ただし、それは移民労働者=外国人監督によるものではなく、アラダイスや彼の同類によって作られたものである。若い英国人指導者から希望を奪っているのは外国人監督ではなく、同国出身の年老いた監督たちだ。国内の指導者にはチャンスが与えられていない訳ではなく、チャンスが与えられていない世代が国内に存在するのである。

 

この状況を改善すべく、協会は少なくない時間とリソースをセント・ジョージズパークの指導者養成講座につぎ込んできた。この施設ができた最初の5年間、1300人以上に及ぶ未来の指導者が門を叩いた。

 

しかし、誰一人として監督として成果を挙げられていない。彼らが足を踏み入れた世界は、不毛で、風当りの強い場所だ。それはマンチェスターユナイテッドジョゼ・モウリーニョを雇ったからでも、リヴァプールユルゲン・クロップを招聘したからでもない。その下にいるクラブの監督職が、既にこの業界で十数年の実績を持つ連中によって占領されているからだ。そして、そういう人々はたとえ過去にどれだけ失敗しようとも、常に手を差し伸べられている。

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このように、クラブが持つ想像力の欠如は、英国人指導者が大陸の同業者と比べて非常に限られた能力しか持っていないように感じさせ、英国人監督が常にドイツ、イタリア、スペインのコンセプトやスタイルの後追いになることを保証する。同じような古臭いアイデアを用い、お馴染みの欠陥を突かれて崩壊し、何度も何度も同じことを繰り返す。

 

失敗を経験と誤解してしまう姿勢もまた、英国人の指導論が常に変わらないこと、及びプレミアリーグで最も野心的なクラブを外国人監督ばかりが率いることになった理由を説明してくれる。

 

 

これらの上位クラブは地域密着をしたくない訳ではないのだ。論理的に考えて、そういう選択を取ることは有り得ないのだから。彼らはプレミアリーグの中位・下位(ハウとダイチは除く)からチャンピオンシップまでで行われる試験結果を見ているのだ。しかし、そこにはあるべきはずの未来ではなく、過去しか存在しない。

 

アラダイスが下した結論に間違いはない。英国産の若手指導者に与えられる機会は本当に少ない。しかし、彼の論拠には誤りがある。輸入されてくる指導者によって彼らの道が閉ざされているのではない。立ちはだかっているのはアラダイスや彼に代表されるような人々である。

ノルベルト・エルガート(シャルケU-19監督)インタビュー(SKY)

20年にわたってシャルケの育成組織で働き続け、ノイアーエジル、ドラクスラー、サネなど今を時めく選手を育ててきたノルベルト・エルガート氏についての記事をざっくり訳しました。卒業後も変わらずに続いていく選手達との関係性から、彼の指導理論の一端が見えてきます。元記事はこちら


 

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ノルベルト・エルガートはマヌエル・ノイアー、メズト・エジルユリアン・ドラクスラー、レロイ・サネらの師匠である。今記事では、彼にシャルケでの成功と、プレミアリーグを席捲する選手達について、彼らを誰よりもよく知る者の立場から評価を聞く。

 

 

 

その試合はイングランドフットボールにおいて最も重大なカードの一つである。クリスマス期間のアーセナルリヴァプールの試合が迫る中、セアド・コラシナツは一つの望みを抱いていた。ガナーズのDFは、かつてシャルケのユースチームで指導を受けたノルベルト・エルガートと彼の妻であるコニーを試合に招待した。

 

エルガートはこういった厚意に飽きることなどないが、何度も経験している。彼と妻のコニーは2013年にコパデルレイの決勝を観に行っているが、そのとき招待してくれたのは現在、コラシナツのチームメイトであるメズト・エジルだった。マンチェスターシティのレロイ・サネは頻繁に連絡をくれるし、リヴァプールジョエル・マティプはつい最近、パーソナルな感謝のメッセージを添えてサイン入りユニフォームを送ってくれた。

 

かつての教え子たちからエルガートに贈られる敬意はとてつもない。彼は単にフットボールをどうプレイすべきかを教えたのではない。フットボールをどう思考すべきかを教えたのだ。彼の指導は、より良い選手になるだけでなく、より良い人間になることを保証するものである。

 

「私は自分の仕事を単なるトレーナー以上のものだと考えています」エルガートはSky Sportsに語った。「私たち指導者は、心理学者や園芸家のようでなくてはなりません。若い苗木を預かり、それを育てなければならないのです。それはサッカーができるように準備させるだけではいけません。彼らの人生についての準備をさせ、サッカー選手以上の存在になれるよう手を貸します」

 

「我々は地球という社会に生きています。サッカーも大切ですが、他のことの方がもっと大切です。大金を稼ぐことは特権であり、ある種のステータスをもたらします。だからこそ、還元することが重要なのです。良いフットボーラーとしてだけでなく、良い大人としても称賛されるべきでしょう。両方を満たすことは可能な話です」

 

このような理念を踏まえれば、エルガートがシャルケのU-19チームで出会い、ともに成功してきた選手達についての評価を理解しやすくなる。2012年のU-19ブンデスリーガ決勝でバイエルンを倒したときのキャプテンだったコラシナツについて聞くと、エルガートは彼を「真の友人だ」と表現した。

 

2015年に同大会を制したチームの一員だったサネについても、その態度を賞賛しているし、マティプについてはプロ意識の高さを挙げていた。エジルは2006年に同大会を制しているが、彼への評価はどうだろうか?「彼は控えめで謙虚な子だった。そして、それが我々にとっては非常に重要なことだった。」エルガートは言う。「メズトは若者にしては少しシャイだったが、自身の能力に対しては揺るぎない自信を持っていました。彼は知性、ヴィジョン、認知、技術を備えた素晴らしい選手でした。常にピッチ上を把握し、全体図を素早く脳内に映し出すのです。また、メズトは性格も良かった。彼を誇りに思いますよ。自信溢れる人間ですが、決して傲慢にはなりませんでした」

 

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「私達はテクニックだけではなく、王者としての品格を伝えようとしています。例えば、リスペクトや寛容さ、正直さ、忠誠心、そして特に誠実さですね」

 

2003年にブンデスリーガのユース大会が再編されて以来、エルガートとシャルケが記録した優勝回数3回を上回るクラブは存在しない。シャルケはユースレベルで成功しただけでなく、ファーストチームにも選手をしっかり供給している。では、その秘密は何だろうか?「秘密なんてありませんよ」エルガートは語る。「どこでも可能なことです。ただ、簡単じゃないですけどね。シャルケは素晴らしい伝統を備えていて、私達はそれを選手に伝えたい。しかし、それはその選手が優れていてこそ意味を為します。この考え方はどのクラブでも用いることができます。不可能なんてありえません。正しい判断をする必要があるだけです。良い選手は必要ですが、イングランドにもとても優れた選手がいますね。良い指導者も必要ですが、イングランドにも良いコーチがいます。大事なのは選手達をファーストチームに送り込むことだけでなく、スカッドに入れる以上の存在にすることです。そのためには、ハードに働く意思、そして長期間にわたってスマートに取り組むことが必要です。一晩で梯子を登り切るのは不可能です。本当に多くの若者達が1から10に飛び上がることを望んでいますが、一歩ずつでなければなりません」

 

「最近の社会では、ときに忍耐を忘れてしまうこともあるでしょう。若者だけではありませんが、本当に多くの人々が一夜にしてスーパースターになろうとしています。そんなことは普通には起こり得ません。成功には時間が必要です。2年間プレイしただけでトッププレイヤーになれる可能性なんてそうありません。物事は変わっていきますが、成功への法則は変わりません。選手達はエレベーターではなく階段を使わなくてはいけないのです」

 

エルガートも今や60歳。もしかしたら、若い選手達と強固な結びつきを持つという、彼にとって最高の能力にも陰りが見えるようになるかもしれない。何と言っても、父の立場というよりは、今や祖父みたいな立ち位置になっているのだ。しかし、人間への興味は衰えることはなく、彼は適応し続けている。

 

エルガートは、かつて彼にとっての師匠格であり、ドイツでは選手のやる気を引き出すことで高名な指導者であるニクラウス・B・エンケルマンと口論になったことがある。「彼は私の髪を見て、どれくらい長い間その髪型をしているのかと聞いてきた。私が何年もこのままだと答えると、今度は気に入っているのかと聞いてきた。私は、そうだと答えた。すると、彼は世の中にあるもので変化しないものなんてあるのかと問うてきたんです」

 

パブリックな指導の場で指摘されたことで、当時のエルガートは良い思いをしなかった。しかし、それは明確なメッセージだったのだ。同じ場所に立ち止まる人は、学ばない人である。「最初は彼に対して怒っていたけど、そのことに気付きました。彼は的を射ていたんです。」とはエルガートの弁である。ほんの些細なことに思われるような瞬間が、物凄い効果をもたらしたのだ。「まぁ、髪型は変えてないですけどね」そう付け加えてエルガートは笑った。

 

「年を取ってからは、常に進歩することを忘れないのが大切です。学び続け、より良い人間になろうとし続けなければならないのです。進歩も改善もしない者に、チャンスなど来ません。私は一生を懸けた学び人で、同じことをユースの子供達にも伝えています。今日は昨日より良くなるように、明日は今日より良くなるようにってね。ただ、仕事自体はそれほど大きくは変わっていません。我々はいつの時代も人間を相手にしなくてはなりません。このような考えは、我々の仕事の中核をなしています。世界は変化し、それらを取り巻く環境も変わりました。しかし、人間はそれほど変わっていませんから、私の仕事もそこまで大きくは変わっていないのです。私が選手達との間に持つパーソナルな関係は常に良好です」

 

では、エルガートはどれくらい長くこの役割を続けるつもりなのだろうか?約1年前、彼はこの職を離れる決断をしたが、留まるように説得を受けた。また、彼がファーストチームのコーチになるのを断ったのも一度ではない。シニアレベル(トップチーム、ファーストチーム)のフットボールはユースレベルよりもきらびやかなものだが、エルガートは違う道を選んだ。

 

「私が現在、関わっている選手くらいの年齢だと、大人の選手達よりも精神面に影響を与えられる可能性が高い。大人の潜在意識というものは、より安定していて、影響を与えることが簡単ではないのです。私にとっては、若者を教え、サッカーと同様に彼らの人生に待ち受ける物事の準備をさせてあげる方が大きな意味を持っています。クラブからファーストチームでの仕事を打診されても断ってきたことは、みんなが知っています。私は現在の仕事に対して、より大きなやりがいを感じているのです。これが私の生き方であり、誰しもが同じではありません。20年も一つの仕事をし続け、その中で何度もオファーを断ってきたのなら、その仕事を愛しているというしかありませんね」

 

彼の下で育った多くの選手達同様に、彼の仕事もまた彼を愛しているようだ。

 

Norbert Elgert's seven pillars of success.

ノルベルト・エルガート流、成功への7つの柱。

  • 時間とスペースのプレッシャーがある中での技術
  • 戦術、知性、認知
  • 身体能力、特にスピード
  • 精神的な素早さと強さ
  • チームの一部としてプレイできること
  • プロとしてのライフスタイル、栄養学、暮らし
  • 他者にとって良き見本であること

 


 

ラカゼットとジルーの立場から見えてくるクラブと代表のフットボール(ESPN)

2017年の8月にESPNで公開されたマイケル・コックス氏の記事をざっくり訳しました。テーマはオリヴィエ・ジルーとアレクサンドル・ラカゼット。二人は共にアーセナルでプレイするフランス人フォワードですが、レギュラーはラカゼット。一方、フランス代表ではジルーがレギュラー。こういった状況を通して、クラブと代表におけるフットボールの差を探るという内容になっております。元記事はこちら


 

2012年に始まったアーセナルでのキャリアにおいて、オリヴィエ・ジルーは様々なタイプのセンターフォワードとスタメンの座を争ってきた。

 

ジルーの獲得に際して、アーセン・ヴェンゲルは彼をロビン・ファン・ペルシの代役に位置付けていた。ファン・ペルシは現代的でテクニカルなフォワードだったが、彼がマンチェスターユナイテッドへ移籍したため、ジルーが事実上の9番となった。大きくて、フィジカル的な強さ溢れるジルーという存在は、かつてのヴェンゲルが好んでいたタイプのストライカーとはかなり違った印象を受ける。

 

その結果として、ヴェンゲルはより小回りが利き、トリッキーなタイプを前線に求めるようになる。2013年にはルイス・スアレスを獲得しようとし、翌年にはアレクシス・サンチェスダニー・ウェルベックと契約。そして2016年には、ジェイミー・ヴァーディを狙ったが、失敗したためにルーカス・ペレスに落ち着いた。セオ・ウォルコットも2015年のFA杯決勝などのビッグゲームでは散発的に起用されてきた。

 

そして今夏、ヴェンゲルはアレクサンドル・ラカゼットに手を出した。彼は素晴らしいヘディングゴールをレスター相手に決めてアーセナルでのキャリアを始めたが、基本的には素早くて、選手と選手の間でこそ活きるスピードのあるタイプだ。

 

それによって、ジルーはまたしてもバックアップに甘んじることなる。昨季の後半も、彼は自らを先発メンバーとして適切だと何とかアピールしようとしてきた。彼の前には新たな、素早くて、若いフォワードが立ちはだかったのだ。しかし、今回の争いについては、もうひとつ興味深い側面がある。ラカゼットとジルーは同じ国の出身ということである。

 

そのことが、何故そんなに面白いのか?それは、フランス代表チームにおいてはジルーこそがレギュラーのセンターフォワードで、ラカゼットはEURO2016のスカッドにも入れず、ワールドカップ予選でも引き立てられてきた訳ではないからだ。ジルーこそが主力で、2番手はケヴィン・ガメイロが務めてきた。

 

代表監督のディディエ・デシャンは明らかにジルーの方を優れた選手だと思っており、一方でヴェンゲルはラカゼットこそがアーセナルというチームを進歩させてくれると信じている。このことは単に二人の監督が持つ異なる見解が云々ということだけでなく、クラブと代表における性質の違いを物語っている。

 

ある一定のレベルを超えたエリートクラブが代表チームよりも圧倒的に優れていると感じたのは、一度や二度ではないだろう。しかし、スタイル自体の差異は、以前よりもずっと大きくなっている。クラブレベルのフットボールにおける特徴は、特にプレミアリーグにおいて言えることだが、強烈なスピードである。これは二つの面においてよく表れている。

 

一つ目は、チームはより高い場所で、より激しくプレスを掛けるようになった面。各チームによってレベルの差はあれど、なるべく早くポゼッションを回復するために、より多く、よりまとまって、より際限なく高い位置でプレスを掛けることを最近のクラブチームは重要視している。

 

こういった特徴は代表レベルにはほとんど無い。EURO 2016では大半のチームが強烈な執念と共に自陣に引きこもり、深くコンパクトな陣形を保っていた。

 

二つ目はプレッシングのレベル差に起因することではあるが、パスのテンポである。これはクラブレベルの方が圧倒的に速い。チームはよりダイナミックにプレイするようになり、アタッカーは頻繁にポジションチェンジをするが、それは事前に用意されたものである。選手達はチームメイトの動きを知り尽くしており、複雑な形のパス交換でもほとんど直感的に決めて見せる。

 

 

ジルーはスーパーサブとして並外れた評価を受けている。彼はレスターとの開幕戦でも交代選手として出場して決勝ゴールを決めた。しかし、彼が先発したときのアーセナルは、攻め込むことができずにいることが多い。彼はクロスの終着点としては素晴らしいものを持っており、ペナルティボックスの縁で相手ゴールを背にしながらのプレイを非常に得意としている。しかし、選手と選手の間に入り込んでのプレイは特技ではない。現代のフォワードにしては珍しく、相手ディフェンダー間で交換されるボールを追いかける姿はひどく苦しそうだ。一方で、もう一つの問題として彼とメズト・エジルの相性が特別に良い訳ではないという事実がある。

 

エジルには彼のスルーパスに追い付いてくれるセンターフォワードが必要だが、ジルーは彼のフリックパスや落としのパスに反応して追い越してくれるような10番を必要としている。ポジションにおける関係では全く異なるエジルとジルーだが、タイプとしては似たようなものがある。二人とも決定的なゴールを求めるタイプではなく、犠牲心を持つアシスターなのだ。

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そしてラカゼットがやってきた。彼は鋭い走りと突発的な動き出しを備えている。リンクプレイも得意で、ゴールを背にしてプレイするだけのフィジカルも獲得してきた。彼はジルーよりも典型的なアーセナルセンターフォワードだと言える。

 

フランス代表では事情が異なる。このチームにおける主役アタッカーはアントニオ・グリーズマンだ。彼はジルーのすぐ後ろにセカンドストライカーとして配置され、ジルーが持つボール保持能力を囮に使ったり、彼に釣られてポジションを上げた相手DFの背後を襲ったりと、その恩恵を存分に受けている。

 

さらに、フランス代表は、自陣のペナルティボックスに退却するのではなく、高い位置で中盤と関わりながらプレイしようとするチームと相対することがほとんど無い。こういうときに、トラディショナルなターゲットマンは生きる。だから、ジルーが選ばれるのだ。

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トラディショナルな9番タイプが代表レベルで活躍することは普通の話であり、クラブレベルでは評価されていない選手が代表チームにおいて最前線を務めることもよくある。先のワールドカップではブラジル代表のフレッジがいた。2010年のワールドカップでは、直前のシーズンにアストンヴィラで3ゴールしか挙げていないエミル・ヘスキーイングランド代表の先発に選ばれた。

 

ポルトガル代表はウーゴ・アウメイダエルデル・ポスティガに長年にわたって頼り切りだったし、ミロスラフ・クローゼターゲットマンではないが、典型的な9番の選手― はクラブレベルで苦しんでいたときでもドイツ代表の地位を保ち続けた。昨年のEUROでスペイン代表を打ち破ったイタリア代表は、フォワードとしては迫力に欠けるグラツィアーノ・ペッレとエデルの二人を前線に並べた。

 

これらの選手はワールドクラスではないし、正真正銘のトップクラブでは輝いていないかもしれない。しかし、古風な原理を基盤とする代表監督にとって有用であることを証明していた。

 

だからこそ、ラカゼットとジルーの物語は、現代フットボールにおけるクラブと代表の関係を如実に表していると言えるのだ。ラカゼットがアーセナルのチャレンジを牽引し、フランス代表のワールドカップ制覇に関してはジルーに譲るという将来を予想しよう。これは何も矛盾を孕んだ話ではない。理にかなった話である。